選挙については目も当てられないので、今日スペインの巡礼についての勉強会に行ってきたのでそのお話を。
スペインの巡礼は全長約800kmに及び、今でも年間10万人の人々がその道をたどるそうです。
巡礼者が身体を休める宿が沢山あり、その中には教会の一部を利用した宿もあるそうです。
ボランティアがスタッフをしていて、運営は寄付で賄われているそうです。宿泊者は自分が納められる額の寄付を置いて行きます。
ここまではよくある話。
ある教会の寄付金の箱は、いつも蓋を空けたままになっています。
そこには「置ける者は置いて行きなさい。そして、足りない者は持って行きなさい」と書かれていたそうです。
その話を聞いて、何だかとても感動して、人間関係もそういうものかもしれないと思いました。
一般的に、人って、与えられる方が素晴らしいと言われてますよね。
愛情も手間も労力もお金も。
そして実際、それをしている人たちがいる。
それは、優しいとか、ブレないバックボーンがあるとか、いろいろあるんだけど、なにより、その人は「持ってるんだ」とわかりました。
逆に、人にやってもらってばっかりで、ヘタしたらそれが当たり前に思っているような人たち。
そういう人って「持ってないんだ」と気付いたんです。
もちろん私が「持ってる」って言ってるんじゃないし、それに第一、人ってその環境とか、体調とか、極端な話、昨日美味しいもの食べたかどうかぐらいの、心の状況で簡単に変わる面もあると思います。
でも、それってつまりは、自分がみたされているか、幸せかどうかによって、周りへの態度が変わるってコトだと思うんですよ。たとえプチ満たされた状態でも、より人に与えやすくなる。
与えるとかだと話がオーバーだとすれば、「人の話を聴く」でもいいです。
いつもいつも人の話を聴ける人って、よほど心がおちついてないと無理だと思うんです。
あまりにしんどいときに一方的に話をされたら、「私の話も聞いて!」ってなりますよね?
逆にいうと、そうなるときって、自分が持ってないんですよ。人を受け入れる力とか、グチやオチのない話をずっと聞き続けられる心の余裕を。
よく、恋人ができて、急に周りに優しくなり出した、みたいな人もいますが、それって、「持った」からなんですよね。人にあたえられる分の何かを。
そう思うと、自分が人の話を受け入れる余裕がないとか、優しくできないとか、愛をあたえられないとか、いろいろ「自分ってケチだなぁ」って思うコトがあるんですが、そういうときは「私は今持っていないんだなぁ」と受け止める事にしようと思いました。そういう時に自分を責めても仕方ない。
子どもに対して、手間を惜しまず愛情をかけ続けられるのは、その人が持っているからだし、逆に虐待をしてしまったり、ひどい時には子どもを死においやったりする時。そういう時、人って、絶望的に持ってないんだと思います。何かを。
愛なのか金なのか余裕なのか時間なのかアイデンティティなのか、その人にしか、ヘタしたらその人にもわかんないのかもしれないけど。
そう思うとね、暴力の加害者とか、もう、何がそこまで欠落しちゃったんだと思うくらい足りてないんだろうと思う。だから奪い続けるんだと思ったんです。
反対に、DVから立ち直って、かつ、支援する側に回れた人なんて、すごく持ってるわけですよ。実際の心の中はいっぱいいっぱいかもしれませんし、大変でしょうが、でも、人に与えられるくらいの何かを蓄えられたって、すごいなぁと思います。
よく犯罪被害に遭われた方が、支援する側にまわりたいと思われると聞きます。
それって、本当にすごい事だと心から尊敬するのですが、でも、だからこそ、自分がしっかり回復して、自分に充分な愛情を与えられて、それ以上の余裕ができてからでないと、しんどくなっちゃうんだろうなぁと思います。
究極的に、人って、持ってないのに人に与えることできないんですよね。
だからこそ、与えられる事って、本当にすごい事なんだなぁと思いました。
幸せな事だなぁと。
でも、与え続けてたらちょっと疲れてくるし、そういう時は「ちょっと減ったんだな」と気付いてあげて、休むのが良いと思います。
支援者の燃え尽きは、そういうところからもくるのかなぁと。
「欲しい」「欲しい」「欲しい」!!!
