……見てしまいましたね?
これは、或る愚かで滑稽極まりない男の懺悔の記録。
決して読んで愉快になるものでは無いと思うのですが、貴方がもしそれでも良いと言う奇特な方でしたら、折角のご縁、クソ長い上に読み辛くて申し訳無いですがどうか最後までお付き合い頂ければ幸甚に存じます。
 

48グループksDDにして松村香織さんのいちファンであるオジヤンより。

Introduction

去る2020年6月28日、元SKE48でフリーのタレントの松村香織さんがtwitterの動画で結婚発表を行なった。
実の所、あの子の計画では日付を合わせて東京スポーツ紙面+ブブカと言うアイドル雑誌で公表する予定が、空気の読めない心無い人間により5chのスレッドにリークされてしまったので止む無く速めたとの事だった様だ。

(どうもあの子は自分のイベントで発表する予定だったらしいのだが、もしバスツアーなどで発表されていたら図太い私でも流石に帰り途中の電車で衝動的に早まった事をしていたかも知れないので、まあこれでも結果的にはマシだったのだろう。)
あの子のファン「かおたんず」の面々は一部モヤモヤした感想を漏らしていた人も居た様だが、概ね祝賀ムードだった。


……しかし一応その一員であったはずの私は酷く落胆してしまい、愚かにもまるでこの世の終わりが来たかの様な気分に陥りファンにあるまじき言動に及んでしまった。
他のかおたんずとそんな私との間で強烈な温度差が有った事は明確で、その時の違和感と底知れぬ絶望感に加えて日曜日であったにも関わらず幾つかの案件を同時に回さなければならない程の多忙ぶりで、心はすっかりグチャグチャになってしまっていた。
当日の私のツイートで、事ある毎に壁を殴った等の普段の私からは殆ど見られない異常なものがあったと思うが、あれは紛れも無い事実で、それどころか床や冷蔵庫もその対象であり冷蔵庫の表面は少し凹んでしまった(しかも、発表から1か月以上経った今でもあの話題が出ると未だに衝動的にしてしまう)。何とも恥ずかしい限りである。

こちらが八つ当たりを受けてしまって可哀想な我が家の冷蔵庫である。ヤフオクやメルカリに出品しても恐らくまともな金額では取引されないだろう。


そんな訳ですっかり追い詰められてしまった私はこれ以上現実を見たくないと強く思う様になり、アイドルオタとしての有力な情報源であり交流手段であったツイッターのアカウントを削除するまでに至ってしまった。
(実は、私と敵対する或る集団が私にするであろう「攻撃」を予測してのものでもあったと、ここで述べておきたい。そして残念ながらその予測は決して間違っていなかった事を次の日に嫌と言う程思い知る事になるのだが…。)
ここまで追い詰められていた私が早まった事を全く実行しようともしなかったのは私の無駄に大きい生命力によるものだったのかどうか不明だが、果たしてそれが良かったのかは今に至っても分からない。

この文章は、そんな愚劣で駄目な中年の私と、そんな私が心から愛する様になったあの子に関する一篇の滑稽な笑い話。
こんな稚拙な文章が、読んでくれた貴方にとって何かしらの糧になったのであれば幸いである。

Encounter with a Pretty Genius in Decades

そもそも私が『松村香織』を知るきっかけとなったのは、テレビでもラジオでも新聞雑誌でも劇場公演でもライブでも、「1コメダ」や長文ブログに代表されるあの子のSNSでも無く、と或る辞典サイトだった。
「めちゃイケ」により48グループの面白さを知った私は、或る常駐先を辞めた後数か月は48グループについて様々なメディア、サイトを調べる事にすっかり嵌っていたが、その中で只者では無いと感じたのは「指原莉乃」ともう一人、…そう、松村香織であった。
指原莉乃さんについては当時より各メディアに引っ張りだこだった印象で、当時放映されていた「指原の乱」辺りから彼女の凄さを思い知る事が出来、この子はモチベーションが続きさえすれば日本芸能史にその名を遺す人物にまで成長すると思ったものだ(この思いは今も尚続いている)。
さて、あの子の事に話を戻すが、知るきっかけとなったサイトはニコニコ大百科の「松村香織」の項(リンク)であったのだが、この中で彼女やファン「かおたんず」の所業が事細かく書かれており、執筆者も心底楽しんでいるのが文章から容易に掴めた。
 

「取り敢えずホラーRPGの概念であるSAN値(Sanity; 正気度)で表現されるアイドルって何なんだろう?」

「終身名誉研究生って何だその肩書は!?」

「研究生でありながら正規メンバーよりも人気があり本店(AKB48)メンバーよりも有名って凄過ぎ!!」

「そもそも総合プロデューサーの秋元康氏と深く交流が有るメンバーって限られているのでは…。」

「頭髪が薄くなったら女性アイドルであるにも関わらずSNSでそれを公表して、結果有名医師の治療モニターとして治療を受けられるってどんなだよ!??」

「かおたんずの過激行動ってよく逮捕者が出ないよな!スキルも高い連中が集まっていて怒らせたら凄く怖そうだ!!」

 

