命の限界を自分で決める(長文!!お暇なときに…) | hananaのブログ

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気まぐれな性格なのと、
お仕事それなりに頑張ってるので、
書くのか書かないのか、
それさえも未知数ですが…、

あまりリアルな知り合いとはつながらず、
裏の顔を出していきたいな~と思う今の気分です。

バブルがはじけて、はや20年?

日本や世界がなんとなく経済成長の頂上ってこの辺り…
みたいな感覚を掴んでる(?)。

医療界にも遅ればせながら限界というものが来てるかな~、とぺーぺーナースながら思います。

限界というと成長しないみたいやけど、昇るというより、細部へ潜っていってるイメージ。

今の医療では…、
(私自身の経験の偏りはもちろんありますが)
寿命を伸ばすことは割合簡単になったように思います。
平たくいうと、いわゆる植物状態でもいいから生きてて!と、いうのは、
心臓が不整脈バリバリでもとりあえず動いてりゃある程度(あくまでも、ある程度)なんとかなったりする。

うちは3次救急をとってないので、余計そう思うかな。

命だけは助けて!!

って、ドラマのように叫んで、助かって涙するその後を知らない人も多い。
あんなに泣いてたのに見舞いに来なくなる家族。
寝たきり患者が嘔吐して窒息しかけてて、苦しむあまりに脱糞してて、必死になって看護師が痰を吸引して呼吸を落ち着かせ着替えも終わりホッとしたときに辺りを見回すと、そばにいたはずの家族は既に帰ってた。

認知症で食事をとれなくなったお婆ちゃんの胃に穴をあけて直接栄養剤を流し込むようにしたあと、そのお婆ちゃんは5年以上経過しても生きてる。
笑いも泣きもせず、家族が来ても反応のない5年間ですが。
途中で胆のう炎になって、手術して。
傷口が痛くても言えない。

90歳を超えた透析患者を医師も看護師も必死に救いますけど、物事をすぐ斜めから見たくなる私としては、「この患者の命を長らえるのに毎月300万円以上の医療費が使われてるんよな…。私の子どもらの世代に果たして医療費ってどれくらいまで保障してくれるんやろう」と、ちょっと考えてしまいます。

答えはでないけど。
他人の命を決定する権利はもちろん誰にもないのだけど…
キレイ事で生きていけたら、誰も苦労しない。
この人を救うために、あなたの将来使う予定の医療費なくなっちゃいました~って言われて、「まぁ、人助けですし、しょうがないっす」と言える人はたくさんはいないと思う。

寝たきり胃ろうの患者が亡くなって、
ホッとしました、という家族もいます。
でもホッとする家族のほうが実は毎日病院に来て看護師と一緒に自分の親の世話をしてたりする。
怒鳴りこんでくるのは大概「アンタ誰っ!?」ってくらい病院に来てない家族だったり。

いろいろなパターンを見て思うのは、
家族で集まってお互いのベストな死に方を考えことが必要だよな、と思う。
死ぬの待ってんのか!!と、親から思われない、元気なうちに。
もし癌が見つかったとき、何歳までなら告知して、何歳以降はしない、とか。
とりあえず孫の顔見てたら、まぁ満足かな、とか。
万が一のときのために、免許証の裏の臓器提供の欄サインしてあるから、とか。

そういうことが本当に迷ったときに、
道標になることはあると思うな。
自分にも、生きてるうちにこれだけはする!!ということを決めておけば、
それが拠り所になるし、
そこが医療を選ぶ基準になります。

そういったことを考えながら、
こんな考えを持ってこの仕事についてて果たしていいのかな、と毎日思い悩む私です。



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