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最近、苦手な人種がどんどん増えていく。
単純に自分の心がどんどん狭く、弱くなってきているんだと思う。一度誰かに傷をつけられると、その人を勝手に「こういうタイプの人」としてカテゴライズして、その「タイプ」全般を嫌いになる、みたいな。
自己防衛には最適な方法だと思っている。将来的に引き籠る予定だし別にそれでいいとも思っている。
その内の一種類。
男に勝とうとする女が嫌いだ。
みたいな話を昨日Twitterで展開してたんだけど、まあ今日はその亜流というか。
端から長い話になるって解ってるからTwitterではなくブログを使っただけですけど。
安野モヨコの漫画に『働きマン』なる作品がある。いい作品である。
少なくとも当時はそう思っていた(今は「女の仕事」的な漫画や小説が一切読めなくなったので分からねえ)。
週刊誌の編集部で働く松方さんなるきれーなおねーちゃんを中心にした話で、毎回話毎に微妙にフォーカスされる主人公が違って、その人物に合わせて「〇〇マン」というサブタイトルが付けられる。
その中に「お姫さマン」なる話があった。スポーツ担当のきゅるるんとしたかわいいかわいい女の子(通称ゆみちゃん)が男記者ばかりのスポーツ部社会で如何に仕事をしているかみたいな話だった気がする。
そこで、ゆみちゃんが松方女史を揶揄して言った科白が今も記憶に残っている。(なんかちょっとプロジェクトX風っつーか情熱大陸風っつーかほら、なんか生き様とか考えてることについてインタビューされてる的なシーンがちょいちょい挟まれていた。)
「自分は女捨てて頑張っている、みたいな人苦手です」
まあ要するに女でかわいいかわいいされて仕事もらえて上手くいくならそれでいーじゃん?セクハラとか別に勝手にやらしときゃいーじゃん?っていう話である(ごめんほんとはもっと深いし、ゆみちゃんも芯の有るいいオンナである)。
最初にこの漫画を読んだのは中学生だが高校生だかの頃で、その頃の私はまあ今から考えれば随分とまともで、当然この科白には憤った。なんでだよ女捨てて仕事してる松方ちょーかっこいいじゃん!って思ってた。
しかしここ数ヶ月、と云うか先日某所で本気で厭な思いをして分かった。
私は確実に「お姫さマン」側に移りつつある。らしい。
何が言いたいかと云うと、この所謂「女捨てて頑張っている」女が本気で苦手になってきた。Twitterで連投しまくったジェンダーに一所懸命な女とはまた違う、「女捨ててる」ことがアイデンティティーみたいになっている女。
第一の部類としては化粧したことないことを何故か自慢げに語るヲタク女というのがいるがまあそれはどうでもいい。何故なら私は不細工を人として取り扱っていないからである。
そういうのじゃなくて、第二の部類として、なんかこう見た目としてはそこそこ普通なのに何故か女捨ててることをアイデンティティーにし、更にそれを他人にも強要してくる女ってのがいるのである。あ、他人にもそれを強要してくるって辺りはジェンダー女とも似てるね。
いやまあ第一の部類と第二の部類を掛け合わせたやつも結構多いんだけどさ。
例えば棚からものを取ろうとしたら、男の人が取ってあげるよって言ってくれた。あらいいんですかありがとうございます、と取ってもらった。そこで横から「そのくらい自分でやれよw」って突っ込んでくる女である。これは飽く迄一例だけど。
なんかさー男が取ってくれるっていうんだからそこは甘えときゃーいいじゃん。そこでいいえ自分でやります!って云うより角も立たないじゃん。(因みにその後で「あの時俺が棚からもの取ってやったんだから云々……」とかって恩を着せてくる男はもれなく殺す。)
でも彼女らはきっとそう云うのが許せないのよね。何故だ?自分が困っている時は取ってもらえないからか?いやでも存外やろうか?って助け舟を一刀両断してたりするんよね。彼女らは何がしたいんだろう。別に断るのは勝手だけど如何してそれを私達にも求めるんだろう。
