00058 | エルム ジキル オフィシャルブログ「暴君ジキルによるシリアルキラーの作り方講座」Powered by Ameba

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チェシャ猫亭を書く上で

参考にしたとまでは言わないけれども

頭の片隅には少しあったので

紹介しておこう

知ってる人は知ってると思うが

注文の多い料理店



二人の若い紳士が、

すっかりイギリスの兵隊のかたちをして、

ぴかぴかする鉄砲をかついで、

白熊のような犬をにひきつれて、

だいぶ山奥の、木の葉のかさかさしたとこを、

こんなことを云いながら、あるいておりました。

「ぜんたい、ここらの山は怪しからんね。

鳥も獣も一疋も居やがらん。

なんでも構わないから、早くタンタアーンと、

やって見たいもんだなあ。」

「鹿の黄いろな横っ腹なんぞに、

二三発お見舞もうしたら、

ずいぶん痛快だろうねえ。

くるくるまわって、

それからどたっと倒れるだろうねえ。」

それはだいぶの山奥でした。

案内してきた専門の鉄砲打ちも、

ちょっとまごついて、

どこかへ行ってしまったくらいの山奥でした。

それに、あんまり山が物凄ので、

その白熊のような犬が、二疋いっしょに

めまいを起こして、しばらく吠って、

それから泡を吐いて死んでしまいました。

「じつにぼくは、二千四百円の損害だ」と

一人の紳士が、その犬の眼ぶたを、

ちょっとかえしてみて言いました。

「ぼくは二千八百円の損害だ。」と、

もひとりが、くやしそうに、

あたまをまげて言いました。

 はじめの紳士は、すこし顔いろを悪くして、

じっと、もひとりの紳士の、

顔つきを見ながら云いました。

「ぼくはもう戻ろうとおもう。」

「さあ、ぼくもちょうど寒くはなったし

腹は空いてきたし戻ろうとおもう。」

「そいじゃ、これで切りあげよう。

なあに戻りに、昨日の宿屋で、

山鳥を拾円も買って帰ればいい。」

「兎もでていたねえ。

そうすれば結局おんなじこった。

では帰ろうじゃないか」

ところがどうも困ったことは、

どっちへ行けば戻れるのか、

いっこうに見当がつかなくなっていました。

風がどうと吹いてきて、草はざわざわ、

木の葉はかさかさ、

木はごとんごとんと鳴りました。

「どうも腹が空いた。

さっきから横っ腹が痛くてたまらないんだ。」

「ぼくもそうだ。

もうあんまりあるきたくないな。」

「あるきたくないよ。ああ困ったなあ、

何かたべたいなあ。」

「喰べたいもんだなあ」

二人の紳士は、ざわざわ鳴るすすきの中で、

こんなことを云いました。

その時ふとうしろを見ますと、

立派な一軒の西洋造りの家がありました。

そして玄関には

RESTAURANT 西洋料理店

WILDCAT HOUSE 山猫軒

という札がでていました。

「君、ちょうどいい。

ここはこれでなかなか開けてるんだ。

入ろうじゃないか」

「おや、こんなとこにおかしいね。

しかしとにかく何か食事ができるんだろう」

「もちろんできるさ。

看板にそう書いてあるじゃないか」

「はいろうじゃないか。

ぼくはもう何か喰べたくて倒れそうなんだ。」

二人は玄関に立ちました。

玄関は白い瀬戸の煉瓦で組んで、

実に立派なもんです。

そして硝子の開き戸がたって、

そこに金文字でこう書いてありました。

「どなたもどうかお入りください。

決してご遠慮はありません」

二人はそこで、ひどくよろこんで言いました。

「こいつはどうだ、

やっぱり世の中はうまくできてるねえ、

きょう一日なんぎしたけれど、

こんどはこんないいこともある。

このうちは料理店だけれども

ただでご馳走するんだぜ。」

「どうもそうらしい。

決してご遠慮はありませんというのは

その意味だ。」

二人は戸を押おして、なかへ入りました。

そこはすぐ廊下になっていました。

その硝子戸の裏側には、

金文字でこうなっていました。

「ことに肥ったお方や若いお方は、

大歓迎いたします」

二人は大歓迎というので、

もう大よろこびです。

「君、ぼくらは大歓迎にあたっているのだ。」

「ぼくらは両方兼ねてるから」

ずんずん廊下を進んで行きますと、

こんどは水いろの

ペンキ塗りの扉がありました。

「どうも変な家だ。

どうしてこんなにたくさん戸があるのだろう。」

「これはロシア式だ。

寒いとこや山の中はみんなこうさ。」

そして二人はその扉をあけようとしますと、

上に黄いろな字でこう書いてありました。

「当軒は注文の多い料理店ですから

どうかそこはご承知ください」

「なかなかはやってるんだ。こんな山の中で。」

「それあそうだ。見たまえ、

東京の大きな料理屋だって

大通りにはすくないだろう」

二人は云いながら、その扉をあけました。

