妖精人のブログ

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ごあいさつ

私、妖精人(ようせいびと)は、初めてブログというものに挑戦します。
ミクシィでさえ、プロフィールを登録しただけで6年経過。
ネットの書き込み2、3行でも躊躇してしまう有様。
ですが今回、

文章を書くのを習慣化すること猫村1
世の中から離れない日本

Web制作の技術を身につける第一歩(ネットさんと仲良くするミッキー・ミニー

これらを目標として毎日の天声人語に妖精人の声でアンサーを。

どなたかの情報収集に役立つものではないでしょう。
ひとり学習帳だたもれ内容でもよいので恥さらしながらお勉きょしてく所存です。

天声人語といえば、受験生が小論文対策にまとめさせられたり、英訳によいといわれたり、              朝礼の小ネタに抜粋されたりと思えば、政治的方向性がどうのと非難をうけたりの凝縮素材です。

妖精人は、能力開発マニアの父上から「天声人語を読め」と言われて10数年。
そのパワーの証明になれば、よいな。

妖精人は、気を抜くと地球からふわふわと離れてしまいそうになるので、
知と地に足をつけて地球を眺めたいと思い、ひとり妖精学校を開設しました。
ご入学や、先生の訪問もあれば嬉しいです。



2009年3月30日 天声人語
随筆家の幸田文が「身の納まり」ということについて書いている。出入りの畳職人があるとき、腕は良くても老後に身の納まりがつかない者は良い職人とはいえない、と口にしたそうだ▼「若い者に、自分の安らかな余生を示して安心を与え、良い技術を受け継いでもらわなくてはいけない」と。つまり寒々しい老後を見せれば、若い者はこの仕事を続けていいものか不安になる。それでは失格、というわけだ。見事な人生哲学だが、難しいからこその自戒だったのかも知れない▼その随筆から半世紀がたち、身の納まりは一層つけづらくなってきたようだ。群馬県の高齢者向け住宅で先日起きた火災にも、その感が強い。行き場のない高齢者の受け皿に、無届けのずさんな施設が使われていた▼最期が無残な焼死では、安らかな余生からは程遠い。「終(つい)のすみか」の、質量ともどもの不足が生んだ悲劇である。これでは後に続く世代に不安ばかりが募る。畳職人にならって言うなら、こんな国は失格、ということになる▼「老いて暖まりたい者は、若いうちに暖炉を作っておけ」と西洋の諺(ことわざ)に言う。承知はしていても予定通りに運ばないのが人生だ。年金という公的暖炉も先々の炎は心もとない。家族や地域はゆらいで久しい。手元不如意、シングル、病……誰もが「事情」を抱えながら老境の戸をたたく▼望むのは贅沢(ぜいたく)ではなく「尊厳ある老後」である。翻訳すれば「身の納まり」という、つつましい言葉にほかならない。それに応えるきめ細かい助けの網が、この社会にほしい。(2009年3月30日朝日新聞 天声人語)

2009年3月31日 妖精人語
・「不如意」・・・「不便」

「公的暖炉」を期待することは恥ずかしいことだと思っていた。自力で生活できないことを声高に権利を主張するなんて・・・と、一年前の妖精は思っていた。でも、人生にはやっかいな事情が起こる。恋心ひとつで、さぼり癖ひとつで人生プランが変わってしまう現実がある。両親の老いを受け止められていない自分、自活の生活力も「心もとない」今、国におんぶしてもらおうとは思わない。でも、事情で苦しむ人をほっておくのは、国、公の役割をはたしていないと、小さめな声で言える心境にある。公的な国民としては気持ち大きく叫べる気もする。
 自活の意思を捨ててはいけない。それこそ、「尊厳ある老後」から自ら離れることになる。
人生につきものの事情から離れることは出来ないのだから、その事情がもたらす悲しさ苦しさを受容できる国であって欲しいと、人語の終わりと同じくなる。
 それら事情を「自業自得」と言ってしまうのは、「顔を見る気もないくらいの赤の他人」の距離感だ。

でも、すべてを覆すようだけれど、畳職人を心指した者は、身の納まりに思いを馳せるよりも畳作りにのめりこんで、修行に励むのが先決でしょう。師匠の葬式が貧弱でも、道が同じと思うのはあきらめることだ。やってくる事情を変える努力は必要なはず。出来る人は、寒がる前に、体動かすんさね。迎え撃てない強敵事情を抱える人には、暖炉をあげよう。

寒がり禁止。でいきたいものです。