金のゆりかご |   EMA THE FROG

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同僚から借りた小説『金のゆりかご』(北川歩実・著)、残り10ページほどを読み残した状態で感想を書いてしまうで候。

この小説を読み始めた頃の記事の中で、僕はこんな事を書いた。

>(Amazonのレビューの中には)「とにかく文章力がなく、驚くほどページを進めるモチベーションがわかない」といった、なかなか厳しい意見もあるが、僕が同じ感想を持つかどうかは分からないし、読む前から想像する事でもない。

あの頃の僕に言ってあげようかな。
君はやがて、同じ感想を持つことになるんだよって。

そうなのだ。僕はそのレビュアーと同様、北川歩実という小説家の「文章力のなさ」に辟易する事になった。物語とかテーマとかではなく、多分その文章力のなさが原因で、「驚くほどページを進めるモチベーションがわかな」かった。ここで言う文章力のなさというのは、あくまで文章「力」のなさ、であって、「文章が下手」というのとは若干意味が違う。

北川は、「文章」を書くのはうまい。でも、「小説」を書くのは下手だと思う。500ページもあるこの小説の中にある文章のどれひとつとして、日本語が間違っているものはない。それぞれの文章を、トランプの神経衰弱をする時のようにグチャグチャに並べて、ひとつひとつを読んでみたら、多分誰もが「これを書いた人は文章が上手だねえ」と言うだろう。あるいは、「この小説はなかなか面白いんじゃないか?」と思うだろう。

ただ、これらの文章が、が実際に一つの小説として集約されたとき、僕はこの作品を「下手だ」と思う。

理由はいろいろ。でもここでは、伏線の回収がどうだとか、どんでんがえしがどうだとか、テーマの掘り下げがどうだとか、登場人物の魅力が云々といった事は言わない。僕が一番気になったのは、北川歩実が好んで使う、ある一つの文章パターンなのだ。これが僕にはどうしても気持ちが悪かった。

例えばある人物が、衝撃的な事実を話す場面があるとする。北川はこういう場面にさしかかると、こんな風な表現を決まって使いたがる。

「実は、僕はあなたの秘密を知っているんだ」
男はそう言って私に笑いかけ、話を続けた。
男の知っている秘密とは、こういう事だ。

この後に、「男」が「私」に語った話の内容が地の文(会話じゃない文章)で説明される。

 あのマンションの階段を上る私を男は偶然目撃した。男は密かに私の後をつけ、私があの人物の部屋に入った 事を確認した。その後しばらくして悲鳴が聞こえ、私が血まみれになって階段を駆け下りてくるのを見た。

…みたいな感じだ。ちなみにこれは僕が勝手に作った例文で、『金のゆりかご』とは関係ない。

話の発端のみ会話文にして、その後の内容を地の文で書くというこのパターンは、別に全然珍しい手法ではない。ただ、この作品ではこのパターンが使われる場面が異様に多い。僕はこの点だけで、この小説を下手だと判断したと言っても過言ではない。

要するに、アクション性、現在進行性、臨場感、緊迫感、ハラハラドキドキ、みたいなものが、このパターンを使い過ぎるあまり、感じられないのだ。全てがなんだか説明的で、事後的で、だから余計にご都合主義にも見えてしまう。<男は包丁を持った手を振り上げ、「死ね!」と叫んだ>おお!やばい殺されるぞ!とドキドキした所で<…その後、その男がとった行動はこうだ>と冷静な一文が入り、無機質な説明文が続く、と。

頭の中に映像が浮かばない、というレビュアーの意見も、もっともだ。この小説には、「出来事が今まさに進行中である」というドキドキ感がない。要するに、アクションに乏しい小説なのである。

そういう理由で(他にもいろいろあるけど)僕はこの小説を下手認定しました。面白くなかったわけじゃないんです。どちらかと言えば、面白かったと思う。ただ、このひとつの文章パターンのせいで、僕はずっとイライラしっぱなしで、あるいは萎えっぱなしで、だからもったいないなあという感じ。

平成16年に芥川賞を受賞した、阿部和重『グランドフィナーレ』の選評の中で村上龍が、「途中で世界情勢について長く説明する部分があるが、それを物語の中に組み込めなかったのは作者の力不足だ」みたいな事を書いていた。龍さんが指しているのは、「アメリカは何年にこんな事が起こって~その時ロシアではこんな状態で~」みたいな、歴史の教科書的な話を、クラブにいる一人の男が延々と説明する場面だ。この部分は確かに、物語の根幹にはほとんど関わってこない。ペドフィリア(小児性愛)というモチーフには、あまり関係ない話だ。

龍さんが言いたかったのは、ここで語られた「説明」をもっと物語(モチーフ)に絡めて、「アクション=現在進行中の出来事」として扱う事ができれば、もっといい作品になったのになあという事だろう(この時、村上龍は『グランドフィナーレ』を推している)。

また、小説を書く上で気をつけるべきポイント、みたいな感じでよく見るのが、「登場人物の性格は、説明するな」というやつ。「男は、臆病な性格だった」と書いちゃ、読者はなんだか冷めるのである。しかし、「子供の鳴らした自転車のベルに、男は飛び上がって驚き、やがて大量の汗が出た」みたいな風に書けば、臆病という説明はないまま、男が臆病であることは伝わる。後者のように書きましょう、というわけだね。

まあ、なんか長々書いた割にまとまらなくてちょっとへこんでますが、まあ要するに、『金のゆりかご』イマイチ!という話でした。