3月になった。

 

無職になった解放感で、2月は遊びまくっていた気がする。

成人記念の写真を撮ったり、苺をお腹がはちきれるほど食べたりしていた。

 

今、テレビをつけるとコロナウイルスのことばかり報道されている。

その影響で、入学式や卒業式などの行事が一斉に中止、もしくは小規模実施になっているらしい。節目の行事がイレギュラーな形になったことは、ある意味で記憶に残るかもしれないが、参加者側にとっては歯切れの悪いことこの上ないだろう。何処かの学校で、VR目線で校長先生から卒業証書を受け取ることができる動画があったが、なんだか妙に面白くて笑った。アイデアが試されそうである。人が室内に密集するような娯楽も自粛されるようになった。ライブや推しの芸能人に会えるから、大げさかもしれないが、あとほんの少し生きよう、と思えている人が実は多々いると思う。握手したり、チェキを撮ったり、その芸能人にとってはたった一瞬のできごとでも、大好きな分、貰えるエネルギーは凄まじいのである。苦しい・・・。(余談:3月28日わーすたのライブやるのだろうか?5人個別写メ・ライブのお見送りまで一人で結構課金したけど終わったかもしれない。既にPerfume東京ドームライブ現場で爆死した)。これは致し方ない事態であり、急すぎる実施でもあり、政治に文句をつけることはいくらでもできるが、今はウイルスの蔓延が早く終息することを願うことしかできない。

 

SNSでも日々不安になるような言葉が並んでいる。

先日は、トイレットペーパーがなくなる、というデマが流れた。

私は、そのことを知る前に薬局へ向かったのだが、腰の曲がったお婆さんが自転車の荷台に大量のトイレットペーパーを積んで、押して歩いているのを見かけた。薬局に入った時には紙類がほぼなく、なぜか生理用品やカップラーメンも無くなっていた。一瞬、何故このようなことが起きているのかわからなかったが、これはオイルショックを思い出しての日本人の反射行動なのかもしれない。今後、必要最低限の物を買えるのか不安になった。マスクは売り切れ、もはやネット注文でしか手に入らないような有り様だ。買い占めや転売が相次ぎ、物資が平等に行き渡っていない。それにも関わらず、電車に乗ればマスクをしていないと市民権が得られないような様相と化している。

気持ち悪すぎじゃない?民度低すぎない?

私は、そもそもマスクがウイルスを完全に排除する証拠はあるのか、と思っていた。

調べたらウイルスの直径は0.1マイクロメートルで普通のマスクの網目より小さく、ウイルス自体は防げないらしい。ただ、飛沫対策にはなる…とのこと。ふむ。通過している。

私には、花粉が飛んでいる日に網戸だけ閉めることと同じに思える。

しかし、「周囲に配慮してますよ!」というパフォーマンスとしてのマスク着用が異様なまでに求められているから着ける。洗えるマスクが最強かもしれない。個人的には、台湾が不安を先回りした政策を早くから打ち出していて、かっこいいと思った。SARSを経験しているから用意周到さのレベルが段違いだ。もし日本でこれが実行できていたら、買い占めなど起きるはずもないだろう。一人一人番号で管理されているからだ。

 

ウイルスとは無関係だが、私は節目の成人式に出られなかったので何とも言えない後悔が永遠に残っていた。普段は忘れていても、1月が来ると思い出していた。

だが、写真は遅れても残せる。取り戻せる行事もあるのだ。

 

「あの…20歳めちゃくちゃ過ぎてるんですけど、成人記念の写真を撮る人っていますか?」

「全然いますよー!毎年撮りに来ている人もいますよ!」

「えっ毎年」

 

原宿のスタジオには、原色の振袖や、洋服のような今風の振袖がコレクションされていた。

さすがのハイセンスである。雑誌から飛び出してきたような写真が撮れる、との宣伝を見つけ躊躇したものの、せっかく撮るなら楽しみたいと思って選んだスタジオ。

周りと同じタイミングではできなかったが、自分のタイミングで決められた。

お金も全部ひとりで払った。究極の自己満足。

それって、本当の意味で、成人したと言えるのかもしれない・・・!

 

ヘアアレンジの希望で「ツインテールのふわふわお団子にしてください!!」と言ったのは

今年初のパワーワードだ。繁忙期を過ぎた、自分しかいないスタジオで、ヒカキンに似ているカメラマンさんと、前髪を直す担当の女の人が出てきた。ヒカキンはノリが良く、ケイティ・ペリーの曲を流しながら「次こんな感じで撮ろうか!」とポーズを指定してくれる。座ったり、バッグを抱え込んでみたり、肩に目線を向けたポーズを連発されたが、この方が妖艶な雰囲気が出るのだな、と後から納得した。生成りのカーテンから顔を出すひょっこりはんみたいな写真も撮ることができた。七五三の写真みたいなガチガチな状態ではなく、自然体で写してくれるのは、写真の理想の形だと思った。70枚から20枚に絞る、アルバムの候補を選ぶのが楽しい。自分でもモデルさんみたいに撮れるんだ!という感動が大きかった。毎年撮りたくなる意味がわかる。何言ってんの、と思われるが遺影これでいけるわ、とさえ思ったよね(は?)

悔いなく、100%自分で納得して進めた時ってすっきりするんだなあ。

 

また、ちょっとずつ前に進もう。