最近、「日日是好日(にちにちこれこうじつ)」という本を読んだ。
森下典子さんによるエッセイである。
内容は茶道のお話。
私は今まで森下さんを知らなかったし、茶道について何の知識もなかった。
これまで剣道や華道といった「道」のつく稽古に関わったこともない。
何も知らなかった。だからこそ、読んだ時の衝撃が大きかった。
ネタバレしない程度に書いておこう。
私の茶道への先入観が、良い意味で音を立てて壊れていった。
『正座でしびれて痛そう』という、縁取られた残念なイメージで思考停止していたから、大いに自分を恥じることになる。習ってた人ほんとごめんってなった。まわりにいないけど。
本の中では、森下さんが20代の頃から今に至るまでを綴っている。
はじめ、森下さんは茶道に対して「古くてカビくさい」印象を抱いていたようだ。
しかし、茶道に心が救われていることに気づいていく・・・という過程が面白い。
カビくさいって、ストレートに失礼な表現をするのだな、と
私には面白くてインパクトが強かった。
しかも、茶道に明確なゴールはなく、続けていく中で発見があるという。
お茶を続けてきた80代の人さえ、お勉強って楽しいわね、などと作中で話している。
ここでの勉強は、単なる暗記ではなく自身の成長に自分で気づくことを指す。
特に印象深かったことは、
移り変わる季節への意識が尋常ではないことと、
日本には四季ごとに数えきれない種類の和菓子があるということだ。
茶室で体ごと季節そのものになる、というニュアンスだが、一行では書ききれない。
和菓子については、私は豆大福や柏餅くらいしか知らなかったが、
もっと奥深い芸術の世界だった。
調べてみると、職人さんが月ごと、さらには週ごとに新作を生み出しているらしい。
茶道の席で出される「上生菓子」というジャンルで検索すると、食べるのが勿体ない程の芸術品が画像で出てきて、眺めてしまう。手のひらに収まるような小さなお菓子に、一瞬の風景を切り取り、人間の感情の起伏さえも自在に表現している。
見る人を楽しませたい気持ちが伝わってくる。
長い冬を耐え、凍りついた大地を割って、萌え出る緑。