リリーのすべて という映画を観ました。
性同一性障害についての話です。
以下ネタバレ有りです!
夫アイナーと妻ゲルダは、画家であり夫婦であった。
しかし、ふとしたことがキッカケで、元々アイナーが内にに秘めていた、リリーという女性の人格が表面に現れてしまう。
アイナーは、性同一性障害であった。
昔のドイツが舞台の映画だが、昔は性同一性障害という言葉はまだまだ周知されていない時代。
たくさんの医者に診てもらったが、アイナーは精神病扱いされるばかりだった。
どんどん男であるアイナーでいる時間が短くなり、女であるリリーの時間が長くなっていく夫。
悩んだ末、アイナーは性転換手術を受けることになる。
性転換手術は、まだ、世界では誰も受けたことのない危険な手術であった。
2回に分けた手術のうち、2回目の手術でアイナー(リリー)は命を落とす。
というあらすじです。
これは実話だそうです。
アイナー(リリー)がずっと書き続けた日記は、本にもなりました。
この映画を観て思ったことは、
まず、性同一性障害の辛さ。
身体の性と、心の性が一致しないということは、どんなに辛いことなんだろうと、初めて気付きました。
現代の性同一性障害についてのニュースを見ても、性同一性障害というものがどういうものなのか、知識はあったけれど感覚的にいまいちピンと来なかったものがありました。
体の性に、心の性が追いついてくるものなのかと思っていました。
本当に恥ずかしながら、性が違うなと思っても、仕方ないと受け入れればいいのでは?とさえ、思っていました。
しかしそれは完全な間違いでした。
自分が男性なのか女性なのかという問題は、1番の根本、人間のアイデンティティに関わることでした。
映画の中のアイナー(リリー)は、本当に辛そうでした。
命を落とす可能性が高い手術を受けてまで、心の性に合わせて、間違った体を正そうとしたのです。
しかし、最後の手術の前日に、妻ゲルダと別れた後に、男アイナーとして泣く、というシーンもありました。
愛する妻を、男として守ってあげられなかったことに対してでしょうか。見ていてわたしも涙が出ました。
もうひとつは、妻ゲルダの、愛について。
愛する夫は、徐々に男でいる時間が減り、女リリーというもはや別人格になっていきます。
ゲルダも最初は戸惑っていましたし、
リリーに対して、「アイナーに会いたい、アイナーに抱きしめられたい」と泣いて訴えるシーンもありました。
しかし、徐々に全てを受け入れ、手術を応援します。
男であるアイナーというより、アイナー(リリー)をまるごと受け入れ、その人間自体を愛しているのだなと感じました。
すごいことです。
隣でゴロゴロしながら一緒に映画を観ていた夫を見て、わたしも、最初はもし夫が女になっちゃったらどうしよう、おじいさんになってもずっと男らしく守ってほしいし、夫が女になっちゃったらやだな、なんて、話していたんですが、最後の方は、泣きながら、もしこの人(隣でゴロゴロしている夫)が男でも女でも、わたしもゲルダのように受け入れよう、人生で1番好きなひとなんだから、彼のしたいような人生を応援しよう、と涙が溢れました。
愛とは、男女という概念を超えて、そのひとを丸ごと受け入れることなのかなと思いました。
この映画のゲルダのように。
性同一性障害について、そしてその辛さについて、やっとわかりました。
本当にこの映画を観てよかったです。
現代はLGBTの人たちが、昔よりは生きやすい時代になってきたのかな?と思います。まだまだなんだとは思いますが。。。
彼ら彼女らの気持ちに、ほんの一億分の一でも、やっと気づけました。
今まで気付けてもいなかったことが恥ずかしいくらいです。
今後は、LGBTについてのニュースなどを観ても、見方が変わるだろうと思います。
こうやって、読書や映画で、世界の見方を変えてもらえるのは、本当に素晴らしいことだと思います。
世界にはまだまだわたしなんかには見えていない部分がたくさんあると思います。
もっと見聞を深め、知識をつけ、より深い人間になれたらいいなと思いました。