って言い続けてる人や、ずっとそう思ってる時って、よほど埋まらない何かを持ってるんでしょうねぇ。
そんな事に気付ける機会でした。
感謝です。
スペインの巡礼は全長約800kmに及び、今でも年間10万人の人々がその道をたどるそうです。
巡礼者が身体を休める宿が沢山あり、その中には教会の一部を利用した宿もあるそうです。
ボランティアがスタッフをしていて、運営は寄付で賄われているそうです。宿泊者は自分が納められる額の寄付を置いて行きます。
ここまではよくある話。
ある教会の寄付金の箱は、いつも蓋を空けたままになっています。
そこには「置ける者は置いて行きなさい。そして、足りない者は持って行きなさい」と書かれていたそうです。
その話を聞いて、何だかとても感動して、人間関係もそういうものかもしれないと思いました。
一般的に、人って、与えられる方が素晴らしいと言われてますよね。
愛情も手間も労力もお金も。
そして実際、それをしている人たちがいる。
それは、優しいとか、ブレないバックボーンがあるとか、いろいろあるんだけど、なにより、その人は「持ってるんだ」とわかりました。
逆に、人にやってもらってばっかりで、ヘタしたらそれが当たり前に思っているような人たち。
そういう人って「持ってないんだ」と気付いたんです。
もちろん私が「持ってる」って言ってるんじゃないし、それに第一、人ってその環境とか、体調とか、極端な話、昨日美味しいもの食べたかどうかぐらいの、心の状況で簡単に変わる面もあると思います。
でも、それってつまりは、自分がみたされているか、幸せかどうかによって、周りへの態度が変わるってコトだと思うんですよ。たとえプチ満たされた状態でも、より人に与えやすくなる。
与えるとかだと話がオーバーだとすれば、「人の話を聴く」でもいいです。
いつもいつも人の話を聴ける人って、よほど心がおちついてないと無理だと思うんです。
あまりにしんどいときに一方的に話をされたら、「私の話も聞いて!」ってなりますよね?
逆にいうと、そうなるときって、自分が持ってないんですよ。人を受け入れる力とか、グチやオチのない話をずっと聞き続けられる心の余裕を。
よく、恋人ができて、急に周りに優しくなり出した、みたいな人もいますが、それって、「持った」からなんですよね。人にあたえられる分の何かを。
そう思うと、自分が人の話を受け入れる余裕がないとか、優しくできないとか、愛をあたえられないとか、いろいろ「自分ってケチだなぁ」って思うコトがあるんですが、そういうときは「私は今持っていないんだなぁ」と受け止める事にしようと思いました。そういう時に自分を責めても仕方ない。
子どもに対して、手間を惜しまず愛情をかけ続けられるのは、その人が持っているからだし、逆に虐待をしてしまったり、ひどい時には子どもを死においやったりする時。そういう時、人って、絶望的に持ってないんだと思います。何かを。
愛なのか金なのか余裕なのか時間なのかアイデンティティなのか、その人にしか、ヘタしたらその人にもわかんないのかもしれないけど。
そう思うとね、暴力の加害者とか、もう、何がそこまで欠落しちゃったんだと思うくらい足りてないんだろうと思う。だから奪い続けるんだと思ったんです。
反対に、DVから立ち直って、かつ、支援する側に回れた人なんて、すごく持ってるわけですよ。実際の心の中はいっぱいいっぱいかもしれませんし、大変でしょうが、でも、人に与えられるくらいの何かを蓄えられたって、すごいなぁと思います。
よく犯罪被害に遭われた方が、支援する側にまわりたいと思われると聞きます。
それって、本当にすごい事だと心から尊敬するのですが、でも、だからこそ、自分がしっかり回復して、自分に充分な愛情を与えられて、それ以上の余裕ができてからでないと、しんどくなっちゃうんだろうなぁと思います。
究極的に、人って、持ってないのに人に与えることできないんですよね。
だからこそ、与えられる事って、本当にすごい事なんだなぁと思いました。
幸せな事だなぁと。
でも、与え続けてたらちょっと疲れてくるし、そういう時は「ちょっと減ったんだな」と気付いてあげて、休むのが良いと思います。
支援者の燃え尽きは、そういうところからもくるのかなぁと。
「欲しい」「欲しい」「欲しい」!!!
って言い続けてる人や、ずっとそう思ってる時って、よほど埋まらない何かを持ってるんでしょうねぇ。
そんな事に気付ける機会でした。
感謝です。