イロンナ気持ちがあって、どの気持ちが本当なのか
自分でも分からなくなることってありませんか?
今日の出来事
昨日じゃなくて、
めずらしく今日の出来事。
今日は3週間ぶりの通院日。
午前中ちょっと用事があってプールに行くのが遅めになって、
そのズレで予約の14時ギリギリに病院に到着。
予約1時間前には診察券を出せるように調整して行動するのは、
予約とはいえ時間通りに行かないから。
いずれにしても待つ時間は変わらないから、
時間に追われて行動する必要もないのですが(^o^;)
そんな風になっちゃうのは性格上致し方ないのです。
そんなんで今日の診察は3時過ぎちゃうだろうなと覚悟していたのだけど、
ラッキーなことに案外早く順番が回ってきた。
診察室のドアを開ける。
主治医は髪を切ってスッキリしていて、
だから最初の挨拶は「センセイ、スッキリしましたね」だった。
「こないだ来たのはいつだっけ?」
「えと3週間前ですよぉ」
「そうだった? う~ん....」
「忘れちゃったんですか? 2週間目には他に予定があって病院を空けてるから3週間後にってセンセイが言ったんじゃないですかー」
「いや、そうじゃなくて、いつ髪切ったかなぁって」
そんな感じで和やかにスタート。
今日の主治医のベストフレーズは、
『怒りも悩みも辛さも人の数だけある。
人間なんて自分の辛さしか分からなくて当然』
これは、あることに関して感じた私の怒りについての
質問への答え。
その時の私の怒りは異常ではないか?
これは障害者特有の怒りなのか?
『そういうことに怒りを感じるのは個性でしょ?
貴女だから感じる怒り』
この言葉に続くのが、件の『怒りも悩みも~。
親にも周りにも否定される人生を長く歩んできた私は、
主治医の肯定でこの上なく救われる。
けれど必ず彼の言葉には仕掛けがある。
私が感じていた怒りは、
私には全く関係のない相手に対する怒りだ。
『怒りを感じるのは貴女の個性』と私を認めた後に、
『悩みも辛いと感じることも夫々の個性なのだ』と続く。
つまり、
自分の怒りを認め、人の感情も認めなさいよってことなのだ。
ただし何にどんな怒りを感じても何の問題もないのだと、もう一度繰り返した。
怒りを感じなくなる方がオカシイ、と。
ただその怒りが正しいかどうかは別の話。
確かに!
次の診察はいつにする? また3週間後でイイかな?
と聞かれたから、2週間後がイイ~と答えた。
じゃ2週間後ね。
ニコニコしながら診察室を後にして、心地よい気分で散歩しながら家に帰った。
昨日から今日にかけての一冊は、
伊藤たかみの『八月の路上に捨てる』と併録の『貝から見る風景』
この人の作品は95年のデビュー作『助手席にて、グルグル・ダンスを踊って』以来、読んでいなかった。
ストリーを全く覚えていないほど、何も感じなかったような気がする。
読んだなぁという記憶しかない。
最近、再び芥川賞受賞作品を読みあさっている。
それにしても、いつから読まなくなったんだっけ。
1989年の大岡玲『表層生活』から、1999年の藤野千夜『夏の約束』までは
リアルタイムで読んでいる。
2000年、精神病院へ入院した年の受賞作品、町田康『きれぎれ』は
この年には読んでいないのは確か。
何故なら退院後の一年間は、マトモに読書できなかった記憶がある。
集中力が全くなくなってしまって、ストーリーが頭に入ってこなかった。
夫が面白いと絶賛するから、いつだったか読んだけれど、感想は
「うわっこの人ってば間違いなくイッチャッテル、あの時の私が見た世界と同じ...」
だった。
なんつか、狂った私も天女の舞を見たのよね、確かに。
以来、芥川賞に興味がなくなって、この十年間読んでいなかったのでした。
感想は『ふーん』です。
けど、そんなに嫌いじゃないかな。
好きでもないけど。
でもまぁ歴代の芥川賞受賞作品で好きと言い切れる作品って少ないので
こんなものなんだろうなぁという感じです。
『貝から』の方がロマンチックな表現があって好ましいのでした。
『グルグル』よかずっと印象に残りそうな気がする...いや、十年後には忘れてるかしら?
