今、ひとりの女性の死に心を痛めています。東大卒で、広告代理店社員であった女性、高橋まつりさん。経歴が似ているということで、どう思いますか、ってTwitterでもよく聞かれました。でも、つぶやきでは、なんて言ったらいいか分からなくて。今日、ブログが開設されたので、何を書こうかなと思ったんだけれど、やっぱりね、このことが気にかかってたから、今日は彼女の出来事をきっかけに思うことを書きます。サンデー毎日にも、カチッとした文章で書いています。いま発売になっていますから「なんとか生きてますッ」という連載の「まつりさんに捧ぐ」を読んでみてね。まとまってて読みやすいはず。

ブログは、ブログなので、

だらだらと書かせてもらいますね。

 

20歳近く年下で面識もない、ニュースでしか知らない彼女の死について語ることは、とてもデリケートなことで、、。状況だって、会社の対応だって実際どうだったかは詳しく知らないですし。でも、この出来事について胸を痛めているだけではいけないな、と思ったんです。

 

他に同じように苦しんでいる人がいるんじゃないかと思って。その人たちにせめて、同じように追いつめられないでほしいから。

 

 私もよく残業をしていました。早く帰れって怒られてました。でも仕事は山盛りにあったので、時間を上限しかつけずに、家に持ち帰ったり、喫茶店で仕事をすることもありました。ただ、私の場合は自分で好んでやっていたのであって、誰かに強要されたわけではなかった。仕事に追いつめられたとしても、上司に暴言を吐かれたり、努力したことをけなされたり、評価されないということはなかったから、だから、しんどかったしプレッシャーで胃が痛かったけれど、健全ではありました。

 

 まつりさんの場合は、過剰労働の上の、強いパワハラが、言葉の暴力が

彼女の心を壊してしまったのではないかな。。。

 今回対策として上限の70時間が65時間に引き下げされたけれど、そういうことじゃないんです。問題はそうじゃない。そんなことではなんら解決しない。たくさん仕事がある人は、会社の管理が厳しくなって、残業できないから家か喫茶店で持ち帰る。会社はその時間の労働賃金支払わなくて済むので、またまた会社の好都合になってしまう。ただ、それは会社もわざとそうしたいわけではない、と思う。(と、信じたい)

 

 まつりさんのニュースを見て、とても悔しかった。哀しいやら、なんだか、やるせない気持ちになった。

 私がもし同僚だったら、彼女を飲みにでも連れていって、こう言ってあげたかったなって。

「仕事なんて、ほおりだしたって、いいんだよ。出来ない量の仕事を下に振る上司が無能!」

彼女が言えないなら、私がその上司なりその上に言ったと思う。

 

 じゃあ上司がいけないかというとそうじゃないんですよね。そんな簡単なことじゃない。きっとね、その発言につながる立場と背景があったはずだから。要は、そういう発言をしてしまうシステムの問題なんじゃないかなと思うのです。

会社全体の思考の問題なのかなと。

 

 「明日迄なんて無理!」と言えること。現場が言えて、その上も言えて、その上司も言えて。絶対できる、よりも、できない、から始まることって、ある。人間関係だってそう。時代は変化しているんだもの。

会社はチームなんだから、1人に仕事が偏らない要に出来るという良さがあるはずだと思うんです。

 

 実際、会社員時代、大恋愛を海外の人としたために断腸の思いでプロジェクトを外してもらって海外へ飛んだことがありました。もちろん、「正気じゃない」って言われたし、「大宮が抜けたら困る」って怒られた。

でも、私は人生で、たとえば自分がおばあちゃんになって、縁側でお茶をすすっているときにね、「ああ、あの仕事やっておけばよかった〜ぁ」って言わない気がしたんです。でも、「ああ、彼に会いに海外に行っておけばよかった」とは思うかもしれないなと。それで、せっかくのチャンスの仕事でもあったけれど、出来ない、って言って周りを驚かせながら海外へ。

 

無責任な社員ではなかったので(自称ですが)周りに迷惑がかからないようにきちんと引き継いだものの、気になって気になって、彼氏そっちのけで、海外のとある島のたった1つの公衆電話から、毎日、会社に電話をかけました。「だいじょうぶですか?」「どうなってます?」

驚いたのは、同僚から、

「あ、大丈夫ですよ」って言われたこと。

何度か電話したら、

「もうかけてこなくていいですから。うまくいってますから、海外楽しんで」

 

まじかーって。あんなに抜けられたら困る!って言ってたのに。びっくりしました。それでね、あ、そっかぁって気づいたんです。いざ、抜けてしまえば誰かがなんとかしてくれるんだなと。

逆の経験もありますが、誰か抜けて、困った!って思っても、案外、結果オーライだったり、むしろそのことで、抜けた人の立場が分かったり、試されたり、強くなったり、ってありますよね。

