ひすいこたろうさんの本にこんなことが書いてありました。
辛い思い出を思い出した時 その映像の中に自分が映っているか、いないか?
自分が映っていないということは、第三者の目線になって俯瞰できているということ。
自分が映っていた場合はまだ当事者意識があるということ。
なるほどなと思いました。
義母に関する辛いことは私の場合 見事に私の記憶の中での映像に私はしっかり登場しています。
撮影しているカメラが部屋の四隅に設置されているように。
実は私が俯瞰できたのには理由があります。
後に気づいたのですが、当時辛かった出来事を外国に住む外国人の親友に英語で伝えていました。
英語は長い期間、今もって勉強中なんですが込み入った話の度にどう表現したら友達にわかってもらえるかな?と辞書片手に調べていました。
これってかなり第三者的な視点ですよね。
被害にあった出来事を夜な夜な辞書で調べながら英文でメールするわけですから。
結果これが俯瞰という習慣になったようです。