こうして再び読書ができることに、深い喜びを感じるのだ♪
めずらしく今日の出来事。
今日は3週間ぶりの通院日。
午前中ちょっと用事があってプールに行くのが遅めになって、
そのズレで予約の14時ギリギリに病院に到着。
予約1時間前には診察券を出せるように調整して行動するのは、
予約とはいえ時間通りに行かないから。
いずれにしても待つ時間は変わらないから、
時間に追われて行動する必要もないのですが(^o^;)
そんな風になっちゃうのは性格上致し方ないのです。
そんなんで今日の診察は3時過ぎちゃうだろうなと覚悟していたのだけど、
ラッキーなことに案外早く順番が回ってきた。
診察室のドアを開ける。
主治医は髪を切ってスッキリしていて、
だから最初の挨拶は「センセイ、スッキリしましたね」だった。
「こないだ来たのはいつだっけ?」
「えと3週間前ですよぉ」
「そうだった? う~ん....」
「忘れちゃったんですか? 2週間目には他に予定があって病院を空けてるから3週間後にってセンセイが言ったんじゃないですかー」
「いや、そうじゃなくて、いつ髪切ったかなぁって」
そんな感じで和やかにスタート。
今日の主治医のベストフレーズは、
『怒りも悩みも辛さも人の数だけある。
人間なんて自分の辛さしか分からなくて当然』
これは、あることに関して感じた私の怒りについての
質問への答え。
その時の私の怒りは異常ではないか?
これは障害者特有の怒りなのか?
『そういうことに怒りを感じるのは個性でしょ?
貴女だから感じる怒り』
この言葉に続くのが、件の『怒りも悩みも~。
親にも周りにも否定される人生を長く歩んできた私は、
主治医の肯定でこの上なく救われる。
けれど必ず彼の言葉には仕掛けがある。
私が感じていた怒りは、
私には全く関係のない相手に対する怒りだ。
『怒りを感じるのは貴女の個性』と私を認めた後に、
『悩みも辛いと感じることも夫々の個性なのだ』と続く。
つまり、
自分の怒りを認め、人の感情も認めなさいよってことなのだ。
ただし何にどんな怒りを感じても何の問題もないのだと、もう一度繰り返した。
怒りを感じなくなる方がオカシイ、と。
ただその怒りが正しいかどうかは別の話。
確かに!
次の診察はいつにする? また3週間後でイイかな?
と聞かれたから、2週間後がイイ~と答えた。
じゃ2週間後ね。
ニコニコしながら診察室を後にして、心地よい気分で散歩しながら家に帰った。
昨日から今日にかけての一冊は、
伊藤たかみの『八月の路上に捨てる』と併録の『貝から見る風景』
この人の作品は95年のデビュー作『助手席にて、グルグル・ダンスを踊って』以来、読んでいなかった。
ストリーを全く覚えていないほど、何も感じなかったような気がする。
読んだなぁという記憶しかない。
最近、再び芥川賞受賞作品を読みあさっている。
それにしても、いつから読まなくなったんだっけ。
1989年の大岡玲『表層生活』から、1999年の藤野千夜『夏の約束』までは
リアルタイムで読んでいる。
2000年、精神病院へ入院した年の受賞作品、町田康『きれぎれ』は
この年には読んでいないのは確か。
何故なら退院後の一年間は、マトモに読書できなかった記憶がある。
集中力が全くなくなってしまって、ストーリーが頭に入ってこなかった。
夫が面白いと絶賛するから、いつだったか読んだけれど、感想は
「うわっこの人ってば間違いなくイッチャッテル、あの時の私が見た世界と同じ...」
だった。
なんつか、狂った私も天女の舞を見たのよね、確かに。
以来、芥川賞に興味がなくなって、この十年間読んでいなかったのでした。
感想は『ふーん』です。
けど、そんなに嫌いじゃないかな。
好きでもないけど。
でもまぁ歴代の芥川賞受賞作品で好きと言い切れる作品って少ないので
こんなものなんだろうなぁという感じです。
『貝から』の方がロマンチックな表現があって好ましいのでした。
『グルグル』よかずっと印象に残りそうな気がする...いや、十年後には忘れてるかしら?
