こんにちは、花です。

 

さて、わたしがこのブログで伝えたいことはなんだろうと日々考えております。

考えていますが、まとまらないので、流れるままに書きます。

 

まず「氣」とは。

一般的には「気」と書きますけれども、この「気」の方は〆るという字が中に入っています。

本来活き活きと巡るはずのエネルギーを〆てしまうのはいかがなものかということで、(わざわざエネルギーを〆るためにこの字を使うようになったという説とかありますけれども)このブログでは「氣」と書かせていただきます。

 

世の中にはこの「氣」という字を使う時点で拒否反応、みたいな方もいるようですが、そういう方はご自身のためにもこの先は見ないでいただければ結構です。世の中に正解はないですし、自分と合わないものに波長を合わせる必要はありませんので。

 

ちなみに、大前提として、エルシャン・アイリスはいかなる宗教にも属しておりません。

お正月は神社に初詣に行くし、お盆にはお寺でご先祖様のお墓参りをするし、クリスマスにはケーキを食べたりと、普通の日本人の宗教観の中におります。

なので、怪しげな単語が出たところで、何らかの経典を押し付けたりお布施を要求するようなものではありませんので、ご安心ください。

 

さて話を戻して、「氣」というもの、その存在を、このブログをお読みいただいてるあなたは日常でどれくらい意識していますでしょうか。

 

「元気?」「病気かも」「気が滅入るわ」「気分いいね」

 

日常でも、言葉の中では「気」が入る言葉を案外たくさん使っているのではないかなと思います。

じゃあ、その「気(氣)」って何でしょう。

 

目には見えない「なにか」。

それは病院に行ったところで、レントゲンやCTで写るものでも、血圧や心拍数のように数値で表されるものでも、血液検査のように成分で分析されるものでもありません。

 

でも、「元気?」

わたしたちは日常で、そんな風に言い合います。

 

そんな漠然とした「氣」

そこに焦点を合わせることは、目には見えない世界の入り口を見る事だとわたしは思います。

 

ただ、その正体を漠然とさせたまま、ニュアンスで見えない世界を語り始めると、それは日常とかけ離れてしまいます。

似て非なる霊能力や超能力とかと融合して、特別な人だけが扱える特別な世界の話のような気がしてしまいます。

 

わたしがずっと話したいのはそういう特別な世界の話ではなくて、いまここにある「力」の話です。

 

一昔前ではテレビやラジオ、今は世の中便利になって5Gとかwi-fiとかも、この社会はあちこちでいろんな電波が飛んでいますが、その電波を目視で見た事ありますか?

もちろん、電波を発信するアンテナは見た事ありますよね。でも電波自身は?

 

電波の色は青で質感はサラサラでとか、ありますか?

ないですよね?

 

わたしが話す「氣」もそういう電波と同じようなものです。

生物が纏う目には見えないけれど、いのちを生かすエネルギー。

それが「氣」です。

 

あなたのスマやPCやタブレットが、目には見ない電波を受発信しているからこのブログを表示している。

それと同じような理屈で、生命は生体に必要なエネルギー「氣」を受発信しています。

そして一個体としてそのエネルギーの流れが尽きるまで、個を構成し、命を育みます。

 

そんな、目に見えないけれど、とても現実的な力です。

遠いどこかの話ではなくて、いまここ、あなたの中に流れる力です。

 

わたしたち現代人は、いわゆる西洋医学が人体の全ての謎を解くかのように教えられてきました。

そして徐々にこの「氣」というエネルギーを生きるために不可欠な力として認識しなくなり、「氣」に対する感性、敏感に感知する力を失ってきてしまいました。

更にはねじ曲がった宗教などのジャンルと組み合わされてしまって、怪しいもの、ヤバいもの、関わってはいけないもの、のような印象を受けるようになりました。

 

たしかに、「氣」を扱う方の中には霊能力などの才能に秀でた方が少なからずいらっしゃいます。

それは「精」「氣」「神」というエネルギーの流れが互いに影響し合っている結果、「氣」が高まることで霊能力の領域である「神」が活性化する場合がある(才能の方向性というか、個人差はあります)からです。

なので、「氣」の達人がすべて霊能力者になれるかというとそうではありません。

 

ちなみに、霊能の方向に生まれつき高い素質を持っている方がその才能を発揮したとして、その分「氣」を高めていかないとバランスが崩れて短命になることはあるようです。

そういう、具体的に生命として個体を保ったり、各々の個性を才能として発揮させるための必須エネルギーが「氣」です。

 

そしてこの「氣」は目には見えませんが、体感することはできます。

先にも述べた通り、「氣」に対する感性は人によってまちまちなので、一概に絶対こうですとは言えないのですが、人の手を伝って温度として「氣」を体感することは比較的容易にできます。

 

そういうところから、いまここにある「氣」を実態のあるものとして掴んで、それを日常で活かしていく仲間を増やしたいなというのがわたしの願いです。

 

なにもスピっぽい能力を開発して特別な人になろう、他人より秀でようとか言っているのでありません。

今ここにある力に意識を向けて、なんならできるだけ上手く使えるようになって、自分をより心地よくしたり、誰かを喜ばせたり、この世界をより深く楽しめたら面白いんじゃない?

そんな風に思っています。

 

わたしは縁あってこの世界に足を踏み入れただけの凡人なので、日々勉強途中です。

そんな凡人だからこそ、凡人の視点で、学んだことをこうやって少しずつ書いていこうかなと思います。

 

そして興味を持ってくださった方がいたら、いつかお会い出来たら嬉しいなと思います。

 

 

今日もみなさまが笑顔でありますように。