音楽は、「人間」が「人間」として関わって脳髄の作用で生じる、一切を排除し、

生物本来の姿…感情と本能の部分のみによって成り立つそうです。

純粋な音楽とは、「人間」としての脳が働いて反映された音を含まないんじゃないかなと思う。

動物にも感情があると実感することが毎日あるけど
そのメカニズムは非常に曖昧汗

感情とはどういう事なのかを意識する前に
既に、動物の体は感情を持ってしまう。
でもそれが、ごく「自然」なことで。


人間が創造したコンピューター・・・「電子頭脳」も、感情については分析できない。
でも「言語」は、「電子頭脳」に欠かせないものの一つであって。

で人間以外の生き物で、言葉を使うものはない。



思ったこと・・・


「言葉」を持つことで、人間は、大自然の営みとの間に強靭な壁を作ってるのかもしれない。
でも
じゃぁ何で、人間が進化をとげる上で、人間の脳に言語中枢ってものが作り出されたんだろう。

耳から入ってきて
頭で変換される

音・声・言語

これによって感情が揺さぶられて
熱くなる


ただ
中には響いてない時ももちろんある
そんな時は
個人の個性にマッチしなかっただけで
その音や言語に
何か問題があったわけではないことが多い


感情は、自然と深く関係するものだと思う

雨の日に聞けばビンときたり
晴れの日に聞いても響かなかったり
雨が降ると何か落ちたり
晴れたら浮かれたり
これって、そーゆーことでしょきらきら


そして、音楽の概念・・・「音程とリズム」はそれ自体が感情を表現してると最近思うわけです。


声とか
ビートを感じれる五体満足なアタシはそれだけでシアワセだと思う。


音に触れて、感動を覚える事があるのはなんでだろ
それは・・・無意識のうち人間であるということから逃れたい欲求を持ってるのか
大自然の中の動物的存在でありたいってどっかで思ったりしてるのか
「音程」「リズム」(=音楽)の概念は、人間が発想したものの中で唯一、純粋に大自然と手を取り合って創造されたものだって思うラブ
それ故に、「音楽」は、すげぇ大自然に近いところにあって、人間と大自然を結ぶものだって考えてたら・・・今日たまたま読んだ「脳内作用」って本に同じようなことが書いてあってブログのネタにしてみました。



「音」は1つじゃ音楽にはならない。
2つ以上の音が発音されて、音楽と言える形になる。
ここにまず、リズムの概念が発生する。
そして更にこの二音が互いに違う性質のものであるとしたら、そこには同時に音程の概念が発生する。

 音程やリズムには性格がある。
例えば増四度を聞けば不穏なものを感じて、長三度の響きは明るいイメージを感じる。
決められたリズムには、その種類によってそれだけで聴くものを弾んだ気持ちにさせたりゆったりした気持ちにさせたりする効果がある。
誰に教わったわけでもなく、何の先入観も持たず耳にしてもこの響きを、誰もがそんな感覚を持って聞くんだと思う。


 そして、その音程やリズムを目で見て解るように、譜面という形式で表す。
譜面は、指示を与えるだけど、それを読んだ個人個人がそれぞれに、その曲についてのイメージを湧かせる事も出来る。


 そのイメージは「音程やリズムが持つ性格」からくるもんなんだろうなって思うふたば


 そして、その後楽器とか声を使って音とイメージを外へ放出したら、そこには、それを放出した人のキャラクターが自ずと盛り込まれている。
即ち 曲のイメージはあくまで「各々」が持つものだから、同じ曲であっても千差万別の表情で、それは「キャラクター」って形なんだろうって思う、って事ハート↑↑

 


続く・・・
もういっちょascensionあげあげ

2012年が近づくにつれて、ネットやなんかで沢山の情報が交差すると思うけど
信じる信じないは別として、なるようにしかならないから
早まって
チャネリングに依存するのは危険だと思っています。
立体のものを平面にすれば、情報が変容するのは当然だし。混乱もする。

4次元以上のチャネルをオープンにしたとしても
それを3次元のフィルターで解釈、表現すれば、たぶん確実に変容するだろうし。

その変容が悪だとか、善だとか、役立つとか役立たないとかは
一概に決まるもんじゃないと思う


だからこそ、人は、異性の美しさも絵画の美しさも、美しい音も感じることができるし
善悪じゃなく、3次元とそれ以上の次元には違いがあるという認識は大事だから、ムヤミヤタラに近づくのもどーなんだろ・・・。
自然と来るのを待つのが自然の法則だと思った今日この頃。

そして、ascensionだなんだっていっても
結局は、自分の存在価値を実感して、葛藤を手放し、感謝し、愛して、すべてを慈しむこと。
それ以外に考えるべきことはいってのが、アタシの中の結論。
こんだけ回りくどいこと、たっくさん書いてるのは、ascensionが深過ぎて、遠すぎる、難しいイベントだから、整理しながらここに記録していることを、お許しください。





情報に反応的になると、
あの情報はただしいとか、まちがってるとかに振り回されて疲れるだろーな。

正しくもあり、間違いでもあり、善であり悪であり
陰であり陽であることがものごとの本質だとするなら。

情報の正しさや間違いにこだわりすぎると
進む方向を見失う。

正しいとか間違いとかの評価の判断が役立たない時代だとしたら。
キーの1つになるのは「感謝」かな。

すべてに対して感謝をもって自分が存在すること。
生きていれば、つらいと感じることや理不尽に感じることなどたくさんあるけど。

それでも、感謝のなかに自分をおくことができれば、いいなって思う。

またまた
そんな人間になりたいって、つくづく思う日曜ん昼下がりは気持ちぃぃYurie*Osawa



感謝には、正しい・まちがいの評価、判断を無効にするエネルギーが備わってる気がする。

自分に正直であるか、誠実であるかが大事になるんだきっと。


ぜぇ~んぶに、喜びと感謝をもって存在して行動して慈しめば
ascentionの情報なんて、ほとんど興味がなくなるってことだな笑
こんだけ書いといて・・・
興味なくなってしまいました一気に笑汗