こうして再び読書ができることに、深い喜びを感じるのだ♪
ひぃー
眠い。。
今日は一日バタバタしていて、
帰ってきたのが8時過ぎでした。
でもって今日初めての食事をとりました。
白川郷の旅ブログ、編集しかけていますが
眠くて眠くて(>0<)
今日は無理。
明日は通院日なので、今日は早寝いたします~
おやすみなさい
また明日
今日は一日バタバタしていて、
帰ってきたのが8時過ぎでした。
でもって今日初めての食事をとりました。
白川郷の旅ブログ、編集しかけていますが
眠くて眠くて(>0<)
今日は無理。
明日は通院日なので、今日は早寝いたします~
おやすみなさい

また明日

オリンピック
長い間、スキーから遠ざかっていた。
私自身がスキーをすることは勿論、映像で誰かの滑る姿を見ることも一切なかった。
だから冬期オリンピックをTVで見られた今年は、特別な年。
4年間という歳月をかけて、そこに望む選手達。
決して短くない月日が一瞬で砕け散る瞬間。
彼らは何を思うだろう。
彼らは絶望するだろうか。
4年という歳月を悔やむだろうか。
立ち上がって、既にゴールではなくなったそこへ向かうとき
彼らは何を思うのだろう。
これまでの4年間を振り返るのではなく、
これからの4年間に思いを馳せるのではないか?
4年後の金メダルを夢見て、彼らの4年は再び始まるのだろう。
16歳の誕生日を間近に控えた冬。
この頃、高校一年生の私の留年は既に決まっていた。
家出を繰り返す私の出席日数は進級するには値せず、
学長と話し合った末新学期まで登校する必要がなくなった。
あれほど繰り返していた家出がピタリと修まった私は、
部屋の中へ閉じこもってブツブツ独り言を呟くようになっていた。
すっかり無表情になって、笑う泣く怒るという感情さえ失せた。
家の中ではもともと無口だったが、全く言葉を発することがなくなり
頭を横にふるか頷くかで辛うじて意思表示をしていた。
そんな冬、私はスキー場でリゾートバイトをしたいと唐突に父に話した。
理由を聞かずに父は、このアルバイトをあっさりと許可する。
このとき父の出した条件は
高校は必ず卒業すること、毎晩自宅に電話をかけること、
この二つだった。
相談する前に履歴書を送っていた宿のオーナーと、
長時間の電話で色々と話し合っていた父。
自分のことだというのに、その話の内容に私は全く関心がわかなかった。
あの頃の私は細かいことが全く気にならなくなっており、
物事を考える能力が欠損していたように思う。
正月三が日を家で家族と過ごし、いよいよスキー場に旅立つ日。
特急の発車する駅まで送る、父の運転する車の助手席に座る私は
久しぶりにワクワクするという感覚がわき上がった。
娘の顔に浮かぶ数ヶ月ぶりの笑顔を、父はどんな思いで見送ったのだろうか。
あのとき改札口でどんな会話をしたのか、一切私の記憶には残っていない。
ただ困ったような父の笑顔を、ぼんやりと覚えている。
手渡された封筒にはピン札の一万円札が5枚と、たった二行の手紙が入っていた。
帰りたくなったときの交通費です。
お金に困ったら人に借りたりせずに、すぐに連絡するように。
この手紙を読んで私は、ほろりともしなかったと思う。
『ラッキー』くらいにしか思わなかったのではないだろうか。
この後この手紙の記憶は一切なくて、
何年も経ってから机の整理をしていて見つけた。
何だ?この手紙?
