ここ1カ月、私は新しい仕事を始めて

覚えるのに精一杯で汗をかきまくっていた。

 

といっても、一時的なものなので、また転活ということになる。

ひたすら電卓で数字の計算をしまくり、百発百中の完成度で

仕上げることを目指す、といった仕事内容だ。

失業手当を貰うのは先延ばしにした。

 

自分が何屋を目指しているのかよくわからない。

これがいったいどう役に立つのか。

 

私は一日目で「あっ、これ向いてない」とブチ切れかけ

はあああああつまんねえええええ!!!

マジでバックレよっかな。バイトみたいなもんだし!(超口悪・目つき悪い上目遣い)

 

と内心思ったが、ここはぐっとこらえて覚えることに集中した。

期限があると思えば、やり切れるかもしれない。

それから今日まで、常に質問しまくったり、些細なことでも確認したり

ミスのないように頑張って仕上げたら

妙に好感度が上がったのか

周囲の方に「完璧でした!ありがとう!」と

感謝されて嬉しかった。

 

上記はもしかすると、ありふれた話かもしれないが、

私はそういう経験を仕事上でほぼしたことがない。

いつも公開処刑で怒られるのだろうな、という

永遠に大量の梅干しを食べさせられているような顔をしていた。

社内では存在が不要不急。

だから、こんなふとした言葉があたたかくて、心臓から温泉湧き出そうになった。

これは湯治なのだろうか。

涙もろくなってるおじさんじゃん・・・

まともな笑顔になること自体、久しぶりだったかもしれない。

 

話は変わるが、

世の中はコロナウイルスの影響で自粛モードに突入している。

家の近所もなかなかハードな状態だ。

 

不謹慎かもしれないが、私は今の町中の温度は嫌いではない。

(経済面で一刻を争うのに反感を買う方もいると思う。本当にごめんなさい。)

私はつい先日まで、青空を見て「きれいだね」と言っている人を本気で殴りたくなるくらい

情緒不安定なことが多かった。自分の気持ちと天気の良さが全くそぐわない。

早くどこでも良いから就職しろと説教のメールを定期的に送ってくる複数人。

イベントの数合わせだけで何度も呼ぶ人。

相手に話をさせない人たち。

ただの「嫌だなあ」という感情ではないものが次第に降り積もっていった。

 

 

自分が幸せな気持ちじゃないのに

他人を幸せな気持ちにすることはできない気がするなあ。

じゃあ、私は何をしたいんだろう、とか

ウイルスが流行ったら、死にたいと思っていた人が突然生に執着するようになって

その変化って生臭い人間らしさの極みだよなあ。

今そういう人、水面下で増えてそうで面白いよなあ、とか。

治安の悪い考察を繰り返した末に、人間関係の断捨離をした。

今までとは違うコミュニティの人たちと関わりを持ったら、ほんの少し楽になった。

 

知り合いがずっと前、私に言ったことを思い出して、お風呂で不快な気持ちで水に沈む。

「猫とか、彼氏がいたら拠り所になって良いかもしれないですね。」

よくわからなくて返事ができなかった。

私の方がおかしいのは、周りを見ていてもそう思う。

その選択肢のどちらにしても、結局は自分だけで決断することが

いくつも出てくるように思う。

この人は両方とも手に入れて解決できたのだろう。

悩んでいる時のリラックスグッズが如くの喋り方に聞こえた。

困っている次元が違うのだろうか。

私にはわからない。

私はもうずっと狂った人でいいよ。

ちっとも慰めになんてなってないよ。

 

 

全ての動きが止まっているからか、焦らないでいいと思えた。

今日は、青空を見てもむかつかなかった。

 

ブログで再三、自分で言ってた丁寧な暮らしって、今できるんじゃないか。

突然思い立ち、ひそかに2週間前から野菜の栽培を始めてみた。

いつも実現できていない「丁寧な暮らし」の幕開けである。

 

 

これでハーブティーとか裁縫同時進行したら、オーガニックな生活【Vlog】とかの

YouTuberも夢じゃない。(ならない)

 

 

栽培するにあたり

せっかくなら食べられるものを、と思いミニトマトとナスに挑戦。

 

 

ナスは新芽が出始めた。

 

ミニトマト、風で揺らぐ時の透明感に息を飲む。

 

 

家庭菜園を始める人が多いと思うが、ごく自然な流れのような気がする。

毎日成長を感じられるから、不安な中でも元気がもらえる。

 

実は何年か前、大玉のトマトときゅうり、シソを育てたことがある。

トマトは37度の日も乗り切り、猛暑耐性があった。

だが、完熟して亀裂が入った途端、カラスに持って行かれるという悲劇が起きたので

実のなる植物はネットが必要ということを知る。

 

きゅうりは、まさかの枝豆サイズで成長が止まった。

これがきゅうり!と泣きそうになった。

やはり、日陰に移さないとヒートアイランド現象には耐えられなかったようだ。

 

最後のシソは、水をあげることさえ忘れ気味だった。

適当に育てていたのに、引く程わんさか葉が生えてきて最強だった。

暑さのせいか、手触りでは水分が少なく、葉は乾燥肌のようにカサカサだった。

味は100%シソだったので成功していた。

しかし、口に入れた瞬間さわっ、としたうぶ毛を感じるのである。

 

うぶ毛・・・・・・!

 

シソの葉に、糸のような雨が降ってきて

規則正しく、そのまま貼り付いたような見た目をしていた。

 

人体実験をしている気分だったが、お腹を壊すことはなかった。

収穫の終わりに、農家の方々を尊敬した。

売れるほど美味しく食べられる状態に持っていくことの難しさ。

 

私は再び夏野菜で人体実験をしようとしている。

社会に出るという意味でも、自分の人体実験を、明日も。