今回のテーマは『豊田清』(思い出の現地観戦 その3)です。
2001年9月3日
西武 対 近鉄 (西武ドーム)
現地観戦したこの試合。
決して西武球団史に印象に残る、後年に語られるような試合ではありませんが、ライオンズにとっては非常に重みのある試合でした。
まずはこの試合に至るまで経緯を簡単に振り返ります。
2001年シーズン、開幕早々にライオンズに暗雲が立ち込めます。
ストッパー・森慎二の絶不調。
勝ちゲームを落とすこの緊急事態に白羽の矢が立ったのがローテンションを守っていた豊田清。
東尾修監督、加藤初コーチの粘り強い説得もありストッパーに転向。
そしてこの起用が見事にハマり大車輪の活躍をみせます。
しかし、慣れないポジションでの起用に疲労も蓄積されていきます。
悪夢の始まりは8月15日、福岡ドームでのダイエー戦。
同点で迎えた延長10回裏、先頭打者の井口忠仁が9回からマウンドに上がっていた、豊田の初球のカーブを右中間スタンドへ運びサヨナラ負け。
これまで27セーブポイントを挙げてきた豊田はこれがシーズン初黒星。
そしてその10日後、同じ福岡ドームでのダイエー戦で2度目の悲劇が起きる。
リードして迎えた9回裏、マウンドに上がった豊田は1死一塁で松中信彦にインコースのストレートをライトスタンドへ逆転となる31号2ランを浴びサヨナラ負け。
3度目の悲劇は3日後、グリースタジアム神戸でのオリックス戦。
2点リードの9回裏1アウト一、二塁。
アリアスに対し2ストライクと追い込みながら勝負球のフォークが高めに抜け、まさかの逆転サヨナラ3ランを打たれ、これはプロ野球記録となる月間3度のサヨナラ被弾でもありました。
悲劇はまだ終わらず、31日の千葉マリンスタジアムでのロッテ戦。
3対3の9回裏2アウト二塁。
サブローの打ち取ったはずのフライがセカンド後方へフラフラと上がり、センターも懸命に前進するも打球は二人の中間をポトリと落ち、またしてもサヨナラ負け。
月間4度のサヨナラ負けを一人で喫することになった豊田。
さすがにファームに落とすかなと思いましたが、東尾監督はそのまま一軍に。
そこから2試合、豊田が登板してもおかしくない場面がありましたが起用せず。
そして迎えたのが9月3日の近鉄戦でした。
試合は4対0、ライオンズリードで迎えた9回表。
セーブポイントがつく場面ではありませんが、豊田の名前が場内に告げられます。
この試合は三塁側内野自由席での観戦で、近鉄応援団が陣取るレフト外野席上段に近い位置にいました。
「ピッチャー豊田」の場内アナウンスに拍手で大盛り上がりの近鉄応援団。
「うわ!ムカつく!」
豊田の状況を知っているからこその拍手でしたが、
さすがに近鉄応援団が憎たらしかったですね(苦笑)
「絶対に抑えて、近鉄ファンを黙らせろ!!」と応援にも力が入るなか豊田がマウンドに・・・
