自分が「方言」を使っていたことに

気付いてしまった私。

 

 

 

日本語教師であるからには

「標準語を使って話さなければ!」

とカチカチになっていましたプンプン

 

 

名古屋弁だと気付かれる要因の一つに、

アクセントの違いがあります。


例えば、有名なのは「坂・靴・服・熊」

などの言葉。


これらは名古屋弁では上から下右下矢印へと

アクセントの位置が変わります。


東京言葉とは逆になるのです。

 


学生たちに新しい言葉を教える際には

前もってアクセント辞典で確認し、

「間違えないように!」と構えていました。

 

 

 


そんなある日、東京の方とお話しする機会が

ありました。


方言訛りで日本語を教えていることへの悩みを

打ち明けると、

 


「その土地でしか聞くことのできない言葉に

    触れられるって、いいですよね。

 

 【生きた言葉】ですから。

 

 東京言葉がいいのなら、東京の学校を選べば

    いいんですよ」

 


と話してくれました。

 

 


 


なんだか肩の荷が下りました。

 

 

あぁ、そうか。


「日本語」って、

教科書に載っている言葉だけじゃないんだ。

 

全国各地には様々な方言があって、

その全てが「日本語」なんだ。

 

どの方言も、その土地土地の

歴史や文化が紡いできたものなんだ。

 

 


そもそも言葉って、

ガッチリとルールに縛られるものではないよね。



「正しい」かどうかより、

相手に気持ちが「伝わる」ことの方が

大切。

 



文法を少しくらい間違えても大丈夫。

まずは口に出してみて、会話してみる。


会話の中で相手の言葉に耳を傾け、

徐々に覚えていけばいい。

 



言葉は、相手に

「今、自分は何を思っているのか」

を伝えるツールであること。


自分を守ることもできるし、

相手を理解することもできる。

 


もし、日本語が分かるようになったら、

日本人の考え方を知ることができる。


自分の国にはなかった考え方を取り入れられて、

視野がグッと広げられる。

 

 


言葉を使って「伝える」ことの大切さや楽しさ

を自分自身で気付くことができる。


私はそんなサポートができる「日本語教師」

でありたいです。