俺の車にかずさんを乗せて、出勤時間より少し早めに病院に着いた。
かずさんは検診の前に櫻井先生と大野先生に会いたいそうで、そこにどうしても俺にも居て欲しいと言う。
この時間ならばきっと二人ともここにいる。
真っ直ぐに向かった副院長室のドアを叩く。
中に入れば案の定二人並んで昼食の出前に箸を入れるところだった。
入っていった俺達に気付いた櫻井先生がニコリと笑って、次の瞬間医師の顔になる。
「ニノ、体調は?」
「快調よ」
以前とは明らかに違う顔色はほんのりピンクで、ツヤツヤとした肌は30代男性とはとても思えない。
見るからに健康そうな様子に
「後で、詳しく検査はするからね」
と、安心したように笑みを浮かべた。
「分かってる。それより」
かずさんが俺の手を引いて、揃って二人の前に腰を下ろした。
「翔ちゃん」
ソファーに腰掛け居住まいを正して、今にも定食のご飯を口に入れようとしている櫻井先生に話しかける。
ローテーブルの上のお盆に向かったまま顔を上げた櫻井先生と、背筋を伸ばして目の前の櫻井先生を見るかずさんは、櫻井先生の方がだいぶ身長が高い筈なのに、かずさんが櫻井先生を見下ろす形になる。
普段は物腰の柔らかいかずさんの畏まった物言いに、隣にいる俺まで緊張してくる。
「まぁくんに聞いたんだけど、翔ちゃんの論文に、オレの後ろの状態って必要なの?
オレ、そんなこと一言も聞いてないんだけど」
「へっ?」
ビックリして変な声を出したのは俺で、隣のかずさんを見ると、俺に向かって頷いていて
その顔がちょっと怒ってる。
向かいの櫻井先生は
「……えーと、いやぁ……そのう………」
ご飯のこぼれ落ちた割り箸を宙に浮かせたまま、隣で我関せずでラーメンを啜っている大野先生をチラチラと見ている。
かずさんはそんな櫻井先生にズイッと近より
「で?どうなの?」
と、たたみかけると、だらだらと冷や汗を流しだした櫻井先生は
やがて観念したように、はぁ~っとひとつ息を吐いた。
「……体調の追跡はしなきゃやらないけど……
そこまで、プライベートなことは、明記は、しないかな……?
まして……えっと………そういうことは、本来の使用目的とは違う訳で……
言うなれば……患者の………性癖を…論文で発表することは……ない……と思うけど……」
しどろもどろのその話を聞いて、ますます驚いたのは俺で
「えーーー!?
大野先生、昨日はっきり言ったじゃないですか!
櫻井先生だって否定しなかったし」
ごめん、と項垂れる櫻井先生に、勝ち誇ったようなかずさん。
「まぁくん、担がれたんだよ。
この人たちは俺らで遊んでるの」
「いやいや、決して遊んでいる訳じゃあないよ。でも、昨日は、はっきり言えなくて……
申し訳ない」
櫻井先生が頭を下げる。
「大方、大野さんの手前、はっきり否定出来なかったんでしょ」
櫻井先生を一瞥すると、かずさんは一人話に加わらずにラーメンを啜り続ける大野先生に視線をやる。
ようやく顔を上げた大野先生が、チュルンッと麺を啜りきって油でテカった唇をニッと上げた。
「俺だって、遊んでる分けじゃない。
お前らがなかなか進展しないから、ちょびっと背中を押しただけだろ。
で?………うまくいったんだろ?」
大野先生に下から見据えられて、かずさんがあたふたと視線を泳がす。
「そっ、そんなのは、どうでもいいでしょ!」
みるみる赤くなるかずさんの顔が、
それはもう認めたようなもので
「おかげさまで。
今日のかずさんの体調にも変化は無いようですよ」
この人には敵わない。
俺は早々に降参する事にした。
そんな俺たちを上目遣いで見て、スープをズズッと啜った大野先生が
「よかったな」
思いの外優しい顔で笑った。
つづく
次回、最終話です。たぶん……