毎日新聞
たかぶる:バンクーバー五輪に向けて/2 フィギュア・南里康晴


「逃げぬ」決意の手術

「手術の成功率は95%。ただし、復帰は早くても8月」

今年3月、医師に告げられた瞬間、

「五輪はだめかな」

と思い浮かんだ。手術に踏み切るか否か。
決断は早かった。けがという逃げ道を作りたくなかったからだ。



股関節に鋭い痛みが走ったのは1月の練習中だった。

「いつもはストレッチをすれば治るが、今回は違った」

いつもの右ではなく左。痛みは断続的に続いたが、
トップ選手ともなればけがと無縁ではいられない。
その後も痛みを押して国際大会に出場したが、

「体調はひどい状態だった」

4大陸選手権(2月、カナダ)は12位だった。



不調はその前から続いていた。
誤算だったのが、けがの高橋大輔に代わって
出場した昨年11月のNHK杯。
1カ月間にカナダ、欧州、日本で3戦という強行日程と
なったことで疲労がたまり、その後の全日本選手権は4位止まり。
2年連続の世界選手権出場も果たせなかった。
雪辱を期す4大陸選手権に向け、
最後の追い込みに入った時期のけがだった。



フィギュアを始めたのは小学2年だが、
競技者としては「晩成型」だ。
初めて3回転に成功したのは中学2年の時。
小学生でもトップクラスならば軽々と跳ぶだけに、
南里も

「もろ、遅いです」

と苦笑する。
それでも、高校3年には初出場の全日本でいきなり4位。
その後も上位の成績を保ち、昨年3月には世界選手権に出場した。
当時22歳。ライバルの高橋が18歳、
織田信成は19歳目前で初出場したことを考えれば、
「努力の人」と呼ばれるのもうなずける。



課題とされた表現力も年々磨きをかけてきた。
「カルメン」と「月光」。
ここ数年表現力がより問われる演目に挑んだことで、
演技に情感がほとばしるようになった。
二つのプログラム曲が

「今の自分を作った」

という。



多くのトップ選手が米国や名古屋市など
フィギュアスケートの盛んな土地に拠点を移すなか、
南里は福岡にこだわる。

「トップレベルになれば自分との戦い。福岡でも十分戦える。
ハンディと感じたことはない」


ときっぱり。県スケート連盟の福留富枝フィギュア部長は

「南里は地元で育ち、地元でコーチと練習してきた。
メード・イン・福岡の彼は誇り」


と話す。



福岡市内から母の由美子さん(49)の運転する車で約1時間。
飯塚市の河野由美コーチの元に通う生活は
小学3年の時から続いている。
滑ることは生活そのものだ。由美子さんは

「ヤス(康晴)の中には(今は)バンクーバーしかない」

と語る。



3月末、7時間に及ぶ股関節の手術を乗り越え、
バンクーバー五輪に向けて再び歩み始めた。

「完全燃焼したい」

という南里にふさわしい舞台は、一つしかない。

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■人物略歴

◇なんり・やすはる
1985年、福岡市生まれ。沖学園高、中村学園大卒。
ふくや所属。エキシビジョンで演じる「津軽海峡冬景色」は
リクエストが殺到。165センチ、55キロ。
妹の美羅も全日本選手権出場経験がある。