00274
ふとアーティストにとってのファンってなんだろうか?と考えたんだ
見ず知らずの人がチケットを買ってライブを見に来てくれたとする
ファンと呼んで良いのかは定かではないが気になって足を運んでくれた時点でお客様であるのは間違いない
例えば趣味でやってるバンドマンが友達を呼んでライブをやってるとしよう
そこに足を運んでくれたのはお客様ではなく友達付き合いで来てくれた友達だと思う
そう思うとファンを友達と思うのはプロ意識が低いか足りないのでは?と俺様は思うんだよな
もちろんこれは俺様がそう思うだけであって違うよって意見があっても当然だからあくまで自論な?
お客様は神様って言葉があるけどお客様が神様だと思って良いって意味じゃなくて
接客する者はお客様を神様だと思って接しなさいって言う意味だったと記憶している
でもこれはあくまで接客する者としての心得だからバンドマンは接客してるわけじゃないからファンを神様なんて思うのはおかしいかな
(まあおかしくもないか?)
でも神様なんて思ってたら「かかってこい」「頭ふれ」なんて煽ったり命令なんて出来ないよな
まあ出来る事と言えばチケット買って来てくれた事やグッズやCDを買ってくれた事や
差し入れをくれた時にありがとうの気持ちを忘れない事だよな
だってファンが友達や家族なら誕生日だって忘れずに祝ってあげるもんでしょ?
祝うだけじゃなくてプレゼントもらったらお返しだって当然するべきじゃない?って思うんだよな
だから俺様はファンを友達とも家族とも思わない
だからと言って大切じゃないわけじゃないんだからな?(笑)
例えば自殺願望を抱えてる子から手紙もらっても俺様はそばに行って励ましたりする事は出来ない
そうしてあげたい気持ちがないわけじゃないけど俺様はそれをして上げることは出来ない
大切だけど大した事が出来るか?守ってやる事が出来るか?冷静に考えても限界がある
そして俺様は音楽にも限界はあると思っている
辛い時や苦しい時に好きな音楽を聴いて時には詩に涙したり自分の思いを重ねたり
その世界に浸ったりして現実逃避させてくれたり勇気をくれたり不思議なチカラを持ってるのは確か
でも絶望して立ち止まってる人に音楽が背中を押したとしても人を救えるほどではないと思う
その歌を聴いてライブハウスに足を運んで同じ音楽を好きな人と気持ちを共有して
人と触れ合いコミュニケーションを取ったり、取れなかったりしても一人じゃないんだって思えたり
なんて言うか音楽だけで人を救えるなんておこがましい事は思わないって意味なんだけどな
でもエルムの音楽で救われたとか辛い毎日もエルムのお陰で乗り切れてますって言葉に
俺様自身も救われたりするんだ
だから結論としてな?
俺様にとってファンは隣人なんじゃないかなって思う
住人と支配者だけど同じ街に住んでいて勿論俺様は偉いのだけど(笑)
でもアーティストとファンって友達じゃないと思うんだよな
今はそう言う風潮があると良く耳にするけどさ
ルナシーがファンをスレイブ(奴隷)と呼んだように線引きは大事なんじゃないかなって思う
まあ話しは戻り隣人の理想って助け合える事だと思う
俺様には直接会いに行ってやったり直接メッセージを返す事も出来ないけど大切に思ってないわけではない
だから隣人同士、いがみ合うより助け合ってくれたら嬉しいと思うぜ
新しい住人(ファン)もたくさん増えてきているから
まだ知り合いもいない子もいるだろうけど優しくしてあげてな
そう結論から言うと支配者にとってファンは当然の如く住人でそれ以上でもなければそれ以下でもない
まあ時には身分違いの恋に落ちてしまうかも…なんてな(笑)
と言う事で俺様の愛しい住人たちよ
これからもエルムが売れて行くために助け合ってくれたまえよ
別に今なにか問題があるとか報告を受けたわけじゃないからな(笑)
5周年に向けて嵐が近づいているから結束して乗り切ろう
改めてアーティストとしての俺様なりのファンとは?と言うものを考えた1日であった
またアーティストにとってのファンって言うより俺様にとってのファンに議題が変わったけど(笑)
でもアーティストにとってのファンの定義は人それぞれだが
ただ家族みたいに大切に思ったり友達の様に親身になって相談に乗ってあげたりとかしようと思っても
本当の友達みたいにケンカしたり飲みに行って馬鹿みたいに騒いだり一緒に泣いたりできないし
家族みたいにかけがえのない存在と思ってもファンだって何時かは離れてしまったりするものだしな
だから隣人って言葉や距離はなんだな凄く当てはまる気がするな
願わくば何時までもそばにいて欲しいけどな
ふっふっふ
まあ何が書きたかったかと言うとアーティスト自身のファンとの距離感の意識的な物だったのかもな
ファンがアーティストを友達みたいに接したりアーティストもファンを友達と思って接したり
なんか違うんじゃないかなーって
誰か特定の人ってより今のシーン自体なんだけど
まあ自分自身もゆめゆめ忘れず
Android携帯からの投稿
見ず知らずの人がチケットを買ってライブを見に来てくれたとする
ファンと呼んで良いのかは定かではないが気になって足を運んでくれた時点でお客様であるのは間違いない
例えば趣味でやってるバンドマンが友達を呼んでライブをやってるとしよう
そこに足を運んでくれたのはお客様ではなく友達付き合いで来てくれた友達だと思う
そう思うとファンを友達と思うのはプロ意識が低いか足りないのでは?と俺様は思うんだよな
もちろんこれは俺様がそう思うだけであって違うよって意見があっても当然だからあくまで自論な?
