こんばんは。
久しぶり...に書きます。
最近、仕事で忙しい毎日を送っています。
夏休みが近いこともあって、オフィスでは電話が絶えません。
申し込むお客様も多く、てんやわんやな日々でございます。
...あれから、もうすぐ一ヶ月になります。
あの日、私が空っぽになってしまった日から。
今でも、当然思い出します。
涙をこぼします。
できれば、あの日々を取り戻したいとも思います。
でも、そんなのは無理だから。
...せめてお話できる誰かが欲しい。
でも、裕太郎は今、私には時間を割けないから...
甘えたくても、甘えられません。
...私は今まで正直に素直に甘えられてワガママを
聞いてもらったのが、裕太郎なんです。
だから、大好きなんです、今でも。
たぶん、これからもずっと。
でも、今はまことの事があったから、
少し二人で様子を見ている感じです...
話しをもどしまして、
...私は自分の親にも素直に甘えられない一人っ子なんです。
変な子ですよね。
だいたい、一人っ子なら親が言うことなんでも聞くって思いがちですよね。
...まぁ、そこそこは聞いてもらっていましたが。全部そうではないです。
うちは母親が主導権を握るほうなので、
私の母(日本人)は私を甘やかすのをすごく嫌ってました。
いつも一人で自立しなさい、自立しなさいと言われてました。
二度と泣くんじゃない!とかよく言われました。
あと、やっぱ日本人ですから、私が実家(マニラ)に何日間行ってもいい?と聞くと
仕事すっぽかして来るんじゃない!と言われますからw
逆に父(フィリピン人)はなにも言わない人です。
だれにも優しい人で、いい人です。
私いがいの誰もが甘えられる存在でした、病気で倒れるまでは。
フィリピンは家族が大きいので、父はやはり
親戚の子や私のいとこたちを自分の子供のようにかわいがった。
私が父にこれが欲しいとねだると、首を縦にふって買ってくれたのですが
いとこたちの分も合わせて必ず買いました。
今は自分が単なるワガママだと分かっていますが、当時一人っ子の私としては
その行動が理解できませんでした。
勉強の面だって私がどんなに頑張って成績上位を保ってっても
アメリカにいる頭のキレるいとこと比較されたりとか(今になってみてはワケ分からないとしか言いようがない)...あと、小学校の通信某で嫌いな英語ではじめて90を取った時、父に見せたんですが◯E◯E(いとこ)の英語なんて97だぞ。とか、本当にいつも比較されてきました。
ま、それで負けず嫌いにもなりましたが。
でも同時に2番になることを受け入れられないという
変なひねくいれものにもなりました。
今でも父とは素直に話したことが無いですね。
倒れた時もちょうど私は反抗期まっただ中を走っていたので。
...友達はどうかって?
うん、私は、友達の前ではだいたい聞き役なので
自分から甘えるってことはなかなかしません。(私が覚えてる限りは)
だいたいみんなに合わせるのが主義なので、主張はしません。
辛い時は目の前で涙も見せません。
素直に相談できる、悩みを聞いてくれる友達もほんの僅かしかいません。
そもそも私は悩み事を抱えてるように見えないそうなので、
私から口を開かない限り、みんな気づいてくれません。
それもそのはず、だってだいたい、みんなの私のイメージは弟がいるしっかりしたお姉さんって思う人がほとんどなので。
これは初対面の人によく言われますね。あ、あと、会社の人たちとか。
一人っ子って明かすと皆揃えて見えな~いと言います。w
でも、こんな強がりで意地っ張りな私を素直にさせてくれた人はいます。
裕太郎は泣き虫な私もワガママな私も
寂しがってる私もしつこい私も完璧じゃない私も
全てひっくるめて受け入れて愛してくれた。
現在は私が度が過ぎてるからウザがられていますが...
だからまた私は強がっているんですけどね。
...頭がまたごちゃごちゃになてきました。
...もう書けば書くほど纏まらないのでここまでにします。
おやすみなさい。