等々、挙げだすと本当にキリが無い!
変わったもの好きな私がすっかり夢中になってしまった(しかもこの時点では顔も知らなかった!)のは言うまでも無いだろう。
ただ、この時点では明らかに女性としてでもアイドルとしてでも無く、得体が知れないけど凄いヤツ、と言う印象しか無かった様に思う。

そんな訳で様々なメディア、サイトであの子の事を知るにつれ、このワクワク感は子供の頃時々感じていたが大人になった後はすっかり感じなくなっていたものと同種である事に気付いた。
私が子供の頃は、「8時だョ!全員集合」「オレたちひょうきん族」からとんねるず、ダウンタウン、ウッチャンナンチャン辺りの、少々過激なお笑いに熱中していたのだが、この、次に何をしでかすか分からない、したらしたで色んな意味で期待を裏切り結局満足させてしまう、そんなワクワク感をこの松村香織にも感じてしまっていた。
考えて見ると、20~30年位前のテレビ番組と現在のそれとでは、技術的には格段に進歩してはいるが純粋な面白さと言う意味ではすっかり劣化してしまった様に思える。
恐らくそれには様々な規制、主要な視聴者層の嗜好の変化等が原因として挙げられるとは思うが、その主要な担い手が居なくなった(当時の担い手もすっかり高齢化してしまった様に思える)事も原因では無いかと思っていた。
しかし、あの子が上手く成長すれば当時の彼らと同様、否、それ以上に大衆に笑顔を与えられるタレントにまで昇華出来るのではないか、と思う様になって行った。
(まあ、あの子からしてみれば随分迷惑な思い込みであったとは思うが…。)


ところで、松村香織によく似ている著名芸能人と言えば誰が挙がるだろうか?
外見だと川栄李奈さん、HKT48の渕上舞さん、AKB48チーム8の倉野尾成美さん辺り、言動だと江頭2:50さん辺りが挙がるだろうか。
(漫画家の小林よしのりさんはふなっしーに似ていると評していたが、これも中々なるほどとは思った。)
私は異論反論Objectionが挙がる事を重々承知で、かのお笑いBIG3の一人「ビートたけし(北野武)」さんを挙げたいと思う。
そして、これまた反論されるのを承知で話すと、あの子の芸能界におけるポテンシャルはお笑いBIG3に匹敵する、もしくはそれ以上にすらなる可能性を持っていると断言したい。
(実はこれは、指原莉乃さんに対する期待と同様である。)

SKE48加入当初と比べるとすっかり美しくなり、私からすると現在最高峰の清楚系アイドルグループ乃木坂48のメンバーと遜色無い外見(注意:私個人の感想です)だが、あの子の芸能界におけるSomething elseは矢張り次に何をしでかすか想像が付かない爆発的な言動と、それと相反する様に見える人情味溢れる言動(実は両者は深く繋がっている事が多いのだが)であると断言して良いだろう。
ビートたけしさんは若い時と比べるとかなり大人しくなった印象(と言うより世界的な映画監督等の文化人的なイメージが強いのかも知れない)だが、かつては強烈過ぎる毒舌漫才で一世を風靡しており、現在であったら確実に大炎上、番組降板間違い無しの差別的な発言も多々していたらしい。
彼の関わってきた番組も破壊的なものが多く、私も随分と楽しませて頂いたものだ。
それこそ、前述のテレビにおけるワクワク感をこれでもかと示して見せた一人と言えるだろう。
また、彼は後輩芸人たちに対して大変優しく接していた事で知られ、常人では到底実行出来ない様な寛大過ぎる言動により助けられた芸人は多いと言う。
…ほら、何処か共通しては居ないだろうか?

更に言えば、あの子がSKE48に加入するまでにキャバクラ嬢、メイド等のアイドルの前歴としては中々風変りではあったが、ビートたけしさんもかつては明治大学を中退後様々な仕事を渡り歩いたりアングラ演劇の裏方などを経験した後、浅草のストリップ劇場に飛び込み芸人人生をスタートさせており、何処か一筋縄では行かないと言う意味で共通していると言えるかも知れない。
また、彼は大学時代までは東京都足立区を離れた事が無い程の足立っ子(実は彼が住んでいた場所は私の現住所にかなり近い!)だったのだが、あの子が生まれ育った埼玉県和光市は住宅地+小さな工場が立ち並ぶ、足立区と何処か似た雰囲気を持つ町である。