 

とにかく、あの海外からの電話が強烈にいまでも残っています。

帰国したら、あたし、席ないかも(汗)って思ったけど、まあ、会社は辞めさせたりできないので、戻ったら真摯に頑張ればいいわけです。

毎回毎回、責任感で自分を犠牲にすることは、ないんだなって。そう、思ったんですねぇ、島で。

 

会社は絶対ではない。上司だって、絶対じゃない。

でも、なかなかそう思えないですよね。でも、絶対な人なんていないんだから。会社も間違えをするし、上司も人間だし、間違えもある。それを会社は社員に伝える義務があると思うんですよね。

 それでは統制がとれないじゃないって、言われるかもしれない。バラバラになってしまうじゃないのと。でも、実はそうじゃなくてね、会社や上司の意見は絶対、という思想でしばるのではなくて、きちんとしたルールがあれば、それで大抵のチーム統制は作られるんじゃないかなって。

  

 一番の統制は、モチベーションとやりがいなんじゃないかなと。ひとつのことにみんなで声を掛け合いながら、協力して取り組んで行く。そのためには、ルールも時と場合によっては例外が出て来るだろうし、またここは、話すこと、コミュニケーションになってくるんですよね。

 

 絶対はないということ。これは、学校でも言えると思う。

いじめられていて毎日が辛い。それでも学校に行かなくてはいけない、っていうことはないと思うんです。学校なんて、別にいかなくてもいい。学校にいけば、すべてオッケーっていう時代じゃあ、もうないんだから。いじめなんかがあったら、それも解決しないタイプだったら、逃げちゃえばいい。引っ越して学区を変えたっていい。引っ越す余裕がなければ、学校はいかないで、面白い大人とお茶飲んでるほうが、よっぽどためになるかもしれない。

 

 人は色んなことを言う。最もらしいことを言う。

でも、“わたし”のことを本当に考えているかといったらどうかなと。

“わたし”のことを本当に守れるのは、“わたし”なんだと思うんです。

学校なんて、会社なんて最後はあてにならない。だから、自分が自分らしく、最大限の力を発揮するために必要なこと、改善して欲しいことは相手に、上司に、言っていいと思うんです。

 

私がもしも、企業の人材育成係であったら、新入社員のみんなに

こんなスピーチするかもしれないです。

 

「自分の人生より大事な仕事なんて、ひとつもないです」

 

 自分の人生を豊かにするために、やりがいを味わうために仕事ってあると思う。もちろん、生活のためもあります。人は、働いてお金をもらって、家賃を払ったり、誰かを養ったり。それもひとつのやりがい。自分で自分をまかなえているというやりがい。

 理由はどうあれ、仕事を選び、それに一生懸命打ち込む喜び、がんばった仲間とそれを分かち合う喜び、自分に自信を取り戻す喜び、成長を感じる喜び、いろんな喜びがあると思うんです。それらがない仕事や、今が大変でも、それらに続くと思えない仕事、自分の心が壊れてしまいそうな仕事は、やる必要がないと思うんです。

 そもそも仕事って、自分を快適に生きて行くために、お金を稼ぐための活動だから。本末転倒になっちゃう。

 

私がもしも、企業の人材育成係であったら、新入社員のみんなに

こんなスピーチも、するかもしれないです。老婆心として。

 

上司の言うことが絶対ではないよ、って。

もしも、「君の残業の20時間は無駄だ」という人間がいたら、こう言ってやってもらいたい。あなたのその発言は、自分のモチベーションを落とすナンセンスな発言であり、あなたのその発言と考え方こそが、会社にとって、無駄、私にとっても無駄である、と逆に諭して欲しい。そして、そのあと、人材育成課のスタッフに電話をください。わたしでも結構です。

と‥。

 まあ、そんなこと言ってたら私が辞めさせられちゃうか!?

 

 残業時間を引き下げるとか、時間が来たら、会社を真っ暗にして空調を消すということよりも、とても大事なことがたくさんあると思うのです。

機械的な管理では本質は改善されず、むしろもっと病巣は深く、指摘しづらい形ではびこってしまうのではないか、心配。会社はね、私はある意味、好きだったから、だから暖かい場所であってほしい。人が助け合ったり、切磋琢磨したり、時に叱られて凹んだり、何がいけなかったのかなって考えたり、次は褒められたり、成長していける暖かい場所であってほしい。

 

 まつりさん。これから、いいことあったかもしれないのに。いい人と出会って結婚したかもしれないのに。そう思うと、本当に哀しい。哀しいよ。

人が若くして、命を絶つとね、そんなニュースを見ると、すごく哀しいんです。どうか、そういうことがないように、と、祈っています。