人物リレー 2人目 【村田】 |   EMA THE FROG

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※[人物リレー]は、次に書く小説の舞台設定を詳細にする為のブレインストーミングのようなものです。


村田の家のリビングでは、息子の名前を決めるささやかな会議が行われていた。75歳を超えて「御殿」に移住した老母は、ムルーズの従者に伴われ、リヤカーに乗って山を降りてきた。村田の住む蝿町から長い長い一本坂を登ったところに「御殿」はあるので、ギラギラした光を放つ太陽をバックに老母たちが坂を下ってくる様子は、まるで神が降臨したかのような仰々しさを感じさせた。老母は、蝿町で「お勤め」をしていた頃とは比べ物にならないほど明るく、イキイキしているように見えた。「しばらくぶりね」そう言ってリヤカーを降りる老母は、光る糸で編まれた派手な着物を身につけている。村田は嫌な気分になった。自分たち蝿町の住人が身につける緑色の介護服と、その派手な着物とを比較して嫌な気分になったわけではない。ほんの1年前までは、この老母もまた、村田と同じ介護服を着ていたのに、と思いだしたのだった。地味な顔つきの老母には、介護服のほうがずっと似合うのに。

「ねえ、雅彦と雅弘、どちらがいいかしら」老母が村田に聞いて、村田は内心ホッとしながら、「どちらでもいいよ」と答えた。呼びやすく、書きやすく、そして目立たない名前であれば、なんでもよかったのだ。変に格好つけていたり、当て字を使っていたり、あるいは外国人のような変わった名前をつけたりすれば、親方様に目を付けられぬとも限らない。ここ蝿町で生まれた者は、75歳まで立派に「お勤め」をこなし、その功績を讃えら御殿入りすることだけが、唯一選択可能な幸せなのだ。それまでは決して目立たず、意見を口にせず、まじめに、お勤めを続けていればいい。そうしていれば、心優しき親方様や、蝿町伝統の宗教「ムルー教」のムルー様から、決してバカにはできないレベルのご褒美が与えられることもある。先日はムルー様から、iPadという小型のパソコンのようなものが数枚、蝿町の住人に対して配られた。聞くところによるとそれは、本国の方で若者やビジネスマンが情報端末として大いに利用し、流行している商品らしい。定期船の積荷に紛れ込んでいたのか、はたまた親方様が気まぐれに発注したのかは定かではないが。しかしいずれにせよ、「自主性は悪」とされた蝿町の住人たちに、それを使いこなす能力があるはずもなかった。あるいは、使いこなそうと思うその意思すら。

息子の名前は母親の決定により雅弘となった。何の感慨もなかった。自分の息子の呼び名がどうであれ、最新のベビーベッドで眠る息子が自分の息子であることに変わりはないからだ(ベッドはもちろん、御殿からの支給品である)。雅弘と名付けられた息子は、2歳を過ぎた頃から蝿町の教育を施されることになる。能力が高ければ、あるいはムルーズへの加入が認められるかも知れない。ムルーズとは3歳から15歳までのあいだ御殿で過ごすことを許された特別な子供たちで、蝿町で暮らす親とは離れ離れに暮らすことになるが、その代わりに、親方様の寵愛を受けることができる。ただ、一度も御殿に入ったことのない蝿町の住人にとって、その存在は親方様やムルー様以上に謎に満ちたものである。雅弘がムルーズ加入を許されたとき、どういう気持ちになるのか村田には分からなかった。それを望んでいるのかも分からない。

村田は妻と並んで、ベッドを見下ろした。うるさい祖母が御殿に戻っていって、安心して眠りについたのだろう。その寝息は一定で、かすかに母乳の香がする。村田は隣に立つ妻の顔をこっそりと見やった。そこにはやはり、なんの表情もなかった。そして多分、自分も今まったく同じ顔をしているのだと村田は思った。


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