(逆に言うと足立区がきわめて埼玉的な場所であるとも言えるのだが。)
あの子は時折下町っぽいというかオカンっぽいと言うか庶民的な言動をする事が多いが、そんな所もビートたけしさんを彷彿とさせる。
更に、冒頭でも示した様にあの子が縁深い東スポも、その客員編集長は北野武さんである。
また、エビフライデーナイト等であの子と共演し多大な影響を与えたと思われる大久保佳代子さんも学生時代から彼に心酔しており、かつてはビートたけしファンクラブに入っており彼が監督していた映画作品は全部観ていた程であったと言う。
最後に駄目押しで、両者は規模やフィクション/ノンフィクションの違いはあれど、自分が撮影した映像でその名を上げた所も共通しているでは無いだろうか(これは苦しいか?)。

…そう、あの子は恐らく気付いていないと思うが、両者は図らずも複数の接点・共通点・類似点があったのだ。
勿論これが妥当だったとしてもおいそれと関係を築けるとは思えないが、もしチャンスがあるならば、自分に芸能界における上昇志向が少しでも残っているならば、是非とも関係構築にトライして欲しいと願っている。
(実はもう一人、恐らく今後のあの子にとって指針となり得る人物として、漫画家の西原理恵子さんを挙げる事が出来る。彼女はあの子が経験してきた事を一通り経験し、かつあの子が未だ至っていない領域に既に至っていると言える為、是非ともこちらの関係構築もトライして欲しい所である。)

ちなみに余談だが、この松村香織ー北野武の関係性を、指原莉乃-森田一義(タモリ)の関係性、例えば芸風や出身地の距離などと比較して見ると中々面白い事が言える気がするが、まあそれはまた別の機会にでも。
ともあれ、もしあの子がバラエティー番組に進出しようとした時に指原莉乃さんをそっくり真似ていたとすればそれは大きな間違いだと思う(多分無いだろうけど)。
上記で示した様に、同じ女性アイドルグループでの異端児と呼ばれていてもキャラクターの方向性が全く違っていると思われるのだから。



………私の鬱陶しくて明後日の方向に向かっているっぽい「松村香織論」が長くなってしまい大変恐縮(実の所、この手の話を半日以上延々と続けられる自信があったりする)だが、それはさて置き、あの子に私が初めて会ったのは、恐らく向こうは全く覚えていないであろう、2014年10月26日に開催された「山田の幸 味わい祭り」で行なわれた「山田町ふるさと大使」の任命式の時であった。
あの子が就任して任命式が行われると知った私は、今まで会った事も山田町に足を運んだ事も無かったと言うのに何故か矢も楯もたまらず山田町行の夜行バスの予約を取ってしまっていた。
当時山田町は東日本大震災の被災から3年程度で、まだ爪痕も強く残っていた中で変な事は出来ないと思った私は現地ではあくまでも普通にしていた為、恐らく目立ってはいなかったはずである。

 


現地でのあの子は、黒いジャケットを羽織り山田町のアンテナショップで岩手県名産の山ぶどうジュースをしこたま買い込んでいたのが印象的であった。残念ながらこの時は特に会話などは出来なかった。
そんなこんなで任命式が無事終わり、その後であの子と是非会って話してみたいと思いSKE48の個別握手会に申し込み実際に赴いたのだが…。


以下矩形内は、私が握手会で初めてあの子のレーンに行った時のレポである(確か、その日最後の部のギリギリ鍵閉め辺りの時間で、丁度その時誰も他に並んでいる人間が居なかった!)。
ちなみにその日は出発直前まで急な仕事で中々抜けられず、自宅の足立区から握手会会場の横浜まで自転車で3時間半掛けて行き握手会が終わったらすぐに矢張り3時間半掛けて自転車で帰った事、そして握手会ではあの子以外のレーンには並ばなかった事、そして服装はワインレッドの作務衣で少し変わってはいたが現在私がしている様な異常極まりないコスプレでは無かった事を注記しておく。

 

私「どうもこんにちは!是非ともお会いしたかったです!!」
香「何でこんな遅い時間に来たんだよ(怒)!」


…何と、これで終わりである。
任命式で会った事を覚えていなかったのは無理も無いとは思うが、それにしてもこんな扱いを受けて良く次以降も行こうと思ったものだと、我ながら呆れてしまう。
だが、それ程までにあの子が魅力的な存在だったのだろう。事実、ここで握手した記憶自体はあの強い握力と共に未だに鮮明に記憶に残っている。

(ちなみに私は誤解される事が多いが決してマゾヒストでは無い。理不尽な事をされたらそれなりに怒る人間である。)

