アメブロでまた書こうかな。


そう思うきっかけになった、

昨日話しかけてきてくださった方が


私は仕事でスーツを着ていたんだけど

絵馬さんをみていて、

私も好きなものを着たい思ってといって見せてくれた足元には


私が一番好きな靴

デイジーリンのWATSを履いていました。


その方のお気に入りにもなったそうです。





自分で生きるというのは実はとても怖い事で、


少し我慢する方が、圧倒的に楽で上手くいくのです。



ふざけんな!って思ったけど、

このくらい大丈夫ですよ。と、にこにこしておくとか、


少し嫌だけど私が黙っておけば波風はたたないとか、


キャパオーバーだけど、私が頑張れば、なんとかなる。

私が少し我慢して頑張ればみんなが楽になって問題は置きない。とか。


もうお腹いっぱいでたべたくないけど、

あと三口たべれば完食できる時とか。

(私、こういう時絶対たべないです。お行儀悪いといわれても)


少しの我慢、いっぱいでてきます。笑



これは、ほんとうに楽で。


周りの人からもあの人はいい人だよね。って言われるし。


ちゃんとした人って言われるから

ちゃんとできる自分の価値も感じられる。



でもそれを重ねた先にあるのは

自分を嫌いになってしまう事なのではないかな。

と思っている。



ほんとうは嫌だとか

もうキャパオーバーだよ。

という

自分の願いを、

一番近くで聴いていて


叶える事ができる

唯一の自分がねじ伏せるのだから。



子供が僕は悪くないもん!と怒っている時に


波風をたてないために

いやうちの子が悪いんです。

ほら、あなたもわがままいってないで謝りなさい!といっているお母さんと子供みたいなものだよね。



良い悪いではなく、好みですが


私は、自分にも子供にも


怒っている時はどうしたのか話を聞きたいし


誰かに嫌われる事になっても

聞き分けのいい人になるために

自分の感情をないものにはしたくない。



わがままになる事とはまた違う


自分で存在するというのは

時に波風はたつけれど


私が好きなお洋服を着ていたら、

あ、私も好きなものを着よう。

と、誰かのインスピレーションになるように


自由に、軽やかに発展していく方が好きだから

やっぱり自分のほんとうを大切にしてくほうが、すきだなー。と思います。


ではまたっ!