今回は私が不倫を100%否定しない訳についてお話ししていきます。
これまでのブログでも不倫はカルマになると再三お伝えしてきました。
私も基本的には不倫に反対です。
ですがタイトルにある通り100%否定は致しません。
理由は色々あります。
まず何事においても0か100か思想では全ての人が生きづらくなってしまいます。
人間は間違いを犯す生き物であり、時にはそのような学びも必要なのです。
(私も過去世で不倫していましたしね)
また夫婦でお互いの婚外恋愛を容認している場合。夫婦は大切な家族であり離婚はお互い考えていないけど外に癒しを求めると言う事はあるかもしれません。(夫や妻が「容認している」と言うことが重要であり、傷ついているのであれば容認していることにはなりません)
不倫でもカルマがなくカルマにもならないで出会う事が稀にあります。この場合相手の妻や夫を傷つけることもありません(相手が傷つかない)。カルマメイトの不倫とは違い彼や彼女と音信不通になったり傷つけられることもなく幸せに結ばれます。もしくはその不倫自体に何か意味がある場合もあります。
このように「大いなるもの」の設定により罪にならない不倫、不倫することが正解となるようなルートの人達も稀に存在しているのです。
上記のような理由により不倫を100%否定する事は出来ないのです。
しかしです。不倫の大部分、9割の人達はカルマになってしまいます。
半世紀前の日本なら気軽に不倫している人は皆無に近かったでしょう。
それが今や当たり前のように存在し、ネットを開けばサレ妻垢から婚外垢までごまんとでてきます。
過去世からのカルマで出会っている人もいれば新たなカルマを作っている人もいるでしょう。
それが軽い遊びならまだしもドロドロの本気不倫をしている(本気不倫がしたいなら離婚してからにしてください)。
中には本人に働く意思も能力もない専業主婦で夫に養ってもらっておきながら不倫をし今度は夫を捨てて不倫相手に養ってもらおうなどと都合の良い事を当たり前のように考えている人もいます。
自由なのは良い事ですが何でもかんでも自分の思うように手に入れたいと言う我欲の強さがカルマを生み出しているのです。
婚姻というのは魂界のルールにおいても人間界のルールにおいても非常に重たいものです。
多くの人がダメなものを諦める、我慢するということを忘れてしまっています。
そこをダメなものはダメなんだとグッと堪える気持ちをもう一度思い出してほしいと思います。
たとえ気持ちが外にあったとしても恋の成就は諦め、内に秘め、ある種のエモさを抱えて生きていくことは人としての深みを与えてくれるのです。