昔から子供は親の背中を見て育つ、と言われてる。

昔の人はいいことを言ったものだと痛感する。

躾、、って特別にカリキュラムみたいなものを掲げなくてもいいと思う。



親も人間。完璧じゃ無い。


朝起きたら「おはよう」
出かけるときは「行ってきます」
ご飯を食べる時は「いただきます」
食べ終わったら「ごちそうさま」
寝るときは「おやすみなさい」
間違ったり、謝罪の気持ちを伝えたいなら「ごめんなさい」
助けてもらったり、感謝の気持ちを伝えなくなったら「ありがとう」
家族、そして人を大切にする、感謝する。
汚い言葉を使わない
。。。。などなど自分が在りたい姿でいる。


もちろん、まだ言葉の解らない子供に対しても真摯に対応する。
こんなシンプルな事を親がやっていれば、子供はちゃんと見ている。聴いている。

子供は親の鏡。


大人がしない事を子供にだけ強要しても子供は決して言うことなんて聞かない。
大人は良いんだ、、なんて言い訳は言語道断。


自分だったらどう?


学校の先生や職場の上司、先輩のような自分を指導してくれる立場の人がやりもしない事を、自分に強要してきたら素直に聞ける?


躾、躾、躾、躾。。。。。身を美しく

これをしっかりしないと、私が親として恥ずかしく見られるって思ってないかな?
自分の子供を恥ずかしいと思うのかな?

もしも「躾のなっていない子供だ」なんて思ったりいったりするような人が居たらそれこそ、オマエが同じ頃には出来ていたのか、って思ってもいい!

力ずくで恐怖を与えて自分の言うことを聞かせても
それは怖いから従ってるだけ。
大人も楽。
だって大声で恫喝したら小さな子供はそれだけで黙るから。
大声で「ごめんない」は??と怒鳴りつけていると、
物事の本質が「ごめんなさい」という言葉を言う事。
とインプットされてしまう。
ごめんなさいって言えば、この恐怖の時間が終わるから。



怒るは感情的な反応

叱るは理性的な対応




自分だったらどっちが気持ちに響く?

気持ちに響く事が自分で考え、自分を律すると言う事が躾につながっていくのではないかと思う。

難しい事だけどね。。
無理って思わないで自分の気持ちを強く持って覚悟を持って、大人として頑張ろう。。

未だに子供に、こんちきしょう!と頭に来たり、子供から指摘されて謝って、ポンコツのな親だけど、今は逃げ出さなくて良かった。。
親にしてくれてありがとう、と実感してます。。