私はただ笑いたかっただけなのかもしれない。 | 過去、現在、みらい。

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夕方、とあるコミュニティでわちゃわちゃ話していたら。

 

 

 

私は多分、

生まれ持った性質とかを

笑って受け止められたら良いな。と思っているんだなと思った。 

 

 

 

 

 

生まれ持った星やらなんやらを見たら

 

 

“今までこれが苦しかった”

 

“こんな部分が生きにくかった”

 

“辛かったし、悲しかった”

 

 

そうやって答え合わせをすることも勿論出来るし、

 

 

癒すことで前に進むキッカケも持てるんだけど。

 

 

 

 

でも、

生まれ持ってるんだから

もうしゃーないじゃんかぁ。って気持ちも

 

 

 

 

……ぶっちゃけある

(うん、ぶっちゃけね…ぶっちゃけ笑)

 

 

 

 

占いが全てなんて言わない。
 
 
寧ろ自分がどう感じたか、どう思ったか?の方がめっちゃ大事だと思う。
 
 
 
 
「今日はお喋りは気をつけて」と朝の占いで見たとしても
 
 
どうにも気分がいい感じで、
 
 
誰かと喋りたいと思ったなら好きなだけお喋りしたら良いじゃん!と思う。
 
 
 
 
 
白って言われても黒に見えたら黒で良いし
 
 
私はそうは思わない、ということがあるなら
 
 
その気持ちを優先したら良いんだって私は思ってる。
 



 
占いは
自分の可能性を拘束するものじゃなくて
 
もっと自由にするものだって。私は思う。
 
 
だから性質や
持って生まれた星を受け止める時に
窮屈になるのは嫌だ。
 
 
〇〇ですよ、と伝えるなら
ゆるっと伝えて
 
ぽわーんと受け取ってもらえたら
 
 
なんか良いじゃんね(語彙)
 
 
ああ、私
何をするにしても
窮屈なのが嫌なのかもしれないなぁ。
 
 



 
持って生まれてきたものを
悲しいよぉ、切ねぇよぉ、のエネルギーじゃなくて
 
良い意味での諦めを自分にしてあげて
 
 
これも含めて私だもんね。って
ちょっと困りながらも笑える感じが良いな。
 
 
 
 
 
それで今まで嫌だ!!と思えた自分のことが
 
 
少しでも好きになれたなら。
 
 
って、思ったんだよにっこり
 
 
 
 
 
 
 

 

 

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