この辺で意味わかんないなーと思ってしまうのだが、厳密には私も以前は此方に分類される人間だった筈なのである。確か。けれど今は彼女達の考えていることがまるで解らない。女捨てて「戦場(笑)」に乗り込むあの人たちの気持ちがまるで解らない。(尚この場合の「戦場(笑)」は職場だったり趣味の場だったりする。)
親になると子供だった時の気持ちが分からないって昔ぽっかぽかで言ってたなあ、などと如何でもいいことを思い出してしまう。
所謂男の自己満足的な甲斐性をありがとうって受け容れられない、否受け容れない女と受け容れる女にはどんな違いがあるのだろう。男になりたい(若しくは同列のものとして横に並びたい)女とそうでない女なのだろうか。
まあでも多少要らねえ世話だったとしてもありがとう、助かりました、とか言って100円のチョコレート片手に御礼したりするのって母性に近いものあるよなって思ったりもする。3歳のガキのお手伝いなんざたかが知れているがそれでも礼を言ってご褒美を渡す母親みたいな像に直結する…………つまり彼女らは母性を拒否しているのだろうか。
ジェンダーを叫びあわよくば女を上に持ち上げようとする女と、女と男という区別を取っ払おうとする女。彼女らは一体何を求めて、何を目指して生きているんだろう。その人生って辛く苦しくないのかな。
まあ別に不細工が辛く苦しく生きていようと私には関係ないのですが(ここでは自分が不細工かどうかということは棚に上げておかないと議論が進まない)、それを他人にまで強要するのはやめてほしいな、と云う話であった。でもそう考えると私が「おめーすっぴんの面なんざ観れたもんじゃねーんだから化粧くらいしろや」って言うのも(いや言わねーけど)お門違いなんだろうな。いや言わねーけど。
あっ因みに所謂「女の嫌いな女」であるらしい男の前だと態度が変わる女、はそんなに嫌いじゃないです。それもまた企業努力の一例である。御客様のためにって言ってる企業が裏では売り上げに喧々諤々してて何が悪いの?みたいな。
ただし自分の気に入ってる男がそいつのぶりっ子にときめいてたらあっ殺そう(男も女も)ってなるので狩場が被らないことが重要。
私の思考回路は徐々に非モテブス女からリア充へと転換しつつあるのだろうか。
単純に自分の心がどんどん狭く、弱くなってきているんだと思う。一度誰かに傷をつけられると、その人を勝手に「こういうタイプの人」としてカテゴライズして、その「タイプ」全般を嫌いになる、みたいな。
自己防衛には最適な方法だと思っている。将来的に引き籠る予定だし別にそれでいいとも思っている。
その内の一種類。
男に勝とうとする女が嫌いだ。
男女平等って何だろうな……。数年前にあまり仲良くない男に言われた「りぜちゃんってジェンダーとか女性の権利向上とか好きそう」って言葉に未だに傷付いている。その男は他愛もない言葉の心算で言ったであろうことは解っているんだけど、彼にとって私が「そういう女」に見えたって事は事実なわけで。
— りぜ (@elize0301) 2014, 11月 5所謂「そういう」ジャンルに強い大学に三年と半年通ってみて思ったのは、「そういう」方面に力を入れている女の学者は骨格からしてなるほど世間で「女として」甘やかされたりいい思いをしたりしてこなかったんだなって頷けるような面構えばっかりだしさ。逆に美人はあんまやかましいこと云わない。
— りぜ (@elize0301) 2014, 11月 5あとなんか「そういう」女の学者って「あなたも女ならわかるでしょ!?社会で女であることを理由に不利益な扱いを受けたことがあるでしょ!?憤ってるでしょ!?」みたいな態度でぐいぐいくるのほんとなんなの……別にねえよ……不細工で辛い思いをしたことはあるけど……。
— りぜ (@elize0301) 2014, 11月 5っていうかこれは私がクズだからって理由に終始するんだけど、なんで女共は態々大変な男社会に突っ込んでいこうとするんだろうね。家で大人しく家事してぬぼーっと旦那の帰り待ってたりお茶汲みしてコピー取ってケツ触られて「やめてくださいよ~笑」ってやってた方が200倍くらい楽じゃない?