どれくらいの時間だろうか、その手紙を手に呆然とした。
そして不意に、あの改札口で手渡された光景が浮かんだ。
情景が蘇った後も心情は思い出せない。
父の愛情を知った今だから思い出すだけで涙が浮かぶが、
あの頃の父を心底憎んでいた私には恐らくそんな感情は一切なかったのではないか。
信州のとあるスキー場の古びたスキー宿。
そこで3月いっぱい住み込みでアルバイトをすることになっている。
冬季限定のアルバイトは十数人で、大学生、専門学生、フリーターが占めている。
4人のフリーター以外の学生は冬休み期間中の短期アルバイトで、
高校生は私一人、しかも長期。
自己紹介のときに怪訝な顔をする人が何人かいた。
バイトの部屋は女子と男子に別れている。
カーテンで仕切られた2段ベッドが数台置いてあるだけの殺風景な部屋の、
ベッドの上だけが独りになれるスペースだった。
朝5時半頃だったろうか、まだ暗いうちに起きだして朝食の準備に取りかかる。
客に朝食を提供した後、後片付け、
掃除、ベットメイキングが済むと夕食の準備までの時間が休憩時間となる。
与えられた仕事が早く終われば休憩時間も延びるわけで、
少しでも早く片付くようにアルバイターたちは団結して仕事をこなしてゆく。
休憩時間になると、天候が悪くなければ誰もがゲレンデへと急いだ。
リフトを乗り継いで上級者用のゲレンデへと昇ってゆく。
その当時の私のスキー歴と言えば、一年に数度スキー場へ行くか行かないかといったところ。
スキーの腕前は、初級レベル。
圧雪車でならされた幅の広い緩斜面なら、なんとか板を平行にして滑走できる程度。
ゲレンデ下部の初級者用の緩斜面で、ピヨピヨしているのは私一人だけだった。
親切でハンサムなOさんはN大理工学部の3年生で、バイトの女子連から当然人気があった。
最年少のしかも初心者の私を、親切なOさんは放っておけなかったのだろう。
休憩時間によくスキーを教えてくれた。
当然女子蓮からはよく思われず、いつしかベットメイキング等、
基本的には二人でする作業を私と組む女子がいなくなってしまった。
そんな理由で私は男子とペアを組むしかなく、
間もなく『男好き』などと聞こえよがしに言われるようになった。
私の方は『また始まった』そう思うくらいで、
一向に気にならなかった。
ある日の休憩時間、女子連が珍しく私をスキーに誘った。
突然の友好を怪訝には思ったが、断ると今後が面倒なことになる。
いかにも喜んでいる素振りで、私は彼女達の後を追った。
数人の女子学生達とリフトを一本だけ乗ると、私には馴染みの初心者コースに到着する。
手取り足取り、彼女達は私にスキーの技を教える。
少しずつ彼女達が好きになってゆく。
楽しいな、そう感じている自分に驚いた。
休憩時間が残り30分になった頃、女子蓮の一人が
これだけ上達したんだからもっと上の方に行っても大丈夫よ、と言った。
皆、口を揃えてそれに同調する。
上の方ってコブとかあるでんですよね?
平気よ、大したことないから
休憩時間は30分しか残っていない。
私に戻って来れるんだろうか?
不安げに迷っている私に、彼女達は優しい笑顔でこう言った。
上の方にもコブのないなだらかな斜面はあるから大丈夫よ
私たちがついてるじゃない
うん、きっと大丈夫。
意を決して初めてスーパークワッドに乗った。
到着したコースに降り立ったときは全く声が出なかった。
こんな急斜面、私には無理だ。
あそこのリフト分かる?
そう言って、指差した先にはリフト乗り場が見えた。
私は無言のまま頷く。
あそこまでなら何とか降りられるでしょ?コブも小さいし距離も短いでしょ?
あのリフトを昇ったら上の方に迂回するコースがあるから
ゆっくりと後方の私を確認しながら、彼女達はリフトを目指す。
恐る恐る私も続いた。
何とかリフト乗り場にたどり着いて、ホッと胸をおろした。
シングルリフトは頂上に向かって、真っ直ぐ延びている。
シングルリフトに乗るのも、リフトを乗り継ぐのも初めてで、私はドキドキしていた。
そして到着した頂で、私のドキドキは絶頂となる。
いやもうドキドキなんて通り越して、『心臓が口から飛び出す』を実感した。
直角にしか見えない斜面に、足が竦む。
これって斜面なの?崖じゃないの?
少し降りれば迂回するコースがあるから
そう言って彼女たちは私を残して滑り出した。
少しずつ小さくなる後ろ姿を眺めながら、私は途方に暮れていた。
まるで膠着したように、体が動かない。
時間は刻々と過ぎてゆく。
何、やってんの?
声に振り返ると、フリーターのTさんの呆れた顔。
何も言えずにいる私に、呆れ果てたTさんの顔に苦笑いが浮かんだ。
仕方ないなぁ上まで行くなってオーナーから注意されてたろ?
休憩時間終わっちゃうぞ
板外して俺が持ってくから歩いて降りて来なよ
え?板を持ってちゃうんですか?迂回コースは?
迂回コースなんかないよ
騙された?
