大阪府の大学を2校4学科受験して合格通知が来たのは1つだけだったけど、それでもオレがどうにか合格出来たのは女子大生のお姉さんの力が大きかった(もちろん親もだけど)。
このお姉さん、法学部の学生さんだったんだけど教え方がすごく上手だった。英語の受験勉強を見て貰ってたんだけど、オレがやるべき課題をちゃんとやってたら褒めてくれたし、逆にやっていなかったらちゃんと叱ってくれた。今思うと、憧れみたいなものもあったかも知れないね。だから頑張れた部分も少なからずあったと思う。合格の報告したら自分のことみたいに喜んでくれてね、オレはそれが嬉しかった。
もちろん、高校の担任にも報告に行ったんだけど、「嘘つくな、ちゃんと合格通知持ってこい」って言われたんだよ。酷くない?そんなすぐにバレる嘘なんかつく訳ないじゃん、誰が得するんだよ!(笑)
だけどね、そのくらいオレの成績って酷かったんだ。次の日に合格通知持って行ったらやっと信じてくれたよ。
この話はね、さすがに母親も「失礼な!」って怒ってた。でも、「アンタの普段の行いが悪いからよ」とも言われた。
無事に高校卒業して、1991年にオレが移り住んだのは大阪府の茨木市。
母親が、当時大阪に住んでたオレの伯父(母親の弟ね)にアパートの手配頼んでたんだけど、現地に着いてオレが目の当たりにしたのは築何十年経ってるか分からない文化住宅だった。六畳一間でトイレ付きの風呂無し、家賃は二万五千円。
さすがに「マジかよ!?」って思ったよ。「ウチの母親はどういう条件で伯父にアパート探させたんだよ!?」って思ったね。だけど、このボロアパートからオレの大学生活が始まることになるんだ。
オレの通っていた高校から、その大学に進学したのはオレ1人だけ、知ってる人は誰もいない。
まっさらな状態で、一から人間関係を作っていくのは人見知りのオレには大変だったなぁ。
最初のクラス編成で一緒になったみんなで、最初の授業があったその日に飲みに行く事になって、待ち合わせ場所が今もあるのかどうか分からないけど『梅田のビッグマン前』だったんだ。
田舎から出てきたばっかりで梅田なんか全然分からないし、今と違ってスマホなんか無いから何処にそんなもんあるのか分からない。仕方ないから隣の席の子に聞いたよ「それ何処?」って、鹿児島弁丸出しで。笑われたけど丁寧に教えてくれた。
今考えたら、クラスの連中はほとんどいいヤツばっかりだったな。田舎者だからってバカにされる事もなかったし、徐々にだけど仲良くなってくれたし、オレの人見知りも自然になくなっていった。
オレが『はぐれ医療事務員』になって、色んな職場に行っても初日からちゃんと溶け込めるようになったのは、この大学時代の存在が非常に大きい。
その中で特に仲良くなったのが、岡山出身のヤツと福山出身のヤツ。この悪友2人とは大学4年間ずっとつるむ事になる。
華々しく?始まったように思えたオレの大学時代だったんだけど...、長くなっちゃったから今回はこのくらいにしておこう。
このブログ、まだまだ続きます(笑)。
