そのへん、肝に銘じとけ、俺。 |   EMA THE FROG

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    roukodama blog

昔から「本物を見分ける目」みたいな話が大嫌いだったんだけどさ、
なぜってそもそも「本物」と「偽物」がスパッと割り切れるみたいな
考えがすげーナンセンスだと思ってたから。

ある人間にとっちゃそれは本物だけど、ある人にとっちゃそれは超偽物、
みたいなことが絶対あると思ってたし、それは今でも変わらず思うんだけど。

でも、なんていうかさ、この年齢になってみると、確かに思うわけです。
「ああ、本物と偽物って、あるんだなあ」と。

で同時に、
「本物っぽく振舞っている偽物」「自分は本物だと信じてちゃってる偽物」
がものすげーく多いってことにも気づく。

さらに、それが悪意に根ざしている場合は捨ておくとして、
全然そうじゃない、むしろ前向きな熱意、
情熱と呼ぶべきものに支えられる形で、
そうなっている場合が多々あると。

例えば俺が小説を書く、小説家を目指すってのも、
それを目的に据えているあいだは、
(レベルはさておき)本物”たり得る”んだけども、

「いやー今日は3時間も執筆しちゃってね。
睡眠時間も3時間くらいでね。何しろ作家志望なもんでね」

みたいな話になってくるともう偽物も偽物、
本物っぽく振舞っているだけの超偽物っていう話で。

俺の言ってる本物偽物ってのの一番バックリした線引きは、そこ。
その上で、それぞれのレベルとかセンスとか視点とかそういう話になると。

だからなんていうか、
FacebookやらTwitterやらブログやらで小説を宣伝するのは、
あくまで「小説家になるという目的のために効果的(だと判断した)からであって、
「それをしている自分に満足するため」では決してないということ。

チラシを刷ってバーやらカフェやらに頭を下げて
置いてもらうのも小説家になるためであって、
「そういうことをしている自分に満足するため」
では決してないということ。

俺が頑張るのは小説家になるためであって、
「俺は小説家を目指して頑張っちゃってるんだもんね」と
思うためでは決してないということ。

あくまで本物(を志向する)であるためであって、
「俺、本物っぽいなあ」と自己陶酔するためでは決してないということ。

そのへん、肝に銘じとけ、俺。