みなさんこんにちは、桜雪です。

今回は今の自分に刺さった2つの記事をお借りしながら、私の考えていることをシェアしていきたいと思います。

暗い話を含みます。長文です。

ご了承の上、お進みください。

 

 

 

 

実は私、最近恋人ができたのですが、お付き合いをするのはこれが初めてなんです!

それで経験がないばかりに自分の悪い癖を発揮して

 

この記事の相談者の方のようにずっと一人で悶々としてしまっていました。

 

しかし、よくよく考えてみたら、記事で真中さんがおっしゃっている通り

(突然なれなれしく感じられたら申し訳ありません)、

「自分はどうせ愛されていない」が前提にあるのだな、と気が付きました。

 

以下記事からの引用です。

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だからね、

自分が何を不安に思っていて、

なぜ「愛されない」なんて思ってるのか

ちゃんと見た方がいいし、

 

 

 

そうやって自分の心配ばっかりしてるうちは

彼の気持ちなんか完全に無視してる

ってことに気づいて欲しいんだよ。

 

 

 

彼はあなたを愛したいって思ってるのに、

ずっと「どうせ愛されてない」前提

彼のことを見られていたら、

めちゃくちゃ悲しいと思うよ?

 

 

 

彼のことを考えているつもりで、

彼を傷つけるようなことになってる。

そんなの本当に悲しいでしょう?

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私も「なんで自分はこう思うんだろう」、

「もっと彼のことを信頼していいはずなのに」と悩んでいたので、

「おんなじことが書いてある!」と驚きました。

 

私はもともと言葉にして自分の気持ちを伝えるのが苦手で、

相手も「自分のペースでいいよ」と言ってくれています。

しかし、相手は自分の思っていることをよく言葉に出してくれる人なので、

私が出来ないことに対して罪悪感を覚えてしまうことが多いのです。

 

 

ちょっと暗い話ですが、昔私は自分のことがあまり好きではありませんでした。

幼少期の経験、中学校でのいじめの体験などから、

「自分は認めてもらえないんだ」「だから自分は愛されないんだ」

と感じてしまっていたのです。

(このあたりのことはまた別に記事にしますね)

 

さらに小さいころから、

「人には優しくしなさい」「年上だから我慢しなさい」と言われ続け、

「自分の気持ちは抑えなければいけない」「自分を犠牲にしても人を助けなきゃ」と感じるようになってしまったのです。

 

周りからは「優しいね」「まじめだね」

そういわれてきました。

 

自分はただでさえ目立つから、普通じゃないから、

「社会で認められる」「普通と思われる」行動をしていないといけない。

「普通」でない自分が嫌いで、コンプレックスに思っていたこともありました。

褒められないと意味がない。

それはそのうち「人の役に立っていないと意味がない」に変わっていきました。

 

しかし、私はそれを周りにいうことが出来ませんでした。

仲のいい友達にも、自分の体験を話したことがありませんでした。

「言ったらどう思われるかな?」「この人も自分から離れちゃうんじゃないかな」

そんな思いから人に自分の話をするのを避けていたのです。

 

高校から大学に進学するとき、そんな自分に必然的に向き合うことになりました。

その時は自分の満足のいく選択ができたと思っていたのですが、違いました。

「人の役に立つことをしないと」自分はまだそう思っていました。

 

入学後、私は今までやろうとしてやっていなかったことほぼ全てに手を付けました。

サークルやボランティア、バイトなどです。

その無理がたたって夏に体調を崩し、大学に行くことが出来なくなりました。

そして、半年もせずに大学を辞めました。

 

自分がどこにも所属していない悲しみと不甲斐なさ。

自分が社会の役に立てていない感覚。

みんなが友達と遊んだり、授業を受けたり、楽しんでいる中、

自分は何も動いていないな~進んでいないな~

 

この期間が一番苦しかった気がします。

 

そこから2か月ほどして、ようやく前に進むことが出来、

子どもに関わるバイトをすることになりました。

 

もともと子どもに関わる仕事がしたかったので、

それが叶って嬉しく思うと同時に、

「これでやっと人の役に立てる」と感じたのを覚えています。

 

子どもたちは本当に素直で明るく接してくれ、

私もいつの間にか本当の笑顔で向き合うことが出来るようになりました。

 

気づいた時には「人にどう思われるだろう」などと考えることなく、

「本当の自分」でいることに気が付きました。

気が付いたら自分が好きになっていたのです。

 

話が長くなりました。

ここで2つ目の記事です。

 

 

この中では

 

つまり、自分を言語化できなれば、自分自身も自分を理解できません。

 

この言葉が特に響きました。

 

私は主に今年に入ってから、

自分の行動や考えていることを言語化するのが得意になった気がします。

 

「言語化が大事」「書くことが大事」

というのはあちこちで聞いていたのですが、私は実践できていませんでした。

 

しかし、とあるきっかけで書くことをはじめ、

自分の言葉を言語化せざるを得なくなった時、大きな気づきがあったのです。

「あ、この方が楽だ」と。

 

そして、最近自分を好きになれた方法の一つには、

この言語化があるのではないかと気が付きました。

「自分を本当に理解するって、こういうことか」と思ったのです。

(このことについてもまた記事を書く予定です)

 

 

「コミュニケーションが大事」

これは恋愛の上でもよく言われることです。

私も実際、相手とこれをよく実感します。

コミュニケーションには、当たり前ですが言葉が必要です。

(実際、非言語コミュニケーションのほうが伝えている情報が多いらしいですが)

 

今はオンラインの大学に入って勉強を再開し、

恋人という私を理解してくれる存在もできました。

間違いなく人生は充実しているはずです。

それでも悩んでいる、というのは、

まだ「自分は愛されていない」という前提が

解消されていないのだな。

そしてそこに向き合って、言語化する。

相手とコミュニケーションをとる必要があると言われているんだな。

 

そんな気付きを与えてくださった記事でした。

 

長くなりましたが、最後までお付き合いいただき、

ありがとうございました。

 

私の気づきが、

少しでも皆さんのヒントになっていれば嬉しいです。

 

記事のご感想、読んだうえでのアドバイスなど、

どしどしお待ちしております!

 

ではまたお会いしましょう~!