あけましておめでとうございます。

 

 

ブログを密かに読んでくれている方がいて嬉しい。

このブログは、私が日常で感じていることを、忘れないように残しているだけなんだけれど

実際に会わなくても、何となく誰かに共感してもらえるって面白いなあ、と思った。

フィクションじゃなくて、本音に近い部分を、見えない誰かに向けて発信するのは怖い。

怖さは伴うけれど、そこで自分を吐き出してみたら、すっきりして気持ちが楽になった上に

応援されることもあって嬉しかった。

リアクションとか気にせず、外野を無視して素の部分を出せるか?

なんとなく実験だったかもしれない2019年。

2020年もゆるく更新していく。

 

去年仕事辞めて有給入ってるんだけど、今ストレスフリー……!!

やめてよかった。

やっぱり毎朝の腹痛がないことが大きすぎる。

なんでこんなにズキズキ痛むのか?

なんで電車に乗ってる人は平然とリズムゲーやれてるのか?

席譲れよ●すぞ、とか超闇深くなってたけど、

合わなかったのだね!

次は仕事と人間関係に全てを持っていかれないようにしたい。

潰されないように暮らすにはどうしたらいいのだろう。

 

そこでタイトルの、丁寧な暮らしとは、ということを私は最近よく考えるようになった。

 

職場で随分仲良くなった方がいる。

以下、Aさんとしよう。

Aさんは、私よりずっと年上で、自分の生活をとても大切にしている人だ。

夏はピクルス作り、冬はケーキ作り。

他にも様々な楽しみを持っていることを教えてくれた。

私は最初の「ピクルス作り」というワードがあまりにおしゃれ過ぎて、やたらツボってしまい、何度も他のパターンはないか、Aさんに対して執拗に欲しがるようになった。

絶対Aさんから見たら興奮しすぎておかしかったと思う。

『#丁寧な暮らし』とかインスタに投稿してそうな趣味だ!意識が高い!と妙に感心していた。そこで、ある日、ネットで丁寧な暮らしについて検索してみると、丁寧な暮らしを頑張りすぎて疲れたという記事が多々出てくることに気づく。どういうことなのかと思ったら、高級なタオルや、質の高いほうきを買ってお金がかかりすぎた、あえて家電に頼らない作業をしたことで疲れた、などという内容だった。

 

そもそも、「丁寧な暮らし」の目的とは何なのだろう。

いや、Aさんは「丁寧な暮らし」を目的化すらしていないのではないのだろうか。

Aさんを見ていると、意識高い系がアクセサリーとして「丁寧な暮らし」を利用しているのとは違うと感じた。即席でこしらえた陳腐な理想像を追いかけて、ガス欠しているようにはとても見えない。

 

季節の変化を写真で教えてくれるのも、ふっくらした美味しいパンを焼くのも

もしかして、全部、自分を労わるためなのではないか。

好き、楽しいという気持ちを、五感をフルに研ぎ澄ませて追いかける。

その先に、感動するような幸せの光が降り注いでいるのではないか。

人生を長距離マラソンに例えると、Aさんは、自分が必要と思った給水ポイントにある、自分だけのスペシャルドリンクや栄養補給のおやつの作り方が豊富で、爆裂にさじ加減が上手いように思う。月並みな生活の中で、味付けをして今日、明日単位の幸福度・パフォーマンス力をさらに高めているようにみえる。

 

私の勝手な憶測だが、丁寧な暮らしは、労わることなのか。

Aさんは日々を、とても大切にしているように思えた。

なお、職業としてパン作りは長い期間携わっていたという。

道理で信じられないハイクオリティのパンを頂いたと思った…。

より良い物を目指して、今でも探求心が尽きることはないから驚きだ。

 

Aさんは、かなり仲良くなってから私にこうした趣味を詳しく教えてくれたので

自ら匂わせたり、ひけらかしたりすることは一切無かった。

私はそこに最高の奥ゆかしさを感じたのである。

こ れ が 本 物 だ … !

 

 

2020年、私も好きなことを追いかけたい。