名物と言えば、タオルとみかん、造船屋しかない田舎で育った。

 
 
幼稚園の保母さんの笑顔に、
私の方が可愛いわ
なにこのクソバアア。
 
と思ったのが私の最初の記憶。
 
 
女の子は可愛くさえあれば、何でも手に入れることができる。
 
そう信じて、ただ可愛くあること
欲しいと思ったものは、嘘泣きしてでも、パンチラしてでも、絶対に手に入れる。
 
今年42になる私は、
お客さんには38歳って言ってるから本当の歳はここだけのナイショ♡
 
ラストバブル世代に生まれた私
造船業の盛んな田舎ゆえ
弾けたとはいえ、まだバブルの残骸の残る街で育った。
 
本当は安室奈美恵になりたかった。
 
いささかアムラーを自称するには歳を取りすぎていた私は、
 
鍛え上げた女を武器にして芸能界入りするのが夢だった。
 
裕福な家ではなかったが、だからせめて歌とピアノだけは習わせてくれ
と親に頼み込み、練習に励んだが、
自分の外見スペックと歌唱力では芸能人になれないことを痛く痛感することになる。
 
 
ヴィトンほしさを身体を売ったのは16歳のとき。
 
なんの罪悪感もなかった。
人生楽勝って思ったわ。
歳を重ねる毎に女の価値は低下する。
 
しかし田舎から上京する勇気も自信もなく、
当時の私から見て最高に自分に見合っていると憧れたのは、
田舎のスナックだった。
 
あまり勉強はできなかったし、
大学に進学するという考えはもともとなかった。
 
私がすべきことは、自分の女としての価値があるうちに
最大限いい男をハンティングして、
若さを失ってもお金をせびるために、
できるだけ早いうちに子供という人質をとること。
 
その為の最短距離は何か?
 
水商売以外、私には選択肢がないと分かった。
 
田舎から上京し、結果成功できずにで戻る方が体裁が悪いと思った。
 
だから私に残されたのは、まだ高校も卒業する前からスナックでアルバイトを始めること。
 
 
若干17歳の私には、マックでバイトするよりはいい給与が貰えたけれど、
本当の目的はパトロン探し。
 
17歳で経験人数は30人を超えていた。
 
全員が現金かモノとの交換だった。
 
必死こいて毎日出勤して、次の日ガラガラ声でまた迎え酒をするママやお姉さんたちを
アホだと思っていた。
 
私にはまだ高校生、10代というブランドがある。
 
出勤は週末の2日ほどだけにして、そこではとにかく引っかかりそうなパトロン探しに徹した。
 
 
辛くなかったかって?
 
辛い訳なんかないじゃない。
 
高校生なのにブランド品が増えていく私を見て、同級生は、皆私をうやましがった。
 
私は東京の叔母からのプレゼントだと嘘をつき、
羨望の眼差しで見られることの優越感に浸った。
 
 
唯一たいへんだったのは、
田舎なので、ホテルに行く際、最大限の注意を払うこと。
 
隣町までバスで通って、
ジョウジのあとはお手当をもらってタクシーで家の近くまで帰る。
 
これが私の高校最後の過ごし方だった。
 
 
今ある自分の価値を最大限、現金化すること。
 
そして、その中からベストの男を選ぶこと。
 
それが16歳で、ヴィトンと引き換えヴァージンを売った私の
考えられえる最高のシンデレラストーリーだったのだ。
 
 
続く。