ショックだった。
信じたのに…
ゲレンデの端をズボズボと沈み込む足を
一歩一歩引き抜きながら、
下を向いて歩いた。
鼻の奥がツーンと痛くなって、知らぬ間に涙がポロポロ溢れ出した。
泣くのはどれくらい振りだろう。
ヨタヨタと足を取られ何度も転んだ。
悔しくて情けなくて、起き上がるたびに
ちくちょうと口から漏れた。
絶対に上手くなるって、誓った。
3月が終わる頃には、あいつらよりも絶対に上手くなってやる。
休憩時間を大幅にオーバーして戻った私の無茶を、
オーナーは強く叱った。
それでも言い訳もできずに俯く私に、大きくため息をついた彼は
腹が減ったろうと一言言って握り飯を差し出した。
真っ白な塩むすびを食べながら、涙と鼻水が止まらなくなって
上手く喉を通らない。
塩味は握り飯の塩分なのか、涙なのか、鼻水なのか、分からなくなる。
けれど流れる涙は悔し涙じゃなくて、
嬉しい涙なのだと明確に分かった。
失っていた様々な感情が、一つ一つ戻ってくることが不思議だった。
翌日から私は雨の日も雪の日も吹雪いていても、リフトさえ止まらなければ
ゲレンデへ出た。
スキー上達マニュアルという本をリュックサックに入れて、
リフトの上で読んでは降り立ったコースで実践する。
一週間に一度の休日は、スキースクールに入って練習した。
そうやって初級者だった私は、3月にはスキー検定2級に合格した。
大好きになったスキーが出来なくなってしまったのは、
怪我に対するアフターケアを怠ったのが原因だ。
どんな怪我をしようと私は治療を中断して、スキーを続けた。
若かった頃は無理もできた。
膝の痛みは積もるように強くなったが、それでも騙し騙しスキーを続けた。
十年くらい前になるだろうか、足掛けのないリフトの上で激烈な痛みが膝に走った。
ボロボロになった私の膝の関節は、スキー板の重みに耐えきれず抜けてしまったのだ。
レスキュー隊のスノーモービルに乗った私は、俯いたままゲレンデを後にした。
それ以来、私はスキーをしていない。
誰かがゲレンデを滑走する姿を見るだけというのも面白くなくて、
観戦も一切しなくなった。
今年、何故かするっと冬季オリンピックを見る気持ちになって、
大回転と滑降に釘付けになった。
風を切る、あの感覚が鮮明に蘇った。
無我夢中にスキーに取り組んだ、過ぎし日の姿も蘇る。
あの頃みたいに、また夢中になることが
今の私にも出来るような気がした。
きっと出来る、そう強く感じた。
私自身がスキーをすることは勿論、映像で誰かの滑る姿を見ることも一切なかった。
だから冬期オリンピックをTVで見られた今年は、特別な年。
4年間という歳月をかけて、そこに望む選手達。
決して短くない月日が一瞬で砕け散る瞬間。
彼らは何を思うだろう。
彼らは絶望するだろうか。
4年という歳月を悔やむだろうか。
立ち上がって、既にゴールではなくなったそこへ向かうとき
彼らは何を思うのだろう。
これまでの4年間を振り返るのではなく、
これからの4年間に思いを馳せるのではないか?
4年後の金メダルを夢見て、彼らの4年は再び始まるのだろう。
16歳の誕生日を間近に控えた冬。
この頃、高校一年生の私の留年は既に決まっていた。
家出を繰り返す私の出席日数は進級するには値せず、
学長と話し合った末新学期まで登校する必要がなくなった。
あれほど繰り返していた家出がピタリと修まった私は、
部屋の中へ閉じこもってブツブツ独り言を呟くようになっていた。
すっかり無表情になって、笑う泣く怒るという感情さえ失せた。
家の中ではもともと無口だったが、全く言葉を発することがなくなり
頭を横にふるか頷くかで辛うじて意思表示をしていた。
そんな冬、私はスキー場でリゾートバイトをしたいと唐突に父に話した。
理由を聞かずに父は、このアルバイトをあっさりと許可する。
このとき父の出した条件は
高校は必ず卒業すること、毎晩自宅に電話をかけること、
この二つだった。
相談する前に履歴書を送っていた宿のオーナーと、
長時間の電話で色々と話し合っていた父。
自分のことだというのに、その話の内容に私は全く関心がわかなかった。
あの頃の私は細かいことが全く気にならなくなっており、
物事を考える能力が欠損していたように思う。
正月三が日を家で家族と過ごし、いよいよスキー場に旅立つ日。
特急の発車する駅まで送る、父の運転する車の助手席に座る私は
久しぶりにワクワクするという感覚がわき上がった。
娘の顔に浮かぶ数ヶ月ぶりの笑顔を、父はどんな思いで見送ったのだろうか。
あのとき改札口でどんな会話をしたのか、一切私の記憶には残っていない。
ただ困ったような父の笑顔を、ぼんやりと覚えている。
手渡された封筒にはピン札の一万円札が5枚と、たった二行の手紙が入っていた。
帰りたくなったときの交通費です。
お金に困ったら人に借りたりせずに、すぐに連絡するように。
この手紙を読んで私は、ほろりともしなかったと思う。
『ラッキー』くらいにしか思わなかったのではないだろうか。
この後この手紙の記憶は一切なくて、
何年も経ってから机の整理をしていて見つけた。
何だ?この手紙?