以降も、ksDDだった為に色々なメンバーのレーンに行っていた為に当時はそれほど熱心ではなかったにせよ、握手会に行った時はほぼ必ずあの子のレーンに行っていたものだ。
あの子と私の、何と説明して良いか悩んでしまう関係はこの時から進んでいく事になる。
 

My Beloved Guide

ところで、私オジヤンと言えばすっかり変なコスプレのおじさん(ジジイ?)で48グループ内で有名になってしまったと思われるが、実はその切っ掛けと言うか最初のモチベーションとなり以降も私の独特なオタ活の大きな原動力となったのは何を隠そうあの子、松村香織である。
元々大学院生の頃より少し変わったコスで周りを楽しませようとする事がたまにあった私だったが、それをそのまま48グループイベントにも持ち込もうとは当初は思っていなかった。精々幕張で開催された夏祭りイベントに合わせて髪形をモヒカンにした事がある位だった。

私が覚えている限りの48グループイベントでの最初のコスは、前述の任命式が開催された年のクリスマスイブ、つまり2014年12月24日の「三太」コスであった様に記憶している。赤い全身タイツに胸元と背中にでかでかと「三太」、顔には油性の白色絵の具で髭を表現、と今から考えても酷過ぎるものであったが、その切っ掛けは本当に単なる思い付きであった。

以下は髭は描かれていないが、イメージを掴んで頂く為の参考として掲載する。

確かこの時に行ったのはあの子と同期の須田亜香里さんだけだったはずだが、あの子の反応は単に驚くものだけでは無く、油性絵の具の髭の落し方に関する詳細なレクチャーをしてくれた様な気がする。
この反応を中々面白いと思った私は、以降も度々握手会に行った時は必ずあの子の所に行き、何かしらのアドバイスを受ける様になって行った。
メイドの格好をした時は、前日にも開催された握手会でそのアドバイスを受ける為だけにレーンに並んだりもしたものだ。

こちらも当時撮影したものでは無いが参考として。

 

また、あの子のファースト写真集「無修正」発売に当たっては、何とその発売イベントにコスプレで来てくれ、と依頼があったりしたのだ。
同様に「和光市応援団長」就任後の各イベントにもコスプレで来てくれ、と事ある毎に依頼してくれる様になって行った。

更に、稀にコスプレに関するリクエストも幾つか頂戴する様になっていた。
無論私はどれも二つ返事でOKし、あの子の期待の「斜め上」のコスになる様に頑張った。

 

確か名古屋の書店で開催された最初の無修正イベントのコスはこんな感じだったかな。

発売おめでとうの意味で全身金色、「無修正」と言う言葉からインスパイアされて股間に本物の葉っぱを付けていた様な…(汗)

で、この格好で実際にイベントで会ったら会ったで、その次の日に開催された「劇場7周年特別公演」にモニター観覧でも良いからその格好で来い、と言われて実際に行ってみたら特に誰かメンバーに会える訳でも無く私が恥ずかしい思いをしただけだった様な…(苦笑)

 

こちらが和光市開催のイベントでのコスのほんの一部である。

こんな酷い恰好の中年を温かく迎えてくれた和光市の皆様の寛大さに今更ながら深く感謝したい。


ちなみに、私があの子の為に披露してきたコスは、実は他のメンバー向けのものより数段過激なものに敢えてしていた。

大馬鹿野郎な私が無い知恵を振り絞って出来たコスを着た私をあの子が上手く捌く事により、魑魅魍魎だらけの芸能界を上手く乗り切れる為の訓練になればという、私なりの浅はかな配慮だったつもりである。

(余談だが、私の各メンバーに対するコスプレの過激度を敢えて数値化すると、松村香織:85%、指原莉乃:75%、バラエティーメン:60-70%、それ以外:50%程度であった。あの子のイベント向けのコスをそのまま指原さんに見せたら出禁になるだろうな、と朧気に感じていたのである。なお、現時点で私の100%を示せそうな若手女性著名人はあの子の友人の元セクシー女優・佐倉絆嬢のみと思われる。)

折角なのでそれらを含む、私があの子に見せてきたコスの一部を見て頂こう。

 

……本当に大概過ぎる。

例えばこの左上の写真は私があの子に、私が当日頭部+1か所に装着していた本物のマツタケを持たせたものである。

1歩間違えれば酷いセクハラになっていたと言うのに…(汗汗)


 

あとこちらは、2017年1月19日SKE48劇場にて開催されたあの子の生誕祭の為のコスだな。

かの「マツムラブ!」の衣装を模して新聞紙(全部東スポ!)を使って5時間位掛けて作った力作だったかな。

この格好で立ち最で観ていた為か、あの子が最初に前座で「マツムラブ!」を歌う為に出て来た時に所々で笑ってしまった様で、最後のお見送りの時に「何やってんだよ、この変態!!」って叱られたっけ。

 

 

