昭和7年8月15日東京生まれ。

今日終戦記念日は

叔母の誕生日です。。

昭和20年のこの日を

疎開先である

山口県光市で迎えた叔母。

小さな頃から

よく戦争体験の話を聞かせてくれました。


戦争中

北区滝野川に住んでいた叔母たち。

早い段階で次兄は志願兵として出征。

長兄である私の父は

東京青年師範学校の学生で

調布のあたりの寮で暮らしていました。

滝野川の家には

60才近かった祖父と40代後半の祖母と

小学生だった叔母と叔母の姉の4人だけ。

祖父たちは戦況が悪化する直前に

父を東京に残し

4人で祖父の出身地である山口県に疎開します。

ところが

戦禍を逃れて疎開したはずの山口県光市には

日本軍の軍事工場がありました。

学校に行った思い出よりも

学徒動員で工場で働いたことや

工場の庭で

有事の時のために

竹槍でアメリカ兵を突く練習した事などの方が

鮮明に覚えている

とよく叔母は話していました。

そして何より

軍事工場目掛けて

たびたび訪れるB29の飛来。

海岸線沿いには

いくつもの小さな防空壕が作られていて

空襲警報が鳴るたびに

工場の人たちと

その防空壕に

逃げ込んだそうです。。

そして

ある空襲の日

防空壕がそこにあるのをわかっていたB29は

海岸線を機銃掃射。

叔母の隠れていた防空壕の入り口前の砂浜に

銃弾が横に走り抜けたそうです。

叔母は

祖母が胸に縫い付けてくれていた成田山のお守りを握り締めながら

「神様、仏様、お助けください」

と祈り続けたんだそうです。

B29の音が遠ざかり

空襲警報が聞こえなくなると

叔母と

一緒にいたお友達は

泣きながら家に走って戻ったそうです。

翌日

工場に行くと

昨日

叔母たちが入った防空壕の

隣の防空壕に逃げ込んだお友達ふたりが

砂の中からご遺体で見つかったと聞かされます。

叔母の防空壕の前を走り抜けた機銃掃射で

防空壕の中にいながら撃ち抜かれて

亡くなったと、、

「それを聞いて、、泣いたわよー」


その後

ふと

胸に縫い付けてあったお守りを触ると

真っ二つに割れていたんだそうで

叔母は

「きっとこの成田山のお守りが自分を守ってくれたんだ」

と思ったそうです。


この叔母の戦争体験話は

小さい頃から

何度も何度も

繰り返し聞かされました。

叔母にとって戦争は

山口での疎開生活そのものだったのではないでしょうか。

叔母13才の誕生日に

戦争は終わります。

12才の少女にとって

死と隣り合わせの日々は

いったいどんなものだったのか、

平和な時代に生まれ育ったわたしには

想像することしか出来ませんが、、






戦後

東京に戻った叔母は

つい数年前まで毎年

成田山にお参りに行ってました。


命を守ってもらった恩を


ずっと感じていると話していました。



そういえば


そんな叔母の体験話を聞かなくなってから


どのくらい経つんでしょう。


以前は


病院への受診の際に


話してくれていたように記憶してるんですけど


最近は


そんな話もしなくなりました。


さきほど


ケーキを持って叔母の施設に行ってきました。


「お誕生日おめでとう」


と言うと


「あら、よく覚えていたわねー」


と言うので


「おばちゃんの誕生日は終戦記念日だもの。


忘れるわけないじゃん。」(⇦数年前忘れたことあるけどね💦)


と言うと


ニコニコして


「あはは、、」


と笑う叔母。


もう


戦争の話は叔母の口からは出てきません。



昔の写真を見ていても


「これ、兄。これは、姉。最近会ってないわねー。どうしてるのかしらねぇ。」


と言うので


「みんな死んじゃったよー。」


と言うと


「あぁ、そーだったわねー。」と、、、


辛い戦争の記憶が叔母の中から


消えてしまったのだとしたら


それはそれでいいのかもしれないなぁ、、


親も


兄弟も


もう


だれもこの世にいない寂しさだけで


もう十分なんじゃないかなぁ、、


と思ったりもします。


今日は何度も


「雨降ってるの⁉️」


と聞かれ


その度に


窓のカーテンを開けた叔母。


雨が降ってなかったら


散歩に行きたかったのかもしれません。


今の叔母には


過去の辛い思い出話よりも


施設から外に出かけられるかどうかの方が


大事なのかも、、




すっかり今日の写真を撮る事を忘れてしまったので


去年の笑った顔の写真を載せておきます。


「おばちゃん


実年齢よりも全然若く見えるよねー」


と言うと


「何言ってるのよ。何も出ないよ。」


と笑ってくれました。



叔母


89才になりました。