『人間はエスパーではない』
これ、私が社会人になりたての頃、さんっざん先輩秘書に教え込まれた一言。
というのは……
私は25才の時、人に何かを伝えるのも、訊くのもへたっくそだった。
その原因は……
18年毒親の元にいて、自分の言いたいことを、そのまま言えなくなった。
父がアスペルガー症候群傾向の気質で、とにかく自分が一番、気分屋、何か訊ねたり頼むだけでキレる、
まあこの辺は他の方の体験談が山ほどあるが、まったくその通りで、『家が牢獄。父の独裁政権』という形だった。
私の意見など言おうものなら、3歳児であろうとも4時間説教コースである(※私は4歳で家出したレベル)
脱線するので深くは語らないが、アスペが家族にいると、精神も金も本当に無茶苦茶になる。
私はいまだに父を『人間の形をしたナニカ』だと思っているぐらいだ。
ドラマの家族団らんなんて『あんなの我が家でありえへんな』と信じられない気持ちだった。
こうやって、自分の言いたいことを親が聞かないなら、他人に話す、を選ぶ。
私はその方法として、創作という手段を使った。
だから2~3歳からイラストを描き、25歳ぐらいから思い立って小説を書くようになった。
創作はそれでいいとして、仕事は『自分の言いたいことを伝わるように話さねば』仕事にならぬ。
だが私の態度は明らかに、周囲からすれば『察してちゃん』であった……。
ただでさえボスの心情を察する仕事で忙しい先輩が、私を叱ったのも無理はない。
そのときによくよく何度も言われたのが、
『人間はエスパーではない。だからちゃんと言って。言ってくれないと分からない。仕事が滞る』
まったくその通りだ。
『察する』がさも美徳だと語られていた時代だったが、
察するは、手間で、労力がかかる。誤解も多い。
だったら、
・やってほしいこと
・したいこと
・お願い事
なんでも『言葉にして伝える』ほうが正確で、早い。
しかも喜ばれる!
察してほしい、という気持ち、悩みは私も分かるが、正直無理だ。無理。
私も察することはできるが、
・精度100%
となれば『本人に訊く』ことを選ぶ。
推測で他者の心境を想像するのは、時間と労力がかかる。
逆の見方をすれば、
自分のして欲しいことは、
『自分で表現する』ことでしか
『伝わらない』
ってことだ。
世の中には察しの良い方もいるのは認める。
ただ、自分はそうでないと認め、
また大勢も察しが良くないと認め、
察するに期待するのを、やめる。
すると、
自分自身を察する
ことが如何に困難か分かる。
だからノートに書き出して、自分自身を見ていく。
すると、
エスパーを期待する、すなわち、誰かに解き明かされるのを待つ
という、【受け身の人生をやめられる】と私は思う。
私も占い等大好きだが、あくまで自分を知る手がかりにするだけ。
自分の人生を委ねるまでに、頼るものではない。
そう思うのだ。