毎年開催されていた総選挙では、いつもあの子の応援を中心に活動してたよな…。

でも私のやり方がいつも変だった(例えば東京、名古屋、大阪、博多の48グループ劇場がある都市全てでコスプレしてビラ配りを本気で実行しようと各地警察署に許可を取りに行ったりとか。全ての都市で申請し終わった所で運営からNGが出たのでポシャったが)ので、実は邪魔にしかなっていなかったのでは?選対の皆に迷惑がられていたんじゃないか?と今になってみれば反省しか無い。

(当時の選対の皆様、その節は色々申し訳無かったです。)

総選挙の時に作った宣伝画像や、現場のオタや和光市の皆様にポスターと一緒に配った配布物も結構沢山あったよな…。

これも凄く数が多いのでほんの一部だけ。

 

 

こちらはレンチキュラーと言う特殊な印刷技術を使った宣伝用のカード。

結構頑張って作ったんだけど、あの子には呆れられていた様な気が…(汗)。

 

しかし、良く今まで数年間も出禁にならなかったものだ。
あの子やスタッフ諸氏の寛大さに心底感謝したい所である。

 

否々、考えて見ると、元はあの子のリクエストが大本になっていたものが多い。

これを書いている現在はオタ活休止中ではあるが、私の存在が48グループ中に広く知れ渡る様になりそれなりに受け入れて貰える様になったのも、元はと言えばあの子が私の風変わりなオタ活のスタンスを受け入れてくれその後も度々アドバイスをくれたのが切っ掛けではないか。そう考えると、次の様な事が言える。

 

と!

 

これは前述の森田一義さんが駆け出しの時にお世話になった赤塚不二夫先生へ向けて贈った言葉が基になっているのだが、私とあの子の関係もこの様に言えるのでは無いだろうか。

(そう言えば、いつだったか握手会であの子から「こんな大きい子を産んだ覚えは無いよ!」とか言われた事があったな…。
どんなシチュエーションだったか忘れたけど、取り敢えずアイドルの握手会で言われる言葉では無いな、コレ(汗)。)

 


こうしてあの子に深く関わる様になって行くに連れて、私はある事に気付いた。
実はあの子のSKE48人生は、私の院生時代に大変良く似ていると言う事を。


私は学部時代あまり点数を取る事に熱心で無かったので首席では無かったものの、一桁番目位の順位に居た(と、卒研の指導教官氏から聞いた)程度にはそこそこ優秀だった事から、大学院に入りたての頃は無駄に自信があったのだが、内部生や京大、東北大、早慶などの出身の院生は誰も凄く優秀で、進学後程無くして私は劣等生の扱いを受ける様になってしまっていた。
私なりに努力もしたが全く通じず、私自身の奇行(実は女性絡みの事が圧倒的に多い!)も相俟って、進学して数か月後には「東大始まって以来の最悪の馬鹿」とまで呼ばれてしまう程にまでなってしまった。
しかし私は諦めず、私が少年時代からずっと続けてきたプログラミングの技術を生かし、それを研究やそれ以外のイベント等にも駆使し続けた結果次第に認められる様になり、その分野においては某学会一番の○才(少し恥ずかしいので伏字にしたが)とまで呼ばれる様になり、独自のポジションを築くまでになった。
あの子も、SKE48入りたての頃は年齢や性格などが災いして長い間全く認められなかったが、数々の奇跡的な出来事やそれに悉く喰らい付いて見せた根性により仲間やファンや関係者の支持を得て、SKE48における独自のポジションを得る事が出来た。


…そう、あの子を見ていると私の若い頃を見ている様な気分を抱く様になり、同時に色々と危なっかしい事をする事に付いて放っておけない存在になって来ていたのだ。
何しろ、在籍後期には自分の立ち位置に悩んだりモチベーション低下も感じてしまい、卒業後の進路にフリーランスを選んだ所まで大変似てしまっていたので、増々放っておけないではないか。

ちなみに私も経験した事だが、「異端児」のポジションに就いてしまった者はその位置に甘んじて他者との競争を避ける様になってしまい、結果として集団内においては大成出来ない傾向がある様に見える。前述のビートたけしさんや指原莉乃さん辺りは例外中の例外なのだろう。

そんなこんなで何だかんだと楽しかったSKE48在籍時代だが、あの子が2018年9月15日「SKE48 リクエストアワー セットリストベスト100 2018 〜メンバーの数だけ神曲はある〜」にて卒業発表し翌年5月に卒業した事により終焉を迎える事になってしまった。
思えばこの頃までに強い結婚願望を示しており、私自身も最後の握手会に「かおたんの結婚願望を具現化した」コスで赴いたのだから、結婚は早くなるであろう事は頭では分かっていたはずなのだ。
それも忘れてしまうとは、私は何と愚かだったのだろうか。