どれくらいの時間だろうか、その手紙を手に呆然とした。
そして不意に、あの改札口で手渡された光景が浮かんだ。
情景が蘇った後も心情は思い出せない。
父の愛情を知った今だから思い出すだけで涙が浮かぶが、
あの頃の父を心底憎んでいた私には恐らくそんな感情は一切なかったのではないか。
信州のとあるスキー場の古びたスキー宿。
そこで3月いっぱい住み込みでアルバイトをすることになっている。
冬季限定のアルバイトは十数人で、大学生、専門学生、フリーターが占めている。
4人のフリーター以外の学生は冬休み期間中の短期アルバイトで、
高校生は私一人、しかも長期。
自己紹介のときに怪訝な顔をする人が何人かいた。
バイトの部屋は女子と男子に別れている。
カーテンで仕切られた2段ベッドが数台置いてあるだけの殺風景な部屋の、
ベッドの上だけが独りになれるスペースだった。
朝5時半頃だったろうか、まだ暗いうちに起きだして朝食の準備に取りかかる。
客に朝食を提供した後、後片付け、
掃除、ベットメイキングが済むと夕食の準備までの時間が休憩時間となる。
与えられた仕事が早く終われば休憩時間も延びるわけで、
少しでも早く片付くようにアルバイターたちは団結して仕事をこなしてゆく。
休憩時間になると、天候が悪くなければ誰もがゲレンデへと急いだ。
リフトを乗り継いで上級者用のゲレンデへと昇ってゆく。
その当時の私のスキー歴と言えば、一年に数度スキー場へ行くか行かないかといったところ。
スキーの腕前は、初級レベル。
圧雪車でならされた幅の広い緩斜面なら、なんとか板を平行にして滑走できる程度。
ゲレンデ下部の初級者用の緩斜面で、ピヨピヨしているのは私一人だけだった。
親切でハンサムなOさんはN大理工学部の3年生で、バイトの女子連から当然人気があった。
最年少のしかも初心者の私を、親切なOさんは放っておけなかったのだろう。
休憩時間によくスキーを教えてくれた。
当然女子蓮からはよく思われず、いつしかベットメイキング等、
基本的には二人でする作業を私と組む女子がいなくなってしまった。
そんな理由で私は男子とペアを組むしかなく、
間もなく『男好き』などと聞こえよがしに言われるようになった。
私の方は『また始まった』そう思うくらいで、
一向に気にならなかった。
ある日の休憩時間、女子連が珍しく私をスキーに誘った。
突然の友好を怪訝には思ったが、断ると今後が面倒なことになる。
いかにも喜んでいる素振りで、私は彼女達の後を追った。
数人の女子学生達とリフトを一本だけ乗ると、私には馴染みの初心者コースに到着する。
手取り足取り、彼女達は私にスキーの技を教える。
少しずつ彼女達が好きになってゆく。
楽しいな、そう感じている自分に驚いた。
休憩時間が残り30分になった頃、女子蓮の一人が
これだけ上達したんだからもっと上の方に行っても大丈夫よ、と言った。
皆、口を揃えてそれに同調する。
上の方ってコブとかあるでんですよね?
平気よ、大したことないから
休憩時間は30分しか残っていない。
私に戻って来れるんだろうか?
不安げに迷っている私に、彼女達は優しい笑顔でこう言った。
上の方にもコブのないなだらかな斜面はあるから大丈夫よ
私たちがついてるじゃない
うん、きっと大丈夫。
意を決して初めてスーパークワッドに乗った。
到着したコースに降り立ったときは全く声が出なかった。
こんな急斜面、私には無理だ。
あそこのリフト分かる?
