久しぶりのブログ。ついついサボりがちになるがまあ気にしない(笑)。

今日のタイトルは「決断する勇気」。最近と言っても、数週間前だが、アドラー心理学の「嫌われる勇気」と「幸せになる勇気」を読んだことが少なからず、今回のタイトルに影響を与えていることは否めないだろう。何はともあれこの言葉も今、そして、未来の私にとって非常に重要な言葉であるだろうから、残しておこう。

この「決断する勇気」の意味するところは、覚悟を決めることこそが自らを何者かをたらしめる唯一の方法だということ。「自分は何になりたいのか」、「どう生きたいのか」、「誰を幸せにしたいのか」等々徹底的に考えても、
結局は決断しなければ何も得られないし、何者にもなれない。将来に決断を先延ばしにした結果得られるものは、"選択肢"と言う名の薄っぺらい未来しか残らない。

私が実際に今までの人生を振り返って思うことは、まさに決断から逃げ続けていたことだ。私は一般的に言われる人生における様々な決断のときを経験してきたが、そのときに必ず「自らの可能性を広げるため」、「自分探しのため」、「自分の本当にしたいことを見つけるため」等々、未来に決断を先延ばし続けてきた。つまり、今から行こうとしている世界はあくまで次のステージに行くまでの通過点ということを前提として、生きてきたということだ。普通科高校に行ったことも、総合大学に行ったことも、経済学部に入ったことも、今のゼミに入ったことも、全部そうだ。結局はそのときそのときに捨てるのが怖いから、決断するのが怖いから、とりあえず今決めなくてもいいところに行ったのだ。そうしたいわゆる将来の可能性を残し続けてきた結果、今手元にあるのは大量の薄っぺらい未来の"選択肢"だけだ。

私的には、いろんな人に会い、色んな人の話を聞き、色んな本を読み、色々な経験をしてきたつもりだ。そうしたことをすることによって、自分だけの道が見つかると思っていた。それがまだまだだと言われればそれまでだが、人並み、それ以上はやってきたと自負している。しかし実際今それは見つかっていない。なぜか?答えはシンプルに「決断する勇気」がないからだ。

今まではそうして決断してこなかった。だから今その道を探し続けているんだ。

じゃあ今決断したらどうなるか。それは未来にことだから、正直分からない。でも確実に言えることは、決断するということは、今までとは違うということ。今までは、将来の自分に決断する責任を転嫁し続けてきたが、今の俺は違う、「自分自身の人生の決断に責任を持っているんだ」と胸を張って言えることだ。

過去は変えられないが、今この瞬間から、自分の未来は変えられる。「今でしょ!」というフレーズが流行ったが、まさにそれだ。覚悟を決めなければ、幸せは掴めない。一回どっぷり浸かってみなければ、何も分からない。今が決断のとき。「決断の勇気」を持つとき。