After 48

私の一推しであったあの子と、指原莉乃さん、そして山口真帆さんが何の偶然だか運命だかほぼ同じ2019年5月近辺にそれぞれのグループを卒業した事に加えて、実は握手会での入場制限が厳しくなり、特に私は異常とも言えるチェックを受ける様になったため48グループ現場へのモチベーションが急速に低下して行ったのだが、それでも私自身のオタ活は充実していた。
あの子のイベントがほぼ毎週1回の頻度で何処かしらで開催されていて、休む暇すら与えられなかったからだ。
あの子のイベントならどんな場所で開催されたとしても、それこそ僻地であろうと離島であろうと必ず足を運ぼうと強く思ったんだ。

東京、埼玉、名古屋、大阪、京都、三重県津市、阪神、岡山県児島、秋田県横手、岩手県山田町、金沢、三重県紀宝町…、
全て私が実際に足を運んだ、卒業後のあの子のイベントの開催地である。
公になっている結婚発表までのイベントのうち、行けなかったのは2019年7月5日新橋の公開収録だけだったと記憶している。
(これは、次の日に大阪3箇所のイベントがあり、その日に合わせて前々日の時点で大阪に前乗りしていたので止むを得なかった…。)

ちなみにこれは大阪3箇所(ウインズ道頓堀、ウインズ難波、りんくうパピリオ星の広場)で開催した時のコスで、移動も着替えるのも大変だったけど楽しかった!


岡山児島ではガァーコのコスだったけど、競艇場のスタッフの人に特に受けていたな。


 

秋田県横手ではやきっピのコスだったけど、実は目玉焼きの黄身に見立てて顔を黄色く塗りたかったが塗料を忘れて来ていて、仕方が無くイベント会場のスーパーで黄色の水性絵の具を顔に塗ったくってイベントに参加したっけ。(下の画像は塗る前です。)


 


こちらは2019年6月30日に山田町で開催された「まちびらき」イベントでの『ヤマダちゃん』コス。
町の人の反応は概ね良かった…かな?(汗)

 

 

金沢のひゃくまんさんは我ながら強烈だったなぁ…。よくコレにしようと思ったものだ(汗)。

 

これもまた問題作だなぁ…。

この「奥多摩トメ子(とめちん)」は元乃木坂46の川後陽菜さんとの共演と言う事で、『「こんな奴は絶対に乃木坂メンバーには居ないだろう」と言う乃木坂研究生』というコンセプトで考えたコスなんだけど…、色々酷過ぎた!

取り敢えず、「乃木坂不動のエース」として乃木希典閣下の写真を背中に抱えるのは罰当たりにも程があるので辞めとけ自分…。

 

紀宝町は凄く辺鄙で交通手段もごく限られた場所だけれど、実は私の母の実家がある地でその隣の和歌山県新宮市は私が産まれた病院のある所なので、このイベントにあの子が来た時には不思議な感じがしたなあ…。
運命的な物すら感じたのだけど、どうもそれは錯覚だった様だ(泣)


他にも沢山あるけど少しずつだけ…。


とにかくこの頃は東奔西走で大変だったけど、本当に楽しかったな。
あの子がSKE48に在籍していた頃は他のかおたんずに遠慮していた所があった気がするのだけれど、卒業後は(少しだったかも知れないけど)距離が近くなった気がしていて、あの子を何としても盛り上げたい気持ちが日増しに強くなっていた気がする。

でも、この時に気付くべきだったんだろうな。
私は48グループ全てのksDDを名乗っておきながら、その実、各メンバーへの思い入れには大きな偏りがあった事。

あの子の卒業後、SKE48においてはあの子以外には(各メンバーについて気になってはいたが)まるで見向きもしなくなっていた事。
そしてそれらの行動のモチベーションが、或る一つの抱いてはならない思いから来ていたと言う事を。
 

Deadly Sin Frenzy

私の大きな罪。
それは、決して成就する事は無いと頭では分かっていながらもあの子を一人の女性として深く愛してしまっていた事、
そしてその本心に長い間、結婚発表の数か月前になるまで愚かにも全く気付かなかった事であろう。

(余談だが、48グループの握手会でHKT48(当時)の宮脇咲良さんに会いに行くと、後期、豆腐プロレス以後は何故かほぼ必ず、「あなたはかおたん推しでしょ?」と質問され私はそれをやんわり否定する流れになっていたのだが、実は彼女は当時自覚していなかった私の本心に気付いていたのかも知れない。うーん、女子って凄いよね。)


結婚発表の数か月前にようやく自分の本心に気付いた私は、滑稽にもあの子を振り向かせるにはどうするか、真剣に考えて何とか実行しようとする日々が続いた。
不運な事に、その頃は新型コロナウィルスの蔓延によりあの子が参加するイベントが軒並み無くなり会える機会すら無くなっていたのだが、想いは募るばかりだった。

