おはようございます!


なぜ私がメイクではなく、メイクセラピーを学ぶことになったのか?


ずーっと過去を振り返りながら書いています。


長いです


ご興味あればお付き合いいただけると嬉しいです照れ








私の顔はやっぱり怖いんだという強い思い込み


幼少の頃から大人になるまで


『第一印象怖くて話しかけられへんかった』


ずーっとこの言葉が心に根深く残ってました。





その後ご縁があって旦那と結婚することになりました。


時はバブル。


大学生の頃に合コンで出会い、その後銀行マンとなった旦那。


高学歴、高身長、高収入そして私好みのムキムキマッチョマン


私の父親と違って暴言吐かない、暴力振るわない、穏やかで最高の男性見つけた


文句の付けどころないやん


私からプロポーズ


「私と結婚する気で付き合ってるよね?結婚式の日にちと式場決めに行くでー」


なかなか強引グラサン


でもね。


結婚ってしてみないとわからんことだらけ。


新婚旅行から帰って実際に生活が始まると出てきましたよ〜


旦那の理解不能な言動が💢


そのあたりの話はまた別の機会に。



そしてここからドンドン病んでいくことになりました



旦那は田舎の長男でした。


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そう


私は田舎の長男の嫁として奮闘しなければならなかったのです。


まずは着物着てご近所や親戚にご挨拶まわり。


子供が生まれたらご近所の奥様方を招待して料亭でのお披露目会。


祖父母のお葬式は自宅で3日間、朝から晩までご近所の方にご接待


おじいちゃんがもういよいよ危ないとなったら、お義母がバタバタと蔵の中からお皿やコップを出し始めるのです。


そばにいた私におじいちゃんは言いました。


「もうわしの葬式の準備やな。」


その数日後おじいちゃんは亡くなりました。


その時にお義母さんは私に言いました。


「泣いてる暇はあらへんでー!えらいこっちゃー」


悲しんでる暇はないのです。


とにかくご近所の目を異常に気にする両親に対して、私はなんか違うって思いました。


そしてまだまだ男尊女卑的な考えが残ってる土地柄。


地元の宴会にはお手伝いとして当番に当たった嫁が呼ばれます。


旦那たちが飲み食いしている横で、ひたすらお酒の用意やご飯をよそったりします。


田舎の集会所なので土間があり、そこでお手伝いの女性はおもてなしの為に待機です。


そしたら役員の男性が「どうぞ食べてください。」と御膳を床にポンと置いたのです。


埃や小さな虫の死骸が落ちてるその床に💢


せめて座敷の隅にでも上げてくれてもいいやん‼︎


もう悔しくて涙が込み上げてきましたえーん


私が何か悪いことしましたかー‼︎


私の人生丸ごと否定された気がしました。


私にはなんの価値もないんや


もしかしたらこの頃から自己価値が低くなったのかもしれないな。


まだ20代後半の若い頃の話です。


そして姑からこの地域の掟を言い渡されます。


派手な格好をして目立ってはいけない。


あんたが働くと息子の収入が薄いと思われるから働いてはいけない。


子供を置いて出かけてはいけない。


ご近所の集まり以外は夜出かけてはいけない。


などなどいけないことだらけーショボーン


すべて姑が嫁いできた時におばあちゃんからそう言われたんだとは理解してました。


でもこのご時世ありえへんと怒りばかりが私の中に増幅していきました。


そんな閉鎖的な田舎暮らしから脱出できる転機が訪れるのですグラサン


長くなりましたので今日はこの辺で。



本日もお読みいただきありがとうございます照れ