9月25日は、ロンドンに住む
従妹の姉の一周忌でした
そして、その前の年の
9月25日は、その弟さんの
従弟さんの命日でもあり
2年連続の9月25日です
特に、従姉とは従姉妹の中
では、一番仲が良くて
よく遊んだし、友達にも言え
ない事も一番話してきました
学生時代に、二人で行った
”与論島”信じられないくらい
綺麗なビーチで
星の砂を拾ったね
そして、信じられない体験を
して案内された”ユタ”の所で
「私は死ぬまで女でいます」
と言われ、まだ、10代だった
私には、その意味は分から
なかったけど、今なら分かる
気がします
従姉がヨーロッパへ放浪の旅
をしていた間に、私が結婚を
決めてしまい、あまり逢えなく
なったけど、音楽関係の仕事
をしていたので、そのつてで
私は友達と企画会社の真似事
をして、演奏は勿論折り紙付き
だけど、姿形も美しい
フルート奏者とバイオリン奏者
とを東京から招いて、ディナー
付きのミニコンサートを開いたり
著名なサックス奏者を招いて
のディナーショーをホテルに
売り込みに行ってあっさり契約
になって、ホテルで食事付き
コンサートも開いた
従姉がいなかったら、そんな
事も出来なかった。貴重な
体験をさせてもらいました
人間の幸せは不幸と幸せ
と、半々だと信じているけど
従姉の幸せな時間って
いつだったのだろう?
結局結婚しないで、女社長と
して、バリバリで成功している
時もあって必死に子育てして
いて自由な時間もなく、必死
だった時、田舎での生活で
籠の中の鳥の様に感じていた
私には、従姉は眩しかった
でも、それも数年で・・・
晩年は、大変そうだったね
家族運の凄く薄い人でした
恋愛もしていたけど、そんなに
幸せそうでもなかったよね
二人で逢った時、メールでの
やり取り、電話で話したりの
時、いつも決まって合言葉で
「これから、きっと
幸せになるよね」 だったけど
結局、幸せになれずに持病が
悪化してそのままでした・・・
唯一の心残りは、私が30歳
の時に、週刊現代の編集長
から請われた話があって
現状、幼い子供が二人いて
東京から離れた場所にいて
とても、出来る状況にもなか
ったけど、あの時に従姉に
一緒にやって欲しいと言って
丁度、従姉も新規事業の
立ち上げのタイミングだった
ので断られたけど、あの時に
一緒にやっていれば全く違う
人生の景色が見えたね
二人とも・・・
その内、私もいくと思うから
又、ゆっくり話そうね