私は、6歳の頃から40年近くずっと生物学者になるべく生きてきた。
結局博士号の取得が叶わなかった今でもその夢は未だに諦めておらず、機会は院生の頃より少なくなったけれど何とかその道に関われる様に繫がりを保てる様に努めてきた。
(そんな人間がアイドルの追っかけをしているのは変じゃ無いかって?まだ詳しくは言えないけど、これもれっきとしたフィールドワークの一環なんだ。)
その夢を全て放棄して、私の人生の残り大半をあの子の近くであの子の成功の為に捧げようと思っていた。
私のスキルであればあの子のサポートが出来ると、無謀にも確信してしまっていた。
また、あの子に相応しい人物になる為に私のこれまでの仕事のポリシーであるフリーランス一本の道を少し曲げて、或る信頼できる人物からの誘いを受けて新規設立会社のCTOにも就任し、またこれまでのお得意様との関係も円滑になる様に務め、出来るだけ高い収入を得られるべく励んできた。

だが全ては遅過ぎた。そして無駄過ぎた。
始める前に既に終わっていたのだ。

きわめて鈍感な私は、あの子のプライベートについては全く勘づけなかった。
それこそがタレントと一ファンとの決して縮められない『距離』だと言うのに。
(尤も、冷静になって思い出してみると、ファンの中には「気付いていた」人達は間違い無く居た気はする。そんな観察眼が欠けていた私はあの子のファン失格なのだと思う。)
ごく一部、例えば地下アイドルと要領の良かったファン等に見られる様な例外は聞いた事があるが、不器用な私には到底出来ない、しかも相手は数十年に1人位の逸材。特に秀でたものを持たない私などは到底相手にならなかったのだ。

そんな訳で現実を否応無く見せ付けられて絶望した私だが、実は未だに立ち直れておらず未練たらたらだったりする。
…本当に私は弱くて醜いな。
偶然ネット記事でチラリと見たあの子は本当に幸せそうな笑顔を見せていて、ファンとしてはこれ以上無い幸せを感じるはずなのに。

Advocacy

さて、これまでは私の醜く滑稽な心の内を書き連ねて来た訳で、この時点で著しい後悔と羞恥で悶えてしまっているのだが、本稿を「NGT48事件ブログ」の追加の1章として書いたのには大きな理由がある。
あの子がNGT48事件について述べた或る発言について、今更感が強いが私なりに擁護したかったからだ。

その発言とは、2019年5月29日にAbemaTV『DDTの木曜The NIGHT』に出演した時のものである。
まあはっきり言ってしまえば、あの発言自体NGで私も完全には擁護できないと思っている。
恐らく、元を含む48グループメンバーが現実的に取れるスタンスは2つ、「被害者に明確に寄り添う姿勢を示す」か「一切黙秘する」のどちらかのみであった様に思う。
そもそもAKSがかなりのブラック企業であったであろう事は、所属メンバーが受けた暴行事件に対する異常極まりないスタンスを見る限り明確であり、そんなブラック企業に所属している人間が公の場で所属企業にとって都合の悪い事を言える筈が無い。
言及するには、それこそグループを辞める覚悟が必要で、場合によっては辞めた後でされるかも知れない嫌がらせ(山口さんに対するメディアによるネガキャン等からも窺い知れる)の可能性を考えれば、緘口令があろうと無かろうとおいそれと言えるものでは無いだろう。
そんな中、上記の2択では無く事件について何かある様に匂わせる発言をしてしまったのは完全にNGであり、あれは幾つかの誤解や憶測を生んでしまいかつ無駄に敵を作る行為だったと思っている。
暴行事件自体があったのはこれまで公開されてきた資料、事件関係者の諸発言等から明らかで、被害者が同じ48グループメンバーであった以上何かしら寄り添う姿勢を示すのが自然であり、それをしなかったのは明らかに不自然で自身の評判も落としかねないものである。
…だが、あの子の性格からして、寄り添う姿勢を示さなかったのは何か特別な理由があったからなのではないか、と私は考えている。(「人望民」の主張している様な、事件自体が無かったからとか山口さんの言動に虚偽等の問題があったから、等と言う愚にも付かない理由では無いだろう。また、あの子の発言を曲解して利用し山口さん支援者を批判する意見が人望民を中心に散見されるが、あの発言は自身および48グループメンバーを対象にしており支援者の発言を抑制する為のものでは無いのは明らかで、これらの意見が出て来る事はあの子も望むものでは無いだろう。)


以下はあの子をそれなりに知る私による異説かつ憶測であり、決して確証がある訳では無いと言う事を強調しておく。


 