するとその裏側に、

「注文はずいぶん多いでしょうが

どうか一々こらえて下さい。」

「これはぜんたいどういうんだ。」

ひとりの紳士は顔をしかめました。

「うん、これはきっと注文があまり多くて

支度が手間取るけれども

ごめん下さいとこういうことだ。」

「そうだろう。

早くどこか室の中にはいりたいもんだな。」

「そしてテーブルに座りたいもんだな。」

ところがどうもうるさいことは、

また扉が一つありました。

そしてそのわきに鏡がかかって、

その下には長い柄のついた

ブラシが置いてあったのです。

扉には赤い字で、

「お客さまがた、ここで髪をきちんとして、

それからはきものの泥を落してください。」

と書いてありました。

「これはどうももっともだ。

僕もさっき玄関で、

山のなかだとおもって見くびったんだよ」

「作法の厳しい家だ。

きっとよほど偉い人たちが、

たびたび来るんだ。」

そこで二人は、きれいに髪をけずって、

靴の泥を落しました。そしたら、どうです。

ブラシを板の上に置くや否や、

そいつがぼうっとかすんで無くなって、

風がどうっと室の中に入ってきました。

二人はびっくりして、互によりそって、

扉をがたんと開けて、

次の室へ入って行きました。

早く何か暖いものでもたべて、

元気をつけて置かないと、

もう途方もないことになってしまうと、

二人とも思ったのでした。

扉の内側に、また変なことが書いてありました。

「鉄砲と弾丸をここへ置いてください。」

見るとすぐ横に黒い台がありました。

「なるほど、鉄砲を持ってものを

食うという法はない。」

「いや、よほど偉いひとが始終来ているんだ。」

二人は鉄砲をはずし、

帯皮を解いて、それを台の上に置きました。

また黒い扉がありました。

「どうか帽子と外套と靴をおとり下さい。」

「どうだ、とるか。」

「仕方ない、とろう。

たしかによっぽどえらいひとなんだ。

奥に来ているのは」

二人は帽子とオーバーコートを釘にかけ、

靴をぬいでぺたぺたあるいて

扉の中にはいりました。

扉の裏側には、

「ネクタイピン、カフスボタン、眼鏡め、

財布、その他金物類、ことに尖ったものは、

みんなここに置いてください」

と書いてありました。

扉のすぐ横には黒塗りの立派な金庫も、

ちゃんと口を開けて置いてありました。

鍵まで添えてあったのです。

「ははあ、何かの料理に

電気をつかうと見えるね。

金気のものはあぶない。

ことに尖ったものはあぶないと

こう云うんだろう。」

「そうだろう。して見ると勘定は

帰りにここで払うのだろうか。」

「どうもそうらしい。」

「そうだ。きっと。」

二人はめがねをはずしたり、

カフスボタンをとったり、

みんな金庫のなかに入れて、

ぱちんと錠をかけました。

すこし行きますとまた扉があって、

その前に硝子の壺が一つありました。

扉にはこう書いてありました。

「壺のなかのクリームを顔や手足に

すっかり塗ってください。」

みるとたしかに壺のなかのものは

牛乳のクリームでした。

「クリームをぬれというのはどういうんだ。」

「これはね、外がひじょうに寒いだろう。

室のなかがあんまり暖いと

ひびがきれるから、その予防なんだ。

どうも奥には、よほどえらいひとがきている。

こんなとこで、案外ぼくらは、

貴族とちかづきになるかも知れないよ。」

二人は壺のクリームを、

顔に塗って手に塗ってそれから

靴下をぬいで足に塗りました。

それでもまだ残っていましたから、

それは二人ともめいめいこっそり

顔へ塗るふりをしながら喰べました。

それから大急ぎで扉をあけますと、

その裏側には、

「クリームをよく塗りましたか、

耳にもよく塗りましたか、」

と書いてあって、

ちいさなクリームの壺が

ここにも置いてありました。

「そうそう、ぼくは耳には塗らなかった。

あぶなく耳にひびを切らすとこだった。

ここの主人はじつに用意周到だね。」

「ああ、細かいとこまでよく気がつくよ。

ところでぼくは早く何か喰べたいんだが、

どうもこうどこまでも廊下じゃ仕方ないね。」

 するとすぐその前に次の戸がありました。

「料理はもうすぐできます。

十五分とお待たせはいたしません。

すぐたべられます。

早くあなたの頭に瓶びの中の香水を

よく振りかけてください。」

そして戸の前には金ピカの香水の瓶が

置いてありました。

二人はその香水を、

頭へぱちゃぱちゃ振りかけました。

ところがその香水は、

どうも酢のような匂いがするのでした。

「この香水はへんに酢くさい。

どうしたんだろう。」

「まちがえたんだ。下女が風邪でも引いて

まちがえて入れたんだ。」

二人は扉をあけて中にはいりました。

扉の裏側には、

大きな字で斯う書いてありました。