— りぜ (@elize0301) 2014, 11月 5…………ああ、その手の所謂旧式女社会では「そういう」女は勝ち組になりえないからか。美醜の問われない男社会で男と同じ評価基準(笑)で戦うしか道が残されていないのに、いざそっちの道に行ってみたら男と同じ評価基準では評価してもらえなくて憤ってるのか。なるほどな。
— りぜ (@elize0301) 2014, 11月 5みたいな話を昨日Twitterで展開してたんだけど、まあ今日はその亜流というか。
端から長い話になるって解ってるからTwitterではなくブログを使っただけですけど。
安野モヨコの漫画に『働きマン』なる作品がある。いい作品である。
少なくとも当時はそう思っていた(今は「女の仕事」的な漫画や小説が一切読めなくなったので分からねえ)。
週刊誌の編集部で働く松方さんなるきれーなおねーちゃんを中心にした話で、毎回話毎に微妙にフォーカスされる主人公が違って、その人物に合わせて「〇〇マン」というサブタイトルが付けられる。
その中に「お姫さマン」なる話があった。スポーツ担当のきゅるるんとしたかわいいかわいい女の子(通称ゆみちゃん)が男記者ばかりのスポーツ部社会で如何に仕事をしているかみたいな話だった気がする。
そこで、ゆみちゃんが松方女史を揶揄して言った科白が今も記憶に残っている。(なんかちょっとプロジェクトX風っつーか情熱大陸風っつーかほら、なんか生き様とか考えてることについてインタビューされてる的なシーンがちょいちょい挟まれていた。)
「自分は女捨てて頑張っている、みたいな人苦手です」
まあ要するに女でかわいいかわいいされて仕事もらえて上手くいくならそれでいーじゃん?セクハラとか別に勝手にやらしときゃいーじゃん?っていう話である(ごめんほんとはもっと深いし、ゆみちゃんも芯の有るいいオンナである)。
最初にこの漫画を読んだのは中学生だが高校生だかの頃で、その頃の私はまあ今から考えれば随分とまともで、当然この科白には憤った。なんでだよ女捨てて仕事してる松方ちょーかっこいいじゃん!って思ってた。
しかしここ数ヶ月、と云うか先日某所で本気で厭な思いをして分かった。
私は確実に「お姫さマン」側に移りつつある。らしい。
何が言いたいかと云うと、この所謂「女捨てて頑張っている」女が本気で苦手になってきた。Twitterで連投しまくったジェンダーに一所懸命な女とはまた違う、「女捨ててる」ことがアイデンティティーみたいになっている女。
第一の部類としては化粧したことないことを何故か自慢げに語るヲタク女というのがいるがまあそれはどうでもいい。何故なら私は不細工を人として取り扱っていないからである。
そういうのじゃなくて、第二の部類として、なんかこう見た目としてはそこそこ普通なのに何故か女捨ててることをアイデンティティーにし、更にそれを他人にも強要してくる女ってのがいるのである。あ、他人にもそれを強要してくるって辺りはジェンダー女とも似てるね。
いやまあ第一の部類と第二の部類を掛け合わせたやつも結構多いんだけどさ。
例えば棚からものを取ろうとしたら、男の人が取ってあげるよって言ってくれた。あらいいんですかありがとうございます、と取ってもらった。そこで横から「そのくらい自分でやれよw」って突っ込んでくる女である。これは飽く迄一例だけど。
なんかさー男が取ってくれるっていうんだからそこは甘えときゃーいいじゃん。そこでいいえ自分でやります!って云うより角も立たないじゃん。(因みにその後で「あの時俺が棚からもの取ってやったんだから云々……」とかって恩を着せてくる男はもれなく殺す。)
でも彼女らはきっとそう云うのが許せないのよね。何故だ?自分が困っている時は取ってもらえないからか?いやでも存外やろうか?って助け舟を一刀両断してたりするんよね。彼女らは何がしたいんだろう。別に断るのは勝手だけど如何してそれを私達にも求めるんだろう。
この辺で意味わかんないなーと思ってしまうのだが、厳密には私も以前は此方に分類される人間だった筈なのである。確か。けれど今は彼女達の考えていることがまるで解らない。女捨てて「戦場(笑)」に乗り込むあの人たちの気持ちがまるで解らない。(尚この場合の「戦場(笑)」は職場だったり趣味の場だったりする。)
親になると子供だった時の気持ちが分からないって昔ぽっかぽかで言ってたなあ、などと如何でもいいことを思い出してしまう。
所謂男の自己満足的な甲斐性をありがとうって受け容れられない、否受け容れない女と受け容れる女にはどんな違いがあるのだろう。男になりたい(若しくは同列のものとして横に並びたい)女とそうでない女なのだろうか。
まあでも多少要らねえ世話だったとしてもありがとう、助かりました、とか言って100円のチョコレート片手に御礼したりするのって母性に近いものあるよなって思ったりもする。3歳のガキのお手伝いなんざたかが知れているがそれでも礼を言ってご褒美を渡す母親みたいな像に直結する…………つまり彼女らは母性を拒否しているのだろうか。
