GWは29日から3日まで、4泊5日の帰省になりそう。

途中の平日には母校の恩師に会いに行き、1年間の出来事を大いに語るつもり・・・だった。




その恩師の訃報を聞いたのは、昨日の朝、サクサクを見ているとき、そして仕事に行く直前だった。




いても立ってもいられなくてすぐさま黒めの服に着替え(喪服ではない)、仕事を休んで新幹線に飛び乗った。

恩師の家は住所は知っていても場所までは知らないので、とにかく情報がありそうな母校へ向かった。かつての担任に話を聞こうと思ったが、この4月で別の高校に転勤してしまい、他の先生の名前を思い出せる限りあげてみても「もう別の学校へ行ってしまった」と言われるばかり。唯一、1年だけ家庭科の授業を受け持った先生と会うことができた。恩師と25年ほど交友暦を持つその先生は、涙ながらに話してくれた。

先月末から具合が悪く、自宅の玄関先で倒れて即手術、集中治療室で意識が戻らないまま息を引き取ったらしい。


くも膜下出血・・・ごいごいさんと同じじゃないか。

生前、年齢を聞いてものらりくらりとはぐらかされたけど、聞いてみたら私のおかんよりも下じゃないか。

達筆な字で、年賀状をくれたじゃないか。

遊びに行く度、あっちいお茶を淹れてくれたじゃないか。

新聞に水谷さんのインタビューがあると、切り抜いてとっておいてくれたじゃないか。

むさい絵を描くと、「もーちょっと可愛い絵がいい」と突っ込んでくれたじゃないか。


恩師に1年分の『見せたい物、話したい事』がたくさんあった。

あと数週間でそれが実現できたのに。


通夜がその日の夜に行われるということで、時間と場所を教えてもらい、一通り準備をするため実家へ行った。この日は運よくパパさんが休みだったため、最寄の駅まで迎えに来てもらい、通夜のマナーに関する本を貸してもらった。仕事のおかんを迎えに行った後、香典の袋をもらい(実家には何故かその袋が何種類もある)、近所のコメダで軽食後、車で斎場まで送ってもらった。焼香を済ませ、同級生と再会したあと、棺の中の恩師の顔を見せてもらった。普段かけていた眼鏡もなく、化粧がほどこされた恩師の顔はとても安らか過ぎて、不謹慎ではあるが別人のようだった。別人だと思いたかったから?

斎場をあとにしたのは夜8時、両親は「今日は泊まっていきゃー」と言っていたが、今はこの地に居るだけで辛いと、その日のうちに神奈川へ帰ることにした。次の日(つまり今日)が告別式だったが、今日以上に胸が締めつけられる思いになるだろうから行きたくても行くのが怖かったし、家庭科の先生も「行きたいだろうけどまた辛くなるだろうし、先生(恩師)も「すぐに神奈川へ帰ってめそめそせずに頑張りん!」って言ってると思うよ」と話していた。


帰りの新幹線の窓から真っ暗な外を眺めながら思ったのは「母校へ行くことはもう2度とないかもしれない・・・」

私は母校へ行くというより、恩師に会いに行っていたのだから。


帰宅したのは夜の11時半。




1日経った今、なんだか縁起の悪い嫌な長い夢を見ていたような感じだ。

ホントはこの出来事はブログに書きたくなかったのだが、夢ではなく厳しい現実であることを胸に刻んでおきたくて書いた。

泣きながらね。