そう言って、指差した先にはリフト乗り場が見えた。
私は無言のまま頷く。
あそこまでなら何とか降りられるでしょ?コブも小さいし距離も短いでしょ?
あのリフトを昇ったら上の方に迂回するコースがあるから
ゆっくりと後方の私を確認しながら、彼女達はリフトを目指す。
恐る恐る私も続いた。
何とかリフト乗り場にたどり着いて、ホッと胸をおろした。
シングルリフトは頂上に向かって、真っ直ぐ延びている。
シングルリフトに乗るのも、リフトを乗り継ぐのも初めてで、私はドキドキしていた。
そして到着した頂で、私のドキドキは絶頂となる。
いやもうドキドキなんて通り越して、『心臓が口から飛び出す』を実感した。
直角にしか見えない斜面に、足が竦む。
これって斜面なの?崖じゃないの?
少し降りれば迂回するコースがあるから
そう言って彼女たちは私を残して滑り出した。
少しずつ小さくなる後ろ姿を眺めながら、私は途方に暮れていた。
まるで膠着したように、体が動かない。
時間は刻々と過ぎてゆく。
何、やってんの?
声に振り返ると、フリーターのTさんの呆れた顔。
何も言えずにいる私に、呆れ果てたTさんの顔に苦笑いが浮かんだ。
仕方ないなぁ上まで行くなってオーナーから注意されてたろ?
休憩時間終わっちゃうぞ
板外して俺が持ってくから歩いて降りて来なよ
え?板を持ってちゃうんですか?迂回コースは?
迂回コースなんかないよ
騙された?
ショックだった。
信じたのに…
ゲレンデの端をズボズボと沈み込む足を
一歩一歩引き抜きながら、
下を向いて歩いた。
鼻の奥がツーンと痛くなって、知らぬ間に涙がポロポロ溢れ出した。
泣くのはどれくらい振りだろう。
ヨタヨタと足を取られ何度も転んだ。
悔しくて情けなくて、起き上がるたびに
ちくちょうと口から漏れた。
絶対に上手くなるって、誓った。
3月が終わる頃には、あいつらよりも絶対に上手くなってやる。
休憩時間を大幅にオーバーして戻った私の無茶を、
オーナーは強く叱った。
それでも言い訳もできずに俯く私に、大きくため息をついた彼は
腹が減ったろうと一言言って握り飯を差し出した。
真っ白な塩むすびを食べながら、涙と鼻水が止まらなくなって
上手く喉を通らない。
塩味は握り飯の塩分なのか、涙なのか、鼻水なのか、分からなくなる。
けれど流れる涙は悔し涙じゃなくて、
嬉しい涙なのだと明確に分かった。
失っていた様々な感情が、一つ一つ戻ってくることが不思議だった。
翌日から私は雨の日も雪の日も吹雪いていても、リフトさえ止まらなければ
ゲレンデへ出た。
スキー上達マニュアルという本をリュックサックに入れて、
リフトの上で読んでは降り立ったコースで実践する。
一週間に一度の休日は、スキースクールに入って練習した。
そうやって初級者だった私は、3月にはスキー検定2級に合格した。
大好きになったスキーが出来なくなってしまったのは、
怪我に対するアフターケアを怠ったのが原因だ。
どんな怪我をしようと私は治療を中断して、スキーを続けた。
若かった頃は無理もできた。
膝の痛みは積もるように強くなったが、それでも騙し騙しスキーを続けた。
十年くらい前になるだろうか、足掛けのないリフトの上で激烈な痛みが膝に走った。
ボロボロになった私の膝の関節は、スキー板の重みに耐えきれず抜けてしまったのだ。
レスキュー隊のスノーモービルに乗った私は、俯いたままゲレンデを後にした。
それ以来、私はスキーをしていない。
誰かがゲレンデを滑走する姿を見るだけというのも面白くなくて、
観戦も一切しなくなった。
今年、何故かするっと冬季オリンピックを見る気持ちになって、
大回転と滑降に釘付けになった。
風を切る、あの感覚が鮮明に蘇った。
無我夢中にスキーに取り組んだ、過ぎし日の姿も蘇る。
あの頃みたいに、また夢中になることが
今の私にも出来るような気がした。
きっと出来る、そう強く感じた。