お客様は神様って言葉があるけどお客様が神様だと思って良いって意味じゃなくて
接客する者はお客様を神様だと思って接しなさいって言う意味だったと記憶している
でもこれはあくまで接客する者としての心得だからバンドマンは接客してるわけじゃないからファンを神様なんて思うのはおかしいかな
(まあおかしくもないか?)
でも神様なんて思ってたら「かかってこい」「頭ふれ」なんて煽ったり命令なんて出来ないよな
まあ出来る事と言えばチケット買って来てくれた事やグッズやCDを買ってくれた事や
差し入れをくれた時にありがとうの気持ちを忘れない事だよな
だってファンが友達や家族なら誕生日だって忘れずに祝ってあげるもんでしょ?
祝うだけじゃなくてプレゼントもらったらお返しだって当然するべきじゃない?って思うんだよな
だから俺様はファンを友達とも家族とも思わない
だからと言って大切じゃないわけじゃないんだからな?(笑)
例えば自殺願望を抱えてる子から手紙もらっても俺様はそばに行って励ましたりする事は出来ない
そうしてあげたい気持ちがないわけじゃないけど俺様はそれをして上げることは出来ない
大切だけど大した事が出来るか?守ってやる事が出来るか?冷静に考えても限界がある
そして俺様は音楽にも限界はあると思っている
辛い時や苦しい時に好きな音楽を聴いて時には詩に涙したり自分の思いを重ねたり
その世界に浸ったりして現実逃避させてくれたり勇気をくれたり不思議なチカラを持ってるのは確か
でも絶望して立ち止まってる人に音楽が背中を押したとしても人を救えるほどではないと思う
その歌を聴いてライブハウスに足を運んで同じ音楽を好きな人と気持ちを共有して
人と触れ合いコミュニケーションを取ったり、取れなかったりしても一人じゃないんだって思えたり
なんて言うか音楽だけで人を救えるなんておこがましい事は思わないって意味なんだけどな
でもエルムの音楽で救われたとか辛い毎日もエルムのお陰で乗り切れてますって言葉に
俺様自身も救われたりするんだ
だから結論としてな?
俺様にとってファンは隣人なんじゃないかなって思う
住人と支配者だけど同じ街に住んでいて勿論俺様は偉いのだけど(笑)
でもアーティストとファンって友達じゃないと思うんだよな
今はそう言う風潮があると良く耳にするけどさ
ルナシーがファンをスレイブ(奴隷)と呼んだように線引きは大事なんじゃないかなって思う
まあ話しは戻り隣人の理想って助け合える事だと思う
俺様には直接会いに行ってやったり直接メッセージを返す事も出来ないけど大切に思ってないわけではない
だから隣人同士、いがみ合うより助け合ってくれたら嬉しいと思うぜ
新しい住人(ファン)もたくさん増えてきているから
まだ知り合いもいない子もいるだろうけど優しくしてあげてな
そう結論から言うと支配者にとってファンは当然の如く住人でそれ以上でもなければそれ以下でもない
まあ時には身分違いの恋に落ちてしまうかも…なんてな(笑)
と言う事で俺様の愛しい住人たちよ
これからもエルムが売れて行くために助け合ってくれたまえよ
別に今なにか問題があるとか報告を受けたわけじゃないからな(笑)
5周年に向けて嵐が近づいているから結束して乗り切ろう
改めてアーティストとしての俺様なりのファンとは?と言うものを考えた1日であった
またアーティストにとってのファンって言うより俺様にとってのファンに議題が変わったけど(笑)
でもアーティストにとってのファンの定義は人それぞれだが
ただ家族みたいに大切に思ったり友達の様に親身になって相談に乗ってあげたりとかしようと思っても
本当の友達みたいにケンカしたり飲みに行って馬鹿みたいに騒いだり一緒に泣いたりできないし
家族みたいにかけがえのない存在と思ってもファンだって何時かは離れてしまったりするものだしな
だから隣人って言葉や距離はなんだな凄く当てはまる気がするな
願わくば何時までもそばにいて欲しいけどな
ふっふっふ
まあ何が書きたかったかと言うとアーティスト自身のファンとの距離感の意識的な物だったのかもな
ファンがアーティストを友達みたいに接したりアーティストもファンを友達と思って接したり
なんか違うんじゃないかなーって
誰か特定の人ってより今のシーン自体なんだけど
まあ自分自身もゆめゆめ忘れず
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