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『FORGIVE YOURSELF(自分をゆるしてあげる)』

『人を許せないのは
 己を許せないからだ。
 先ずは自分を許してあげることだ』
憎むエネルギーを
愛するエネルギーに変えるといい…
そのためには問題の発端から、しばし、距離を置くことだ。
怒り心頭になると
体内の酸素が薄くなるのか、目の前が真っ白になり、冷静に物事を考えられなくなる。
また、火に油を注ぐ様なもので、手が付けられなくなる。
先程まで賛美歌を歌っていた者が暴言を吐く者へと変貌するのである。
ジキルとハイドの様に、人には裏と表がある。
上辺は何もないかの様に善人振っていても、心の奥底に押し込められていた不満は、生ごみが次第に悪臭を放つ様に何処かで出て来てしまう。
人は完全完璧ではない。
そんな事は誰もが分かっている。
朝があり、夕がある様に、人の中にも陰と陽がある。
格好を付けることはない。
己の嫌だと思える部分も受け止めてあげることだ。
裁くな…と言われても裁いてしまい、許すことは良いことだ…
と頭では分かっていても、感情に流されて恨んでしまうのである。
裏切らないことが一番だ…と言いながらも、裏切ってしまう弱い己がいることを忘れてはならない。
結局、人を許すことができず、また愛せないのは、己自身を許し、愛していないからなのかもしれない。
THE BIBLEには、
「愛は寛容であり、愛は親切です。
また、人をねたみません。
愛は自慢せず、高慢になりません。
礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。
すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。
愛は決して絶えることがありません」
とある。
その「愛」という言葉を自分の名に置き換えて、読んでみてはどうだろう…
○○は寛容であり、○○は親切です。
また、○○は人をねたみません…
という様に、理想はその通りではあるが、現実の己はすぐに苛立って切れてしまい不親切でねたんでしまうのだ。
しかし、そんな己に対しても大いなる方は、「寛容であり、親切で、ねたまない存在なのだ」と教えているのだ。
十字架を通して、その愛と赦しを魂のロッカーは身をもってあらわしてくれたのである。





救われました(´▽`)