ずっと前、歳上の人に「若さには価値がある」と言われて、

納得できない表情を私は浮かべていたらしい。

 

「色々なことが選択できる。生き方も自由だし、これから何だってできる。戻れるならもどりたい。」

 

今が最高に楽しいかというと、断言はできないかもしれない。

聞かれた時は辛い気持ちで過ごしていたから余計だ。

小さい頃自分が描いていた、きらきらした理想とは形を変えた生活が足首を掴んでいる。

ある意味で地に足をつけているのだろうが、もう一人の私はこれでいいのかな、いや全然良くない、というか他にやりたいこと出てきたなどと

曇天の中で自問自答をくり返している。

その人がもどりたいほど掻き立てられるその価値を、素直に受け入れきれない私は、青春の無駄遣いをしているのだろうか?

返す言葉に詰まってしまい、漬けすぎた野菜のようにしなびた顔でううん、と唸っていた。

 

「今はそう思わないかもしれないけれど、何十年かしたら、ああ、あの頃は良かったなあと思うようになるよ。」

 

私は凍りついた。

 

何十年・・・!

長すぎる。

何十年かして懐古しているようだが、今は消化試合をしているということなのか。

その価値を享受している間は気づかないようだ。

私は早く渦巻いている雲を吹き飛ばして、爽やかな気持ちで答えを見つけたかった。

それも、今日明日のレベルでどうにかしたくなる。

悩んで動けなかった時間が何十年か後のアディショナルタイムとなり、最高潮で逆転できるのなら良いが、

そんなに先まで想像できない。

私は長生きに全く興味がないから、今日明日で終わっても良いと思えるように、ダサくても全力でもがいておこうと思った。

今楽しいことが溺れるぐらい押し寄せてきてくれないと嫌だった。

 

「何十年かしたら、良かったなあと思うようになるよ。」

と投げかけられた瞬間

 

私は脳内が過激派すぎて、

『だったら死にたいです。今来ないと。』

と大真面目に答えそうになった。危なかった・・・!

本音が出るところだった。

結局、終始ううんと唸るモンスターになっていた。

 

冒頭に戻るが、「若さに価値がある」と言われると、なんだか狭苦しくて焦る。

25歳になった瞬間に『アラサー』と連呼する人や、大学4年生が大学1年生に対して『若いよね』と言っているのを聞いた感覚と同じだ。肉体的な話ではない。

どこか喪失感にあふれているように感じるのは私だけだろうか。

気持ち次第なのに、価値で括る意味付け自体がナンセンスだと思う。

 

次聞かれたら、答えよう。