実はNGT48事件後のと或るイベントで、ある48グループ関係者(人物の詳細は決して言えないが)がその年の大イベントが潰れたせいで仕事が減ってしまい山口さんを恨んでいると聞いた事がある。
…まあそれは明らかにお門違いであり持ってはならない恨みなのだが、私はここでハッとした。
例えば48グループのメンバーにも、事件が原因で自分をアピール出来るイベントが軒並み潰れてしまった為に、同じ様に山口さんを恨んでいる子が居るのではないか、と。
特にSKE48の若いメンバーには、特定のイベントのみにファンのリソースを集中させるメンバーが多数存在する(あの子、松村香織もその一人だった)。
例えば後輩メンバーの中に、他のイベントにはファンに注力させずに総選挙にのみ注力させようとしていたのが中止になり計画が御破算になってしまった子が居たとしたら?
そんな子が居たならば、もしかしたら上記関係者と同様に事件の存在を憎み、被害者の山口さんの事すら恨む事があるかも知れない。
(しかし、もしそんな心の内を公表しようものなら、当然、自身の著しいイメージダウンは避けられないだろう。)

その状態で、もしあの子が被害者に寄り添う発言をしたならば、もしかしたらそのメンバーは深く傷ついてしまうかも知れない。
…あの子はそう思ったのではないだろうか。

あの子は、自分自身よりも近くの仲間やファンの事を優先してしまう傾向が強い。
そして、守るべきものを守る為ならば自分が傷つく事を恐れない。
これは、誰であろうと他人を酷く利用してでも蹴落としてでも成り上がろうとする自己顕示欲の塊である芸能人本来の性質と合わないものであり、そう言う意味では芸能人に不向きなのかも知れないが、私はだからこそあの子を芸能界に強く推したいと思っている。
著名なタレントの生き様は大衆の生き方にも影響を与える事が多い。
兎角自分本位になりがちな昨今、あの子が他者を優先しつつ成功する生き様を示す事の意義は大きいと思っている。

それは兎も角、本来は事件被害者に寄り添う発言をした方が今後の自分の為でもあったのだが、上記の理由によりそれが出来なかったのではないだろうか。



以上は私の希望的観測が含まれる「異説」であり、勿論こうでは無い可能性が高いだろうとは思う(それよりも周りからの有象無象の圧力を感じてまともに発言出来なかった説の方が有力?)が、あの子の性格を相応に考慮したものであり、一応あの子の説明と事件の背景の間に整合性がそこそこ取れているものであろうと述べておく。
(ただ、あの子は幾つかのクローズドなイベントで事件について言及しているらしいのだが、不運にも私が遅刻などの理由で聞いていない事が多いのが悔やまれる所である。)

まあいずれにせよ、グループは違えど同じ48グループ出身で今後仕事で一緒になる機会が無いとは言い切れない(先日もかの元祖神セブンの1人、板野友美氏との共演もあった事だし)のだから、これまでの経緯からすると難しい気がするがどうか仲良くして欲しいなと薄甘い期待をしている。

 

Final Letter & So Long!

そんな訳であの子と私について取っ散らかるのを承知で色々と書いてきたが、私の醜い本心が知られてしまい随分迷惑も掛けてしまったので、今後はイベントには参加せず最初の頃の様に在宅ファンとして彼女の活躍を影ながら見守る事になるだろう。
…そう、元来タレントにファンがおいそれと簡単に会えてしまってはいけないのだ。
(これはあくまでも私の考えであり、あの子やファンのスタンスを否定するものでは無い事は注記しておく。)


最後に、折角なので私が今回の件に関してあの子に宛てて書いた手紙を貼り付けておこう。
なお、この手紙の実物をあの子に送る予定は特に無い。(それにしても汚過ぎる字だな…(汗))





どうか松村香織さんが公私ともに今後も幸せでありますように。
それが私の心からの願いである。


 

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………と締めるつもりだったのだが、世の中そんなに甘くは無かったらしい。
これまでの握手会等に関する様々なソースを総合して、てっきりあの子は去る者は追わずのスタンスだと思っていたのだが、と或る動画を観た限りではどうやらあの子にとって私はまだ必要な存在の様だ。
(だって思いっ切り名指しで「戻って来い!」とか言われたらなあ…。)
いちファンからしてみればこれは大変光栄な事なのだが、それにしても人の気も知らずに…(怒)。

…と、ともあれ、私はまだまだあの子から離れる事は出来そうに無い様だ。
復帰までにやや時間が掛かるとは思うが、これからも私は、己の人生を掛けて私なりのやり方であの子の応援をしていく事になるのだろう。
うーん、私って一生彼女も結婚も出来ない気がするなあ……涙

 

 

 

『松村香織とオレ物語』 To be continued...