こんにちは
先週から
私のなかにある
無機質で何も感じることが出来ない
大きな塊のようなものに
向き合っていました。
外側の世界では、
それを刺激するかのようなことが起きて、
リンクしているのか
そこを言葉で表現したくても
表現として出てこない
感じることが出来ない部分があるのは、
ずっと認識していたけれど、
意識的・無意識的にも、
そこから意識を逸らしてきたのだろうし、
何も感じないから、
感じられないという感覚も強かった
感じたくても感じられない
なのに、
それが私の中を大きく占領していて、
私の魂の宿題なんだろうとも
感じていました。
涙が出ても、
そこには何も感情がない。
何も・・・感じないんです。
それなのに涙が出る。
魂は全てを知っているけれど、
意識で強い蓋をしている。
ある意味、
この意識の力の凄さを知る
父と初めての静岡の旅に行ったことが、
そこに今一度向き合うタイミングに、
なっていたのかも知れないと、
今思う。
静岡を機に調子に乗り、
次から次へと候補地を挙げてくる父
その候補地に動揺する娘
勘弁してね
父よアッパレ
5〜6年前、
あるところに意識を向けると、
男性の絶叫する声が、
内側の耳元で聴こえ、
胸に深く深く突き刺さり、
心理的苦痛でしかない時期があった。
何度も何度も聴こえてくる絶叫。
その声に怯え、
耳を塞いで過ごしていたことを思い出した。
その絶叫が伝えてきたことと、
私の中の何も感じることが出来ない部分が、
繋がっているみたいだ。
絶叫は、
私に何を伝えてきていたのか?
もう耳を塞がずに、
ただただ心で感じて、
心で聴いてみる。
受け入れ、
閉じていた自分を開いていく
そんなタイミングが来たのかも知れない。
愛と破壊(分離)が表裏一体になっている記憶
なかなかエグい
幻想に怯えて、
創造し続けてきたのは私だ。
横浜天主堂跡地のキリスト像
この場所、
無性に訪れたくなる時があります。
目を見て話したくなる時があるんです
雑踏の中、
一人立ち止まり、
目が合う位置まで、
ちょいと背伸びをして、
ブツブツ
周囲から見たら、
かなり怪しい人ですね
でも、心がスッと落ち着くんです
自分に問う
自分に問い続ける
自己満足に過ぎないかもしれないけれど、
私には、
大切にしたいことでもあります
今日も素敵な一日でありますように
読んで頂き、
ありがとうございました♡