「いろいろ注文が多くてうるさかったでしょう。

お気の毒でした。

もうこれだけです。

どうかからだ中に、壺の中の塩をたくさん

よくもみ込んでください。」

なるほど立派な青い瀬戸の塩壺は

置いてありましたが、

こんどというこんどは二人とも

ぎょっとしてお互にクリームをたくさん塗った

顔を見合せました。

「どうもおかしいぜ。」

「ぼくもおかしいとおもう。」

「沢山の注文というのは、

向うがこっちへ注文してるんだよ。」

「だからさ、西洋料理店というのは、

ぼくの考えるところでは、

西洋料理を、来た人にたべさせるのではなくて、

来た人を西洋料理にして、

食べてやる家とこういうことなんだ。

これは、その、つ、つ、つ、つまり、

ぼ、ぼ、ぼくらが……。」

がたがたがたがた、

ふるえだしてもうものが言えませんでした。

「その、ぼ、ぼくらが、……うわあ。」

がたがたがたがたふるえだして、

もうものが言えませんでした。

「にげ……。」がたがたしながら

一人の紳士はうしろの戸を

押そうとしましたが、どうです、

戸はもう一分も動きませんでした。

奥の方にはまだ一枚扉があって、

大きなかぎ穴が二つつき、

銀いろのホークとナイフの形が

切りだしてあって、

「いや、わざわざご苦労です。

大へん結構にできました。

さあさあおなかにおはいりください。」

と書いてありました。

おまけにかぎ穴からは

きょろきょろ二つの青い眼玉が

こっちをのぞいています。

「うわあ。」がたがたがたがた。

「うわあ。」がたがたがたがた。

ふたりは泣き出しました。

すると戸の中では、

こそこそこんなことを云っています。

「だめだよ。もう気がついたよ。

塩をもみこまないようだよ。」

「あたりまえさ。

親分の書きようがまずいんだ。あすこへ、

いろいろ注文が多くてうるさかったでしょう、

お気の毒でしたなんて、

間抜まけたことを書いたもんだ。」

「どっちでもいいよ。どうせぼくらには、

骨も分けて呉くれやしないんだ。」

「それはそうだ。

けれどももしここへあいつらが

はいって来なかったら、

それはぼくらの責任だぜ。」

「呼ぼうか、呼ぼう。

おい、お客さん方、早くいらっしゃい。

いらっしゃい。いらっしゃい。

お皿も洗ってありますし、

菜っ葉ももうよく塩でもんで置きました。

あとはあなたがたと、

菜っ葉をうまくとりあわせて、

まっ白なお皿にのせるだけです。

はやくいらっしゃい。」

「へい、いらっしゃい、いらっしゃい。

それともサラドはお嫌いですか。

そんならこれから火を起して

フライにしてあげましょうか。

とにかくはやくいらっしゃい。」

二人はあんまり心を痛めたために、

顔がまるでくしゃくしゃの紙屑のようになり、

お互にその顔を見合せ、

ぶるぶるふるえ、声もなく泣きました。

中ではふっふっとわらってまた叫んでいます。

「いらっしゃい、いらっしゃい。

そんなに泣いては折角のクリームが

流れるじゃありませんか。

へい、ただいま。じきもってまいります。

さあ、早くいらっしゃい。」

「早くいらっしゃい。

親方がもうナフキンをかけて、

ナイフをもって、舌なめずりして、

お客さま方を待っていられます。」

二人は泣いて泣いて泣いて泣いて泣きました。

そのときうしろからいきなり、

「わん、わん、ぐゎあ。」という声がして、

あの白熊のような犬が二疋、

扉をつきやぶって室の中に飛び込んできました。

鍵穴の眼玉はたちまちなくなり、

犬どもはううとうなってしばらく室の中を

くるくる廻っていましたが、

また一声「わん。」と高く吠えて、

いきなり次の扉に飛びつきました。

戸はがたりとひらき、

犬どもは吸い込まれるように飛んで行きました。

その扉の向うのまっくらやみのなかで、

「にゃあお、くゎあ、ごろごろ。」

という声がして、それからがさがさ鳴りました。

室はけむりのように消え、

二人は寒さにぶるぶるふるえて、

草の中に立っていました。

見ると、上着や靴や財布やネクタイピンは、

あっちの枝にぶらさがったり、

こっちの根もとにちらばったりしています。

風がどうと吹いてきて、草はざわざわ、

木の葉はかさかさ、

木はごとんごとんと鳴りました。

犬がふうとうなって戻ってきました。

そしてうしろからは、
「旦那あ、旦那あ、」と

叫ぶものがあります。

二人は俄かに元気がついて

「おおい、おおい、ここだぞ、早く来い。」と

叫びました。

簔帽子をかぶった専門の猟師が、

草をざわざわ分けてやってきました。

そこで二人はやっと安心しました。

そして猟師のもってきた団子をたべ、

途中で十円だけ山鳥を買って

東京に帰りました。

しかし、さっき一ぺん紙くずのようになった

二人の顔だけは、東京に帰っても、

お湯にはいっても、

もうもとのとおりになおりませんでした。