人物リレー 1人目 【三蔵】 |   EMA THE FROG

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※[人物リレー]は、次に書く小説の舞台設定を詳細にする為のブレインストーミングのようなものです。





■人物リレー 1人目 【三蔵】



三蔵の家の前に人だかりができていた。彼らは揃いの制服(御殿から支給される薄いグリーンの介護服)を着ている。人数は10名くらいはいるだろう。彼らは蝿町の住人らしい、喜怒哀楽のいずれも感じさせない無表情で、自身の家の前であぐらをかいて座り込む三蔵を見下ろしている。彼らを呼び出したのは三蔵の方だったが、三蔵は何も言おうとしないどころか、集まった彼らと目を合わそうともせず、ただただ固く目を閉じて「うーんうーん」と唸っている。

そのまま、5分、10分と時間が過ぎていった。三蔵を囲む10名数名の住人たちの中では、「俺たちはここに何をしに来たのだろう」という当たり前の疑問が、コップの表面に水滴が浮かぶような感じで、フツフツと沸き上がってきた頃だった。やがて誰かが、ポツリと言った。「三蔵、あんたは何をしているんだ。家の前でうんうん唸ったりして。具合でもどこか悪いのか」。非難も心配も感じない、ただ意味通りの疑問としての言葉が、地面を向かって唸っている三蔵の後頭部に、フッと落ちてきた。カラカラに乾いた枯葉のように重量のない言葉だったが、三蔵は唸るのをやめて、ゆっくりと顔を上げた。そこには、自分の姿を見下ろす10数名の住人たちの顔があった。その顔には、おそよ感情らしきものは見当たらなかった。そしてそれは、彼らを見上げた三蔵自身も同じなのだった。

三蔵は無表情に彼らを見回し、言った。「経をあげるんだ。経というのは、偉い人が書いた、教えだよ」。「経?」誰かが言った。「そう、経というのは、偉い人が書いた、教えなんだ」。三蔵は立ち上がり、尻をパンパンとはたいた。「三蔵さん、それで、私たちは一体、何をしにここまで来たんだろう」10数人の中では一番新入りの男性が、オドオドした様子で三蔵に聞いた。三蔵は無表情のまま、その男性の方を見つめ、カッと目を見開いたかと思うと、「キエエエエエ!」と叫んだ。その男性だけが、「ヒッ」と驚いて、どしんと尻餅をついた。他の10数名は、それまでと同じ表情のまま、黙っていたが、やがて誰ともなく、それぞれの家に戻っていってしまった。腰を抜かしたように地面に座り込んでいたその男性も、やがて立ち上がり、いなくなった。

三蔵は、さっきまで自分が座っていたところを見下ろした。そこには、丸くて平たい、まる丸座布団のような黒い石が置いてあった。今朝、「お勤め」を終えた足で海岸に寄った際、偶然見つけた石だった。三蔵はその石を一目見た瞬間、蝿町に来て以来数十年間まったく開くことのなかった幼少時代の記憶、母親が自分を膝に抱き、ある絵本を読み聞かせてくれている場面を、思い出したのだった。絵本は、三蔵の名の由来となった三蔵法師が出てくるもので、確か「西遊記」というタイトルだった。三蔵を抱いた母親は、「これはあなたの名の由来となった偉い人だよ、経を、たくさん書いたんだ」と言っていた。その時絵本の中では、丸い石に腰掛けて何やらうんうん唸っている、誰かの絵が描かれていた。顔は苦しそうで、今にも死んでしまいそうなくらいに赤かった。幼き三蔵は、そこに描かれた人物を三蔵法師だと理解し、そして、経を書くことは、あるいは経を読むことは、このように辛く苦しいことなのだと思った。

三蔵は海岸で見つけたその黒い石を持ち帰ることにした。三蔵法師が座っていた石にそっくりだったからだ。しかし石は思いの外重く、60歳を越えた三蔵の身体にはこたえる作業だった。顔を真赤にしながら石を運ぶ三蔵を、グリーンの介護服を来た蝿町の住人たちがボンヤリと見つめていた。誰も手伝おうとはしないし、かといって、非難したりもしない。三蔵は、登り坂の左右に強化プラスチック製の住居が並ぶ蝿町の中を、ただ黙って、うんうん唸りながら石を運んでいった。太陽は今日も鋭い光を放ち、ジャングルに覆われた島の中では奇妙に目立つ、蝿町の人工的な街並みを黄色く浮かび上がらせている。海水でしっかり洗ったはずなのに、石からは泥のように茶色い水が流れ、三蔵の着ているグリーンの介護服の袖口を汚した。それでも三蔵は石を運ぼうと思った。蝿町に来て以来、こんな風に積極的に何かをしようとしたことがあっただろうか。毎日毎日、あの工場に「お勤め」に行き、それが終わった後は食事をして寝るだけの生活を、もう数十年も続けてきたのだ。

重い石を運びながら、三蔵はこの島に来て初めて、もしくは初めてと思うくらいに久しぶりに、そんなようなことを考えた。やっとのことで家の前まで来て、石を玄関前に配置した時、ここでの生活に疑問を抱かなかった自分に対してゾッとした三蔵は、思わずその石に座り込み、頭を抱えて、うんうんと唸った。何より恐ろしかったのは、1年前はおろか、1週間前、いや、昨日のことすら満足に思い出せないということだった。記憶が記憶として保存されず、経験したその場で削除されていくような生活、思い出は風化し、あの海岸にある砂のようにカラカラに乾いて、風に飛ばされ二度と戻ってこないような生活……。「うう…」三蔵は呻いた。「なんだか、いやあな感じがする」三蔵は慌てて立ち上がり、そして、視線の置き場を探した。何かをボンヤリ見ていれば、落ち着くと思ったのだ。そう、「お勤め」のあいだずっと見つめている、ベルトコンベアや、その上を運ばれてくる肉の塊、あるいはコンクリの地面を常時流れている水などのように。

しかし、並んで立つ同じ形の住居も、何の装飾もない街並みも、ギラギラする太陽も、鬱蒼と茂る木々も、そして、この高さからだと楽に見渡せる終りのない海も、「いやな感じ」を膨らませるだけだった。結局三蔵は、ふらふらと通りに出ていって、手当たり次第に住居のドアをノックしては、理由も言わないままに住人たちを自分の住居前に集め始めた。住人たちはみな「お勤め」を終えた後で、少し疲れているように見えたが、一方で、三蔵からの意味不明な誘いを断るだけの、ちょっとした労力すら持ち合わせていないように見えた。実際彼らは三蔵の誘い(というより、一方的な指示)に対して、少しの抵抗も見せずに従った。

そして三蔵は、家の前に集まった10数名の住人たちの中央で、先ほど海岸から持ってきた丸石に座り、絵本に描かれていた三蔵法師がそうしていたように、目を閉じ、うんうんと唸りながら、経を読んだ。三蔵は経がどのようなものかしらなかったから、それは読んだというより、ただ想像し、うんうん唸っていただけなのだが。

気付いた時には、既に誰も居なかった。微かに、自分が立ち上がり、鳥のような声で叫んだ記憶があった。三蔵は無表情のまま、足元に鎮座する丸石を見下ろしていたが、やがて声に出さずに、「キエエエ」と呟き、ニヤリと笑った。


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