昨日(11月28日)父が旅立ちました

 

 

今年の4月に先に逝ってしまった母を

追いかけるように

 

 

母が逝った後、急激に衰えた父

 

 

母の事は知らせていなかった

にも関わらず…です

 

 

いやいや、あなた方

仲悪かったんじゃないの?

 

 

なのに二人仲良く同じ年に

連れ立って逝っちゃったのね

 

 

これだから夫婦ってわからない

 

 

実は父は以前も

危険な状態の時があったのです

 

 

朝方、一度呼吸が止まっていたとか

何とか

 

 

わたしが駆けつけた時は

酸素マスクを付けて

とても苦しそうで見ていられなかった

 

 

しかもその日は

息子の結婚式の1週間前

 

 

どうなるんだろう…

 

 

と、色んな心配が

頭の中を駆け巡ったのですが

 

 

いやいや、孫第一の父が

孫を困らせるような事は

絶対にしないはず

 

 

という思いもありました

 

 

そしてその思いは当たっていた!

 

 

何と生還したのです

 

 

次の日には意識も回復し

面会に行ったわたしに

「何か旨いもんはないんかいの?」

と言ってのけた!(*゚▽゚*)

 

 

流石っす!昭和ヒトケタの我が父よ!

 

 

そんな父でしたが

ついに力尽きてしまいました

 

 

でも…

 

 

もういいよ

 

 

もう十分だよ

 

 

食べることもできず

何の楽しみもなく

寝たきりで過ごす毎日から

やっと解放されたね

 

 

楽になれたね

 

 

良かったね

 

 

高カロリーの点滴や胃瘻を

拒否しておいて良かったと思っています

 

 

昨日、朝6時半の回診の時は

普通だったのに

 

 

7時には心電図が

止まっていたそうです

 

 

眠ったまま楽に逝けました

 

 

誰も間に合わなかったけれど

苦しまずに逝けたのならそれでいい

94歳の大往生です

 

 

今頃あちらの世界で

母と出会って喜んでいることでしょう

 

 

月に一度お寺で集っている

「夫を亡くした女性の会」で

先月、ご住職が心に残る事を

言われました

 

 

「世間では人が亡くなる事を

不幸と言いますが

 

 

わたしはそれは違うと思います

 

 

人は必ず亡くなります

それを不幸と言うなら

全ての人の終着点は不幸になってしまう

 

 

人は不幸になるために生まれてくる

訳じゃないですからね」

 

 

この言葉は腑に落ちましたね

 

 

あちらの世界に逝くことは

全ての苦しみから解放されることだから

 

 

逝った本人は幸せなのですよ

 

 

ただねぇ

 

 

残された方がねぇ…

 

 

ま、それも何れ解決するとして

 

 

 

 

今思うのは

比較的元気だった先月と先々月の

頃のこと

 

 

見舞いに行くたびに

 

 

「今日はここに泊まっていけぇや

2階の部屋で寝りゃあええで」

 

 

と、わたしを泊めたがっていたこと

父は頭の中でずっと自宅に居たのです

 

 

「うん、じゃ泊まらせてもらうね!」

 

 

と言うと喜んでいました

 

 

もう一度

 

 

「今日はここに泊まっていけぇや」

 

 

が、聞きたい

 

 

 

 
 

 

それでは

みなさま

ごきげんよう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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