杉山寧 | 襟裳屋Ameba館

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訳あってこちらにもブログらしきもの作らせていただきました。

…都新聞を続ける…の、ですが、ありゃ、前出山下新太郎がなぜか二回もアップされているようです。
なんでしょう?…何か手を加えたり、二度もアップしたつもりなどはないんですけど…。
すいません。先に「いいね」を入れてくれたりされたにも関わらず、
このようなことになるとは。
本当に申し訳ないのですが、…先の分は削除させていただきました。
わざわざ後の分にも「いいね」入れ直してくれてありがとうございます。
…と、しまして、続けます。


杉山 寧 すぎやま やすし
1909(明治42)年10月20日
東京市浅草区浅草西三筋町 生

東京府立第三中学校を経て、
1928(昭和3)年 東京美術学校日本画科に入学、松岡映丘に師事
1931(昭和6)年 在学中に第12回帝展で初入選、翌年の第13回展では特選を受賞する
1933(昭和8)年 東京美術学校日本画科卒業
1934(昭和9)年 松岡映丘門下の山本丘人らと瑠爽画社を結成
1936(昭和11)年 都新聞連載の徳田秋聲『巷塵』の挿絵を手掛けるが筆者都合により27回で中断、また前年の松田改組によりこの年行われた春の改組第一回帝展と、秋の文展に出展する
1938(昭和13)年 胸を患い、鎌倉にて転地療養
1942(昭和17)年 朝鮮満洲支那へ取材旅行に出るがその後再び胸を患い療養生活を送る
1943(昭和18)年 6年ぶりに第6回新文展に出展
戦後は、1947(昭和22)年に日展特選を受賞し、1950(昭和25)年には日展審査員を務めるなど日展を中心に作風を一新した絵画を意欲的に発表する

1993(平成5)年10月20日没 84歳

こちらの方については、御親族が管理しれておられると思われる
杉山寧ホームページ
というサイトもありますので、詳細はこちらでご覧いただいてもと思います。
少なくても例の某フリー百科事典サイト(W)にある情報では、?と思われる記述もありますので、
上記サイトの方がより安心して見ていただけるのかなぁ…とは思いますが。
いずれにせよ、わずか27回だけで中断された新聞連載小説の「挿絵」については触れられてはおりませんが…。
でも、改めて、雑誌などで詳細されているタブロー作品が実際にはやっぱりそれなりに大きい作品なんだよなぁ…と、
実際の作品の大きさなど感じられたりするのも面白いところです。
我が家では到底飾ったりはできませんけどね…。
三島由紀夫との関わりについても、このブログでは戦後のことなので省略。
上記ホームページなどでご確認いただいた方がいいでしょう。