府中市美術館まで、
横尾忠則さんの公開制作を観に行って参りました。
この日、お茶をする約束をしていた、
仲良しのエステティシャン・mihoちゃんも、当日朝の、
勢りのお誘いに、いいよ、と二つ返事で着いてきてくれることに。
わたしの、こういう突拍子のなさに、すっかり、
慣れているのか、驚きもしないのが、さすがmy friendです(笑)
美術館、博物館はかなりの数行ってますが、こちらは初めて。
市立美術館としては、設備もきれいで、様々な試みもしていて
温かくて、活気のある美術館、という感じを受けました。
エントランスいっぱいに入る陽光が美しかったので、パシャリ!
展示より何より先に、横尾忠則さんの公開制作の会場へ。
特に仕切りもない、ちょっとした広場がそれで、早速中に
入ってみると、大きなカンバスを壁に立てかけ、黙々と
筆を走らせ、色を重ねる横尾さんの姿が見えました。
半円状に取り囲むようにして、固唾をのんで見守るギャラリーたち。
クリエイションをされていく現場に立ち合い、
その経過を現在進行形で見て、雰囲気を体感する、という
非日常空間は、独特の緊張感が漂って、しんとしてました。
息づかいさえ、響き渡ってしまうほどに。
左手から、正面から、右手から、といろいろ位置を変えて
眺めて、一番表情が見える右手の最前列に腰を掛けました。
ただ黙々と描き続ける横尾さんを見つめていて思ったことは、
作家とは、作品作りとは、ただただ孤独な作業だということです。
誰がそばに居ようと関係ない、作品と向き合うそのときだけは、
作家の中には、作品と自分、それしかないのです。
でも、それは決して寂しいことではなくて、どちらかといえば
幸せなこころの状態、というものに近いのだと思います。
この感覚は、禅でいうところの和敬清寂と重なるものがあって
そうした孤独、というものと、しっかり向き合えていないと
人との関係も、本質的な部分で、深く理解し合えない、という様に、
創作活動もまた、最終的には人と繋がっていくものですから、
作品が普遍性という”命”を持つ上で、作家の孤独、というのは
必要不可欠な、絶対条件のひとつなのだと思います。
高校の恩師が、以前、こんな言葉をくれたのを思い出します。
「ひとりで居られないひとは、誰とも居られないのよ。」
一時の寂しさで、つまらない交際をするな、と、当時、
別れて間もない、不安定な状態のわたしに、諭してくれたものですが
いま思えば、正にその通りであったなぁとつくづく痛感する所です。
閑話休題。
一旦、仕切り直すために、今度は常設展へ。
府中市所縁の、小山田次郎の展示を観てから、再びアトリウムへ。
今度は真正面の後方、少し遠くから。
何の変わりもない、その”仕事”の様子を見ていると、
ふと、自分は自分でいいんだ、ってことを改めて思いました。
横尾さんといえば、マルチタレントのゲージュツ家、として
有名ですが、要は、彼は何をしても彼、なんですよね。
だから、何かひとつで括れないし、興味が向けば何でもやる。
でもそれが、彼、であって、全部が彼、なんですよ。
わたしは同じタイプ、といいたいわけではないのですが、予て、
要領が良い自分、器用な自分がとてもコンプレックスでした。
何をしてもソコソコ、よりも、他の何もできないけれどコレダケ、
というものの方が正しい、という思い込みがあったんです。
だけど、わたしはわたしのスタイルがあって、それでいいんだ、
頭では分かっていたけれど、いまいち腑に落ちてなかったことが
ストン!と納得できた、というか、体得した、というか。
気持ちが少しスッキリ!
そんな気分で、お土産屋さんをチラリと見たら、
横尾デザインの、ネコ仏陀&仏のストラップが目に入りました。
そのイカれ具合が、妙に気に入って、つい欲しくなって…
えっ何故!?というmihoの目線が気になったものの(笑)、
買っちゃいましたー(><) 爆!
中身が選べないんだけど、帰宅して空けたら、黒ネコ仏だった。
とっても寒い一日だったけど、こころの収穫いっぱい、
遠出して本当によかったな、と思いながらの帰り道…。
冬枯れの並木道も、何だか温かい風景に見えました(^^)