河盛久夫 | 襟裳屋Ameba館

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訳あってこちらにもブログらしきもの作らせていただきました。

時事新報ならこちらの方もやっておきますか…。


河盛 久夫 かわもり ひさお
1898(明治31)年9月29日
大阪府堺市 生

大正初期に萬朝報投稿漫画欄で常連投稿漫画家として活躍し、後に北澤楽天の漫画好楽会に入り、
1921(大正10)年 時事新報社に入社して「時事漫画」のスタッフとなり、大正14年に早世した小川治平の跡を継ぐ
1925(大正14)年 婦人倶楽部など時事新報社以外の雑誌などでも漫画を手掛けるようになる
1926(大正15)年 宍戸左行、在田稠、麻生豊、下川凹天、柳瀬正夢、村上知義らと日本漫畫聯盟を設立し、また時事新報の日曜漫畫に『ハーさんフーさん小母さん』を連載して評判となると「金の船・金の星」にも『漫畫芝居 コドモ座』を連載する
1930(昭和5)年 自著「尖端を行く」を中央美術社より刊行し、大日本雄弁会講談社より刊行され始めた「佐々木邦全集」でも挿絵を手掛ける
1932(昭和7)年 「時事漫画」廃刊後は読売新聞に移り活躍する
1933(昭和8)年 川原久仁於、明石精一、安泰、井元水明、中野正治、杉田三太郎、田河水泡らと日本兒童漫畫家協會設立
1935(昭和10)年 「コドモノクニ」に漫画風の童画を手掛け、「婦人界」に漫画を執筆するも翌年には一線から退く

1968(昭和43)年1月17日没 69歳

正直、時事新報の日曜漫畫に関しては、まだ完全に確認しきれていないので、代表作といわれている『ハーさんフーさん』(上記略年譜には後年書籍化された時の『ハーさんフーさん小母さん』としてありますが、大正15年の日曜漫畫掲載時をざっと目にしたところでは『ハーさんフーさん』から連載され始めていたようです)に関してもこれで間違いないかと言われるとちょっと心配もないこともある…という表現はいかにも日本的な曖昧さ…。
まぁ、略年譜には細かな作品を記載しておりませんが、ナンセンス小説や、当時の漫画家総動員といった感のある佐々木邦全集など挿絵は手掛けておられるのでこちらのブログでとりあげさせていただいておりますが、漫画に特化しておりませんので、だいたいこんな感じでも…といったところだとして、あとは漫画研究に熱を上げることのできる方にお任せしてもよろしかろうと思わなくもありません。
また、略年譜には昭和11年以降「一線から退く」としてしまいましたが、実際のところ、漫画はほとんどそれまでの作品の焼き直しですし、
昭和13年12月に創立された亞細亞學會という組織の役員に河盛久夫という名前あり、昭和17年にはこの亜細亜學會刊行で井沢弘という方の著書『反共世界戦争』の発行者名も河盛久夫となっているのですが、果してこの河盛久夫が同一人物なのか…。
戦後の情報もほとんど目にすることができず、没年月日に関しては漫画関連資料にあるモノからの引き写しで、何の確認資料とも出くわせておりません…。
そうこうしておりましたので、これまでなかなか掲載するのに躊躇いもあったのですが、まぁ、この辺りが現状で一区切りかな…と。
当時資料では川盛久夫といった誤植などもあったりと、何かと確認が大変だったりもするのですが、まぁそれも追々時間をつくってみていくしかありません。