12月24日、我が家では毎年

イエスキリスト様ではなく

息子の生誕を祝います。

 

 

今年は命に向き合うことだらけの

一年でした。

 

 

ちょうど3年前の記事が出て来て

改めて「生きる」ことを

考える時間をもらえたので

自分のために再掲します。

 

 

よろしければお付き合いください。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「誕生日は親に感謝する日」って

昔教えてもらいました。

 

 

その日から誕生日は

「ありがとう」と言う日になりました。

 

 

自分が親になると、今度は

「子どもに感謝する日だなあ」と

思えるようになり

 

 

子どもの誕生日は、

生まれて来てくれて

親にしてくれて

「ありがとう」と伝える日です。

 

 

そして今日、私は母親という

もう一つの肩書きをもらって

23年目を迎えます。

 

 

どこまでもマイペースに

進んでゆく息子には

いつもハラハラドキドキ

させられっぱなしですが

 

 

大きなけがも病気もせず

おとなしくて控え目だけど

 

 

生まれて初めてのスマートフォンで

練習に送ってきたメールは

「いつもありがとう」。

 

 

やさしくて感謝のできる子に

育ってくれたことに

改めて母も「ありがとう」と

伝えたいと思います。

 

 

 

 

この子と二人で生きてゆくと

決めたのは、息子がまだ

一歳半にも満たない時。

 

 

この子がいなかったら

私は一人の人生に戻れるのか。

 

 

この子と一緒に消えられたら

楽になれるのだろうか。

 

 

車のハンドルを握りながら

生き続けるという選択を

放棄してしまうことばかり

考えていました。

 

 

でもそんな状況を

「私、まずいな」と感じられるうちに

新しい生き方を選べたのは

「まだ生きなさい」という

神様の後押しだったのかもしれません。

 

 

キミの人生から「父」と呼べる存在を

こんなにも早く無くしてしまうことを

許してねって思いながら

22年間、父の役割、母の役割

必死になってこなしてきました。

 

 

罪悪感と「へぇ~片親なの」って

周囲の空気で感じる肩身の狭さを

「鈍感力」で振り払い

 

 

ただひたすら、この子を

食べさせなきゃ、生かさなきゃ

って、前だけ向いて

走り続けてきました。

 

 

高校生になって、思わぬ受賞で

開けた大学への道。

 

 

高校生国際美術展で報知新聞社賞を受賞

東京のリッツカールトンでの授賞式にも行きました

 

 

何があっても卒業まで

二人三脚で頑張ろうと

毎日を必死で生きてました。

 

 

そんな親の想いを

どこまでわかっているのか

どうにかこうにか

今春、無事に大学も卒業。

 

 

卒業式の日、アクシデントで

一歩間違えれば親子で

命を落とす一歩手前っていう

体験までさせてもらい

 

 

やっぱり私たちは

どんなことがあっても

生き続けなくてはいけない

生かされている命なのだと

改めて感じたのでした。

 

 

事務所の5周年イベントの手伝いに来てくれた

高校時代の息子です♪ こっそり公開

 

 

彼のマイペースぶりが

なかなか受け入れられず

葛藤を繰り返した日々も

ありました。

 

 

それも個性、それも彼。

 

 

そう受け入れようと

腹をくくった時から

ずいぶん気持ちは楽になりました。

 

 

子育ては、親育て。

 

 

息子に育てられ

親にしてもらっているのだと

日々思います。

 

 

これからどんな人生が

待っているのか。

 

 

生まれてきてよかった

生きていてよかった

生きるって意外と楽しい

 

 

せめてそんな風に

思ってくれたなら

 

 

「まだ生きなさい」という

神様からのメッセージを

受取った意味があるのかな。

 

 

生かされている命に

心から感謝できる日が

来るのかな。

 

 

23歳おめでとう。

23歳ありがとう。

 

 

まだまだ未熟な親だけど

これからも

よろしくお願いします。

 

 

・・・・・・・・・・・・

 

 

そんな息子も26歳になりました。

 

 

相変わらずマイペースなヤツですが

社会人になって、ちょっと頼れることも

増えた気がします。

 

 

26歳、おめでとう。

26歳、ありがとう。