ジェンダーを叫びあわよくば女を上に持ち上げようとする女と、女と男という区別を取っ払おうとする女。彼女らは一体何を求めて、何を目指して生きているんだろう。その人生って辛く苦しくないのかな。
まあ別に不細工が辛く苦しく生きていようと私には関係ないのですが(ここでは自分が不細工かどうかということは棚に上げておかないと議論が進まない)、それを他人にまで強要するのはやめてほしいな、と云う話であった。でもそう考えると私が「おめーすっぴんの面なんざ観れたもんじゃねーんだから化粧くらいしろや」って言うのも(いや言わねーけど)お門違いなんだろうな。いや言わねーけど。
あっ因みに所謂「女の嫌いな女」であるらしい男の前だと態度が変わる女、はそんなに嫌いじゃないです。それもまた企業努力の一例である。御客様のためにって言ってる企業が裏では売り上げに喧々諤々してて何が悪いの?みたいな。
ただし自分の気に入ってる男がそいつのぶりっ子にときめいてたらあっ殺そう(男も女も)ってなるので狩場が被らないことが重要。
私の思考回路は徐々に非モテブス女からリア充へと転換しつつあるのだろうか。
もう何年も前からしてるっちゅーねん。
昨今は随分Twitter依存が強まっておりましてつーかここ更新しても誰が読むんだって話ですよ。
誰も読まないから好き勝手書けるのか、なるほど。
どうも、友人に「最近何してんの?」と訊かれ「ダイエット」以外答えを見付けられなかったものです。
9月1日からかれこれ7.4キロ痩せました。今月中に死ぬ気で900グラム落とす。
以前ブログをどちゃくそに活用してスープとサラダを作りまくって2キロ痩せて、
そっからふつーに生活してたら知らぬ間に2キロ弱痩せてて、
んで更に此処で7.4キロ痩せたので、4月からだと大体11キロ痩せた計算になりますわっほい。
正直この水準は体重と云うものを気にし始めた中学生以来夢に見続けてきた水準でもある。
つーか記憶の中の最低値(大学2年の夏にブラックバイトでメンタル病んだ時)より1キロ低い。凄い。
予定ではもう4~6キロ痩せる心算です。
今月末までに900g落とせたら人生初のサロンでカラー(毛先のみ)をしようと思っておる。
ついでに久々にノーブラ生活脱しようってことで育乳ブラを買いに行くことにしている。
そこから更に3㎏落ちたら雪肌精のスキンケアシリーズをラインで買うんだー♡
あとは何か生活が落ち着いたら(大学卒業して暫く経ったら)加圧とピラティスを始めたいです。
って云うか加圧は今すぐにでも始めたいです。
ここまで殆ど筋肉落とさずに体重落としてきたけど好い加減筋肉も落ちてきててヤバい。
まあここ数日運動もせずに食事制限してたからっちゅー話なんですけどね。
程好く筋肉と乳と尻のあるせくすぅぃーな身体つきになりたいものです。ちょっと細い安めぐみみたいな。
あとはなんだろなー。
自宅は今週末ごとの断捨離作業が進んでいるので綺麗なお部屋に住めるようになったらいいなー。
そしたらドレッサー買うの。化粧も書き物もPCも何でもできる机みたいなドレッサー買うの。
ほんでこう9時頃起床して旦那を見送って朝食はフルーツとヨーグルトとかでおしゃれに済ませ、
午前中は家事とセルフケア(ネイルとか)に精を出し、
午後は加圧とかピラティスとかの習い事をして帰ってきてからかるーく自主トレして、
夕方になったらまったり夕飯を作って旦那の帰りを待ち二人で飯を食い、
夜は半身浴とマッサージとスキンケアをして早めに寝る、
……みたいなそういう。←
美容に全精力を掛けているタイプの有閑マダムに来年の夏あたりにはなっているのが目標です。
そしていよいよ2015年2月から本格的にニート生活がスタートするのですが、
やっぱり夏頃までは生活の軸が安定しないこともあり結果として私は大層に暇を持て余す予感。
でもなんかブログとかで今日も充実した生活でした♡をアピールする類の主婦にはなりたくないし、
日記(オフライン)でも始めてみようかなあと思っています。
でもなんか日記帳ってネットで探すと高いのな。別に手持ちのノートで始めてもいいんだけど。
習い事を始めるのはきっと夏頃からになると思うんだ。加圧はもっと早く始めたいんだけど。
でもまあ夏くらいまでかけて(体重減少は兎も角)躰を絞れたら水商売のバイトとかしてえなー。
などと日々の妄想は止まらないのであった。
本当はね頻繁にまつえくとかネイルサロンとか通えるような有閑マダムになりたいんですけど。
それよりはなんか習い事かなって。つーか手前で稼げって話なんですけど。でも働きたくねえし。
取り敢えず気合い入れてあと4~6キロ(この辺は乳と尻と相談)落としますわ。
来月には何故か小学校時代の担任とのサシ呑みも控えておりますし。
さて晩飯はヨーグルトと牛乳だ。
欲しいものを見付けたら淡々とブログに書いていくのも好いかも知れぬ。
しかし今私のAmazonのウィッシュリストは卒論関連の文献で埋まっておりまする。























