どれでも良いよ、が叶うなら。 | 過去、現在、みらい。

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こころのこと、子どもたちのこと、私のこと。

 

 

 

小さいころ

みんなで食べよう、と出された色んなケーキたちを

 

 

父親からの視線が怖くて選べなかった。

 

 

 

 

 

しまむらで冬物のコートを買う時

 

 

可愛い!と思うものがあったけど

 

 

値段を見た母親の反応が”可哀そう”で

 

 

ときめかない安いものを選んだ。

 

 

 

 

 

本当は150円のお菓子が良かったのに

 

 

100円以内のものじゃないといけなかったから

 

 

似たようなもので安いものを選んだ。

 

 

 

 

 

そんな”選べない”

どれだけ体験してきたんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

思い切り駄々をこねたら良かったじゃんか。

 

 

私これが良い!!って選んだら良かったじゃんか。

 

 

 

 

 

でもそう出来なかったのは

小さい頃の私は

親に捨てられたら”死”を意味するってことが

 

 

うっすらと分かっていたから。

 

 

愛されるために選ばないことを選び

 

 

生きるために選ばないことをした。

 

 

その癖がずっとこびりついていて

 

 

この選ばない弱者でいることのパターンを

 

 

繰り返してきていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

昨日は

「選べなかった私」に出会いに行った日。

 

 

 

 

 

 

さぁ。

話題を今に戻すと

 

 

仕事や普段の活動を通しても

 

 

”選べない弱者”をしていたことに気付く。

 

 

実際は選べない、なんてことはなくて

 

 

私がこう決めたからその現実が目の前にきているだけ。。

 

 

 

 

 

誰にも咎められず

自由にして良いのならどうしたら良い?となったら

 

 

ものすごく良いとこどりした思いが出てきたけど

 

 

その思いすら外に出したらいけないのかも、、と過った。

 

 

そういった核への問いかけすら

 

 

今まで許せていなかった。

 

 

 

 

 

職場が

子どもが

夫が、と言って

 

 

私には才能がない

何もできない、と言って

 

 

質問を濁すことは

 

 

私がその問いの答えを見つけたら

 

 

世界が変わる、今までのパターンが通用しなくなるって

 

 

心の中で知っていたんだ。

 

 

私の中のど真ん中にいる私はずっと待ってた。

 

 

現実面で行動している私が

「自由な選択で生きようか」と言ってくるのを

 

 

ずっと信じて

待っていたんだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 
 
 

 

 

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