かずさんの意識が戻ったという、看護師さんの声に弾かれたように立ち上がった。
救急は俺の担当している病棟ではない。
でも、そこは勝手知ったる勤め先
「病室は?201?202?」
経過観察が必要な救急患者が入れられる、ナースステーションの側の個室。
エレベーターホールに急ぎながら、202号室ですよーという声を聞いた。
「ありがとうございます」
お座なりに頭を下げた俺の後ろから櫻井先生の声。
「そんなに焦んないで、俺も行くから。
エレベーターの扉、閉めないでよー」
のんびりと歩いてくる櫻井先生を待ちきれずに、そわそわと2階のボタンの隣の壁をたたいていた。
病室に入って見ると、かずさんは点滴の針を腕に刺したままベッドの背もたれを上げて起き上がっていた。
遠目にはいつもと変わらないけれど、かずさんの顔や手は明らかにいつもより赤い、でも
その顔がゆっくりとこっちを見て
「凄い足音、病院の廊下は静かに!
常識でしょ」
笑みさえ浮かべている。
「良かった……」
その笑顔を見て一気に緊張の糸が切れた俺は、またしても浮かんでくる涙をシャツの袖でギュッと拭った。
「ごめんなさい。
かずさんは俺の恩人なのに、俺がかずさんを危険な目に遇わせてた」
ベッドの側まで行くけれど、きちんとかずさんの顔を見ることが出来ずにうつむく俺。
それをベッドから見上げるかずさんは困ったように笑っている。
「あーあ、ついにバレちゃったかぁー
まぁくんには知られたくなかったなぁ」
「どうして……」
「あー!しょうちゃん約束破ったな」
一緒にエレベーターを降りたはずなのに、遅れて入ってきた櫻井先生に文句を言うかずさんに俺の話は遮られた。
「はははっ、ゴメンゴメン
相葉くん、話の前にちょっといいかい?」
またしてもちっとも悪いと思っていない口調の櫻井先生に、俺は部屋の隅に追いやられた。
医療用の手袋をはめた手でかずさんの診察をして、点滴を抜く。
その間も
「しょうちゃん、全身痒いよ」
「薬は塗ったんだろ?じゃあしばらく辛抱しろ、そのうち収まるから」
櫻井先生をしょうちゃんと呼ぶかずさんと、そんなかずさんに容赦ない櫻井先生。
付き合いの長さと深さからくる軽口の応酬。
それは二人がこの病気と長く付き合っているから出来ることで、一人で悲壮感を漂わせている俺はここでもやっぱりかやの外だった。
処置の済んだ櫻井先生は
「今夜はここで様子を見て、明日痒みが収まったら帰っていいよ。
相葉くんはどうする?ここにいるならサブベッド出してやるけど」
俺がお願いしますと即答すると、櫻井先生は
クスリと笑って
「ニノはくれぐれも無理はしないこと。
じゃあ、相葉くんしっかりを見張っといてね」
よろしくと俺の肩をポンと叩いて、白衣の裾を翻して病室を出ていった。
残された俺とかずさん。
少しの沈黙の後、かずさんがゆっくりと口を開いた。
「ごめんね。心配かけちゃったね」
申し訳なさそうに言うかずさんは自分が掛けている病院の真っ白な布団を指先で弄っている。
俺は何も言葉に出来ずにぶんぶんと首を横に振った。
「オレ、こんな体質だからさ、人とは触れあえないの。人と情を交わすことも出来ないんだよ。
分かったでしょ、だからオレはダメなんだよ」
まるで独り言のようなかずさんの静かな声音。
軽く瞼を伏せて、でもどこも見ていないような視線。
「どうして、教えてくれなかったの?」
静かに話すかずさんと同じくらいそっと聞く。
しばらく時間をおいて
「まぁくんがオレを頼ってくれたから」
どこも見ていなかったかずさんの瞳が、その時オレの目を見上げた。
それは、助けを求める、捨てられた仔犬のような瞳だった。
つづく