どうでも良い話だが、私は、かなりの“めんくい”です。“めんくい”と言っても、麺を食う方(笑)

 

日本には、うどんやそば、そうめん、冷や麦、・・・等々と、たくさんの麺類がありますが、中でも私がこの上なく愛してやまないのが、麺界の王様「ラーメン」です。

 

※勝手に私が王様扱いしているだけです。ラーメン以外の麺を王様と言われる方々の否定をするものではありません。

 

これは、当たり前すぎて、きっとご存じない方はいない!と言いたいところですが、ラーメンは、中華料理ではありません。れっきとした、中華風の日本食。

 

海外に長期間滞在することになった若かりし頃の私は、周囲の日本人の友人が「お米とお味噌汁が食べたい」とホームシックになっている中、たった一人で地球の反対側から、「ラーメンを食わせろ!日本のラーメンを!!!」と叫んでいました。本気で。

 

そんなわけで、成田空港(羽田だったかもしれない)に着いた瞬間、ラーメン屋に走ったのは言うまでもありません。あの頃は、変な偏見のようなものがあって「ラ―メン屋に女の子が一人で入るなんて・・・」とかいう意味不明な風潮がありました。めちゃめちゃ視線は痛かったです(笑)

 

が、まさに、有名なお笑い芸人さんよろしく、『そんなの、関係ねー!』なのです。

 

「こちとら、半年以上、ラーメン食ってねーんだよ!この気持ちが分かるんか、バカヤロー!!!!!」※もちろん、絶賛、心の叫び、です。

 

(今では当たり前になりましたが、ラーメン屋に女が一人で入ることに対する、周囲の空気は本当にひどかったのです。)

 

今では、おひとり様なんて言葉もあり、コロナのおかげ(というのは、言い過ぎですが)隣の席との間隔は、以前ほど密着もしていない。また、女性が一人でラーメン屋に入る機会やお店の作り方の工夫もあり、あの頃の私の窮屈さは皆無。本当に、自由な世の中になってくれてよかったよ。と思います。

 

 

さて、そんな私には、まさに、私の運命の転換期に必ずと言っていいほど、

 

そっと・・・というのか、

 

ひっそりと・・・、でも、必ずと姿を現してくれる運命のラーメン屋さんがあります。

 

あれは、確か、10年以上前のこと。人生に疲れきっていた私は、結構本気で、死ぬつもりでした。

 

うつ病っていうやつですね。しかも、ものすごい重度の。

人によって、症状は様々で、眠れなくなったり、気力が減退したり、動けなくなったり、食べられなかったり、逆にたくさん食べてしまったり・・・と、症状は様々なので、なんとも説明がし難く、また、寛解する方が珍しいともいわれる病です。病気との上手な付き合い方を、自分で見つけていくしかない。

 

話は少し外れますが、皇后の雅子様が、ご公務に就くことができるようになった時、私は、ものすごく強い方なのだと思いました。私もいつか、そうなりたいとも。

 

さて、人生に疲れ切っていたあの頃の私は、眠れなかったのはもちろんでしたが、まったく食事をすることが出来ませんでした。

 

もともと食が細い方で、そんなに太ってもいませんでしたし、正確に計測もしていませんが、おそらく、10キロ以上は体重を落としていたのだと思います。見るからに骨と皮のような私を見た周囲の人は明らかに心配し、

 

「ちゃんと食べなきゃだめだよ」

 

と、毎回注意をしてくれました。

 

でも、その頃の私が彼らに思っていたのは、あからさまに面倒くさい人間の限界論だったし、実際に、口に出して言っていました。

 

「人間は3日水分を取らなくても生きていけるし、7日間食べなくても死なないから大丈夫! だから、私は死んでないでしょ?」と。

 

生物学的に事実だとは言え、まともではなかったと今なら思えます。

 

というよりも、今では全く考えられません(笑)

むしろ「美味しいものが食べられないくらいなら、死んだ方がまし!」と考えられるようになっています。きっと、あの頃の私は、私という皮をかぶった別人だったに違いありません。

 

そんな、私でしたが、とあるお店(言い方はすごく失礼ですが、“キタナシュラン”に出てきそうで、いかにも、“一見さんお断り“な、場末?のラーメン屋さん)に、ふら~と、もう、本当に、ふら~~~、っと、吸い寄せられたのでした。

 

ランチタイムはすっかり終わっており、店内は、常連さんとオーナーらしきおじさんが、煙草をふかしながらコーヒーを飲んで、世間話をしていました。

 

もう、冗談でもなんでもなく、その場にいた皆さんの私に対する視線は「何しに来たんだ、お前みたいな若い女子(おなご)が???」というものでしかありませんでした。

 

「すみません。ラーメンは、もう時間外でしょうか?」

※たいてい、午後の2時か3時でラーメン屋さんはランチタイムが終了します。

 

と、私は、常連さんたちの威圧感に負けじと、でも、遠慮がちに、普段は絶対に出さないような女の武器を使いまくって(笑)、か細く聞きました。

 

考えてみると、その日まで、私は“すっぽん”とうものを食べたことがありませんでした。

ラーメンはもちろん大好物でしたが、実際のところ、これが、運命の決め手だったのかもしれません。

 

子どものころから、人生の幕が降りる瞬間というものがきっとあって、私は死の床で、「○○をしておけばよかった」「××を食べてよかった」と、後悔するに違いない。そんなのは絶対に嫌だ、と思って生きてきました。

 

どんな人生であっても、「ああ~~~~。よう、生きた。色々あったけど、良い人生だった!」と、思って死にたい。

(漫画『北斗の拳』を読んだことはありませんでしたが、その中の超重要人物が同じようなことを言っているんですね!)

 

そんなわけで、私がその後”清々しく”あの世に旅立つためには、“すっぽんラーメン”を食べておく必要があり、それは超重要な経験だったのです。

死ぬ前に食べておかないと、私は決して成仏もできず、おそらく、ラーメン屋さんの前でウロウロするような、“見えない不思議な何か”になっているはずだ。

「食べたかった」「無念だ」「すっぽん」・・・と、お店の方からすれば、もはや営業妨害だったに違いありません。

 

そんな、私の“気負い”を感じたのか(?)オーナーさんは、快くラーメンを作ってくださりました。

 

私は、「美味しい。美味しい」と言いまくっていたし、自分でも気づかないうちに涙が止まらず、こんなにも幸せになれる食べ物がこの世にあっていいのかとさえ思いました。

 

本当に美味しかった。

 

ラーメンという大好きなジャンルを抜きにしても、今まで食べてきた料理のどれよりも美味しいと思えました。

今思えば、その時、自分が失いかけていた“生きる力”を補充できたのだと思います。

私はまだ、すっぽんどころか、アナコンダ(?)とか、サルの脳みそとか、食べてもないじゃん!!!?

(これは極論ですが。本当にそういう気分になったんです。)

 

結構な量にも関わらず、2杯目のお代わりまでして、「おねーちゃん、本当に食べられるのか?」と、心配されました。でも、二杯ともお汁まで完食!

 

あれだけ、何も食べられなかった私が、あれだけ食べたのは、生涯、あの一回きりです。

 

翌日、絶対に私の親友を連れてくると言い張って、その日は帰りました。

もちろん、翌日も、ペロリです。

 

ふら~っと見つけ、ふら~っと立ち寄り、その場の空気も全面無視(?)して注文した「すっぽんラーメン」。

 

私の命を助けてくれたといって過言ではないどころか、間違いなく、私の人生をも変えてくれた素晴らしいラーメンとの出会いでした。

 

~後編に続く